verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

先祖供養と子孫繁栄と商売繁盛は、実は同じ意味があるのだ。仏教を21世紀風に直すと、先現当7世代(先祖3代高祖父母と現役自分自身1代と曾孫3世代)としよう。結局は、自分だけ良ければ良いという利己主義と、それ以外に大きく分けられる。そして、あとは、子か親という家族にしか興味がないかか、先祖子孫も含める人なのかによる。先祖供養をすると、子孫繁栄も考える事になる。広い視野があるかどうかだし、その人の霊格により、考え方は変わってくる。

「先祖供養は、自分のためと言える状態になっているだろうか?」言えるなら、大丈夫だろう。先祖に食事と水を毎日すれば、ある時心のエネルギーが貯まる瞬間がおとずれるだろう。勿論、すごくどでかいエネルギーではないのは、そこまで労力をかけてないからだが、ちょっとした作業量で、習慣化できるものとしてはいいものだ。親族に好かれやすくなる条件が整うからだ。

先祖供養と子孫繁栄と商売繁盛は、実は同じ意味があるのだ。自分勝手な利己主義の対極は、利他主義だ。利他の範囲が、どこまで進むかは、その人の人格次第だ。物理的には、不可能だが、185億人(先祖と当代と子孫)の全人類のために何かをする人も妄想したくなるものだが、机上の空論に過ぎないだろう。人口が多い国の指導者は、何億人の事を考える影響力や範囲を持っているが、一人一人の人生に、どこまで深く関与することが可能なのだろうか?勿論、影響を与える人口等の範囲が広いからといって、単純に、職業のポジショントーク等に過ぎない場合もあるだろうが、基本ベースは、範囲により、その人の人格の素晴らしさに根差しているとも言えるだろう。人格が上がれば、少しずつその人を信用する人が増えていくから、範囲も広がるからだ。人間は、一人のパートナーだけ幸せにすればいいというわけではないし、勿論、それすらするのも困難な状況もあるだろうが、人は、自分と誰かの幸福に関与したくなるものなのだろう。利己主義も、行き過ぎると、ある一定のラインで、裏切られたりして、変革する事が訪れるからで、利己と利他の両立に、タイムマネージメントが進むからだ。利己主義は悪いが、主義にならなければいいだけで、利己の利益の追求は、現代社会では、逆説的に必要な場合もあるからだ。私も昔、利他の心に振り幅が行き過ぎて、自己の利益を追求しなくなったから、人生が逆につまらなくなったという過ちがあったと弁明したい。不要な場面で、利他は出すべきではないというか、自分の心に従う事が重要なのだ。利己を求めると、幸福感が増すというか、楽しい気分になり、使命発揮率が上がるのだ。無論、わがままし放題だと、周りからおざなりにされて、使命発揮率が下がるようになっているから、利他と利己を、中庸的に、調整していくのが、幸せになる秘訣だろう。スピリチュアル至上主義の弊害は、この辺りの利他主義の行き過ぎによる、利己の心をおざなりにして、自分だけを不幸にしてしまう場合もあるのだ。ただ、スピリチュアルの勉強をしっかりすれば、一度利他をとことんやれば、逆に利己をどこまで追求していいかまで、調整できるようになるのだ。また、利己主義の人は、お金儲けと仕事やらの事業を開始したりして、どの辺りのバランスがいいかを、仕事により、利他の心を学べば良い。それが、商売繁盛に繋がっていく。

仏教を21世紀風に直すと、先現当7世代(先祖3代高祖父母と現役自分自身1代と曾孫3世代)としよう。それよりも広い範囲は、あまり意味がないし、実感が湧かないが、勿論、想像できる人は、想像することは、大局観に繋がるかもしれない。確かに、たいていの人は、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは会ったことがあるだろうから、先祖2代というケースもいいだろう。会った事がない人は、その分、先祖供養の想像力が求められるし、その分の力が付くだろう。

なので、先現当5世代という括りは、更に実感が湧きやすいが、まだ死んでない場合もあるから、先祖供養にはならないし、会ったことがある祖父母の親が、高祖父母だから、それは、重要な意義を持っているだろう。生きてる場合は、祖母活祖父活という祖父母活になる。

 

結局は、自分だけ良ければ良いという考え方と、それ以外(先祖子孫も含める)に大きく分けられる。そして、あとは、子か親という家族にしか興味がないか、先祖供養をすると、子孫繁栄も考える事になる。広い視野があるかどうかだし、その人の霊格により、考え方は変わってくる。私も、昔はぶっちゃけ、家族だけの事しか考えてなかったし、人の事はあまり言えないかもしれない。自分だけ良ければ良いという人は、だいたい人から援助されなくなるものなのだ。勿論、自分だけ良ければ良い度合いが、どこまであるかは、かなり正確な数値がわかる人は限られているだろう。少しずつその度合いを減らしていく努力をすべきだし、まだ精神的に幼い人は、それ相応に扱えばいいし、人から援助されなくなり、悟る機会も重要なのだ。特定のグループや特定の親友や家族に固執して、他をおざなりにしているのは、周りの人は、正確に感情で分かっているものなのだ。「あー、私を軽く扱ってるんだね。」とか、「あー、この人は、特定の〇〇や〇〇さん以外は、軽く扱うんだね」とか、「あー、知り合いを大切にしてないんだね、そういう人は、知り合いに相手にされなくなるよね」とかである。確かに家族の用事で、知り合いが、二の次になる状況は、おおいにあるが、やはり一言謝罪のフォローがあるかどうかだ。あとは、「こっちの友達(知り合い)を取る用事があったから、貴方の時間が少なくなり、申し訳ないから、今度は、貴方を優先します」という趣旨の発信が送れる人格の持ち主なのかだ。誰だって、誰よりも重要だと思ってほしい心があるからだし、無論、すべての人を重要だと思うのは、現実的に不可能な場合は少なくないし、現実的な対応はできないものなのだ。だが、選択をうまくやれるようになれば、それなりの人数(コア14人程度+α)には、最大限の関心を持ちつつ、物理的に手が回るようになるものなのだ。無論、その人同士が、一緒の空間(居酒屋や、イベントやスポーツや習い事やプロジェクト等の居場所)にいれるようにできれば、時間が、短縮圧縮できるが、なかなか嫌がる悪癖の人も少なくないから、状況に合わせて、サシで合ったり、電話したりするしかないだろうが、やはり圧縮する努力はし続けるべきなのだ。自分の友達と自分の他の友達が、共通の友達になれば、一つのグループになるし、圧縮される場合が作れる機会が増えるのだ。

 

先祖供養を考える人は、その分、子孫繁栄の先も見通せるようになるのだ。ただ、やはり独身の場合は、なかなか子孫繁栄を正確に当事者意識を高めて、考えることは難しくなるものだから、自分の兄弟に子供がいれば、その子供を通して、子孫繁栄を考えればいいのだ。子供が14歳ぐらいになれば、孫の事も意識し始めるだろう。

もう少し書きたいものだが、なかなか難しい場合もある。

 

「先祖供養を始めてみたら?」と言われて、「やっても意味ないでしょ」という返答をするのは、駄々っ子(驕児狂児)だろう。やったことがないことに対して、無意味と決めつけるのは、幼い精神の現れだろう。やってみてから、変えるなりすればよいのだ。まだ「あるかもしれないけど、先祖供養より、この活動を優先する」の方が、まだマシかもしれない。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。このご縁に感謝です。