verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

テレビは最悪の娯楽という前提を持ちつつも、テレビは最高の娯楽に、最大限の己の智慧があえば、40年後に回収することが可能かもしれない。貴方は、どうだろうか?

今回の四方山話として、テレビは最悪の娯楽という前提を持ちつつも、テレビは最高の娯楽に、最大限の己の智慧があえば、40年後に回収することが可能かもしれない。貴方は、どうだろうか?

今の時代には、スマホがあるので、手持ち無沙汰になることは、まずなくなってきた。テレビ中に、たびたび、スマホで疑問を調べまくるのだ。テレビというのは、別にずっと集中して見るものでは、ほとんどの場合ないし、たびたび、他の用事のため、切っていいし、消音にしていいし、離脱していいのだ。集中しないといけないのは、勉強の動画と仕事や仲の良い人の動画だろうから、無駄な脳処理やストレスを減らすことだが、スマホで調べるのは必須だろう。SNS投稿や知人との電子メールのやり取りは、その人次第だろう。大事なのは、自分が最も関心があった疑問点を、調べるから、その瞬間にそれが一部の教養になるのだ。これはサボってはいけないし、テレビを見てる時にすべきなのは、あとでやる事はほとんどの場合、時間的な制約で不可能だからだ。現代人は、やることが沢山あるからだ。教養というのは、重要だが、緊急でない事を、とことん調べるから、埋まっていくものなのだ。無論、重要で緊急というのは、仕事だったり、深いアイデンティティに関わるプライベートな事なのだし、常時選別が何より大切なのは、言うまでもない。ただ、重要で緊急な事だけで、忙殺されてる人は、単純に、そう思い込んでいるだけで、誰かの奴隷になっているだけかもしれないという、意味合いが滲み出てくるものだし、たいていそういう人は、血肉の教養がなかったりする、仕事人間なだけかもしれない。無論、仕事で成果を出し続けるために、重要で緊急な事をやり続けるのは大切だが、少しずつ遊び心を持ちつつ、教養のカテゴリー範囲を広げていくことが大切だ。エリートの教養本を見ることは、より大切なのだが、馬鹿っぽい教養を、どこまで血肉に変えられるかで、その人の愛され度が変わってくるのだ。子供のテレビ番組なんて、どうだっていいという知的エリートは、子供の関心をうまく引き出せないから、高い塾に金を払うのだろう。子供のテレビ番組なんて、どうだっていいし、子供の話なんてショボいという気持ちは大いに分かるが、貴方が性欲に駆られて、産ませた子供ではないか?責任は果たすべきだ、男性の場合は、奥さんにワンオペ育児をさせずに、貴方の満足だけのために、家族や周囲の人がいるわけではないのだ。家事を分担できる男女平等の理想世界に近づかせてほしいものだろう。

 

今までの話により、テレビに汚染されなくなるから、充実度は上がる秘訣だ。

貴方が、テレビをツマラナイ教養だと感じているなら、貴方の教養の範囲が、少なくて、ツマラナイからかもしれない。例えば、30分番組で、最も低い視聴率クラスの個人視聴率0.3%だとしても、国民の1億人3000万だとすると、39万人も見てるのではないか?計算間違いがある可能性は否めないが、おそらく合ってるだろう。当事者感覚があれば、その人達の関心が意味がないまたは意義がないというのは、少し傲慢ではないだろうか?それを好きで見てる人が、自分の知り合いにいないだけかもしれないし、その番組の教養が貴方に足りないからかもしれない。知り合いにいなければ、貴方のコミュニケーション術や人脈形成に問題があるのだろう。知り合いにいれば、その番組関連のジャンルの話題を聞けばいいわけだ。そうすると、また、そのテレビが面白くなるものだ。思い付く知り合いはいても、テレビ番組の内容が面白くないというのであれば、その知り合いに聞く度胸がなかったりするケースが多いだろうし、その知り合いを少し否定してる事にも繋がっているのだ。何かしらのそのジャンルの最先端や注目のポイントがあるから、テレビで流しているわけだ。貴方が、そこまでの歴史や経緯を知らないから、ツマラナイのではないかもしれない。勿論、「もう全部知ってるよ」という場合もあるかもしれない。その場合は、見なくていいだろうが、知ってる内容が、その番組の一般的な内容ではなく、他の視点をしっかり考えるチャンスでもある。製作者はどんな人なのか?とかそのテレビ製作の深掘りや裏側を知る事である。更に言えば、それらを知ってるのであれば、ネットに持論を書けばいいだろう。そうこうしてると、たくさん楽しめる活動は沢山あるのだが、これは机上の空論に過ぎないだろう。現実には、物理的な時間の制約があり、そこまで追えるわけはないのだ。徐々に、その沢山の活動が、絞られ削られて、一般的なテレビの見方に帰結していくし、テレビは見ないほうが、人生の充実度が、段違いに変わってくるものなのだ。ここが、テレビを最悪の娯楽と呼ぶ人がいる、ビジネスエリート層にありがちな設定だろう。

無論、今までのは、極論的な仮の話題設定に過ぎない側面も否めないが、長く生きてれば、この番組は、あの人が好きだよな、好きだろうな、好きだっただろうなとなるだろう。あらゆるカテゴリーに興味と教養があると、全ての放送チャンネルを観たくなるかもしれないし、あれも観たい、これも見たいとなり、録画して見ても、4分割しても、物理的に全く足りなくなるのだ。なので、無論、あまり見る必要がない番組も出てくる、通販番組等だ。まあ、稀に通販番組も見ることは、他の会社のマーケティング戦略や通販番組独特の購買欲を刺激するテレビ構成も面白いかもしれないが、基本的には見る必要ない、というか、さすがに他の番組の方がいいし、そんなに暇ではない。無論、通販番組好きの高齢者も少なくないから、番組が成り立っているとも言えるが、減らしてほしいとも視聴者目線では思うが、局の制作者側としては、通販番組は、オイシイカテゴリーとも言える気もするが、やはりテレビ離れを加速してしまうだろう。ネットで、それなりのモノやサービスは、売れるわけだし、テレビの通販番組は、最低限にしてほしいものだ。

 

テレビとの付き合い方は、実は物凄く智慧が必要で重要なのだ。

私は、大馬鹿者だ、ある意味、こんなに他人にとっては、有意義な記事だが、時間を無駄にしてる感が、私の中で、沢山あるのだ。それはやはり、この纏め方が、沢山の人が見たがる形式にしていないからだろう。そこまでの労力は割きたくないのは、勿体ないのか、馬鹿なのかはよくわかってないだろう。重要でないことをやりすぎてしまうから、私は馬鹿なのだろう。あー、ご飯作ってから、4時間ぐらい、立ってしまって、冷めきってしまった笑