なぜ、相手の好きなことを批判しない方が良いのか?
私は、こんなブログを書いているから、周囲の人に、批判グセがあるように思われる事が少なくないと思う人も中にはいるだろう。
だが、批判はしない人には全くしない。
それは、なぜか?
流れがあるからだ。共感が良い場面の方が沢山ある。
Apple Watchを使ってる人がいたが、批判をする必要が全くないのだ。道具を批判する事は控えた方がいい。
なぜ、相手の好きなことを批判しない方が良いのか?
私は、こんなブログを書いているから、周囲の人に、批判グセがあるように思われる事が少なくないと思う人も中にはいるだろう。
だが、批判はしない人には全くしない。
それは、なぜか?
流れがあるからだ。共感が良い場面の方が沢山ある。
Apple Watchを使ってる人がいたが、批判をする必要が全くないのだ。道具を批判する事は控えた方がいい。
あるプレゼン会合で、健常者の優しくない人達から、「こいつとは友達になれないな」と嘲笑され、自分が必死に耐える啓示の夢を見た。こちらのプレゼンは意味をなさなかった。他の人のプレゼンは順調だった。
その会合に、一人の友人が仕込まれてたので、私は、「あいつと友人なんだけどなー」「あいつは、何か言わないのかな?」と思った。
今回のテーマは、障がい者と独創的なプレゼンである。これをどうみるか?やはり、理解がない利他愛が足りない健常者にプレゼンしても、しょうがない。だが、だからといって、嘲笑された事は、重く受け止め、待機する事も重要かもしれない。この前の同窓会の霊的裏会議の秘密である。
霊的裏会議とは、実際に現実で起こった事ではなく、その場にとって、自分にとって、最も悟りを起こしてくれる最先端のスピリチュアルの端くれである。
本来であれば、現実に起きた方が本人にとっては最高のテーマ追究なのだが、他の人の使命を邪魔するわけにもいかないので、10人ぐらいの会議では無理に近いのである。
なぜ、アニメを見ると、見すぎると、キモくなるのか?
やはり、フィクションだから、現実感がなく
、リアルとリンクしてないからだ。
二時間アニメを見るのと、二時間誰かと電話をするのでは、成長が違うだけではない。
ただ、アニメを見ることは、庶民受けは良い。だいたい、コミュニケーションツールとして、共通の話題として、使えるというのが、最大の利点だろう。
同人が好きかどうかも、キモさを表す。
悪の根源、強いては巨悪にどう立ち向かえばいいのか?
一般市民にとって、リアルの場では、反社会的勢力が、パッと思い付くだろう。狙われたら、本当に嫌な思いをし続ける事になる。
だが、それは少し違うと思われる。
裏で、操っている悪の根源がいるのだ。それに立ち向かうわなければならない。人間を醜く争わせる惑わすナニカがいるのだ。
人間同士の結束を嫌い、人間間の分断や断絶を常に起こして、
絡むのが無駄な絡み損というものがある。人的投資失敗例だ。シビアに見ると、これはある。
霊的洪水沼に嵌まっている。夢の中で、長い梯子で、下から上の女の子のパンツを見たり、セクハラしてるのがわからないのは、幻覚を見せられてるのかと感じ、ワープして、夢から起きた。霊的洪水沼は、脳が沼に嵌まっている状態で、ボーとしてる。回復までに時間がかかる。音楽を聴いて、変えていくが、本質的にはおそらくあまり、変わっていない気がする。うーん、この霊的洪水沼に対して、医療系の知識が不足してるし、関連する話を聞いたこともないので、伝わらないはずだ。