verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

その人が改心するまでは、付き合わない人の特徴。私達が付き合いたくないのは、売国奴と拝金主義という線も考えられるが、売国奴と拝金主義者は、一縷の望みもないのか?

その人が改心するまでは、付き合わない人の特徴。

私達が付き合いたくないのは、売国奴と拝金主義という線も考えられるが、売国奴と拝金主義者は、一縷の望みもないのか?

己の利権や安定のためだけの拝金主義は、おかしな方向に進んで、いつか破綻するだろうかもしれない。やってることは、拝金主義者と同じかもしれないが、例えば、額の差はあれ、デイトレで、稼いだとしよう。そして、また、強欲な人は、「株や組織や、何かしらのビジネスで、安定的な利権で、自動的に稼げるような仕組みを作れないか?」という思考回路になるし、発想する事自体は、強者の思考術で必要なのだが、それが世の中の人のためなのか?どうかという思考が不足してると、両輪がうまくいかないかもしれないだろう。楽(らく)しすぎて、金を得ようとする思考が行き過ぎると、おかしな事態に陥るのだ。無論、常に無駄な作業かどうかのチェックや断捨離は必要だ。

 

パソコンやスマホのポチポチで、すぐ1万とか稼いだら、おかしくなる可能性を秘めているから、自制が必要だろう。私は、昨日デイトレで数千円利確した。だが、スマホポチポチなわけだ。さらに軍資金を投入して、一日一万円稼いだら、働くのが、バカらしくなるだろう。勿論、投入資金を増やせば、リスクもどんどん上がっていくのは、間違いないだろう。ギャンブル要素が格段に高まるし、損をする可能性も高まるし、精神的に緊張が多くなるかもしれない。

やはり、そこは、見栄をなくすことでもあるのだ。数千円なら、一般社会の実働者からは下に見られるが、それぐらいなら、まだ自制が効く。

これが一日利確が万単位になると、自制が効かなくなるのだ。アホな投資家みたいな気分やアイデンティティになり、おかしな方向に進んでいく。人間は、人から見られるアイデンティティや職業観の見栄が、自分の成長を阻害するのだ。これに囚われている社会人は山ほどいるし、それに騙される社会人もたくさんいる。強欲なビジネスマンの先には、不正に繋がる未来があるだけなのだ。だが、たいした結果を出せない若いビジネスマン(学生時代遊んでた人達)が、誰かしらをなんらかで騙して結果での大金を奪っている人を、有難がるから、おかしくなっているのだ。

だが、頭が良くない人に限って、「だったら、もっとお金を投入して、万単位の利確をし続けろよ!」という人の話を汲み取らない反論をする方がいるが、それを決めるのはあなたではないのだ。やるかもしれないし、やらないかもしれない、ただそれだけだ。そういう人には、脅しの改心の交渉術的に、賭け事的に、何らかのリスクを負わせて、トレードの法則に従って、「では、事の大きさ的に、貴方の言ってる事を受け入れる代わりに、もし私が万単位の利確を1ヶ月続けたら、貴方は、200万円払っていただける契約書面をしましょうか?」と、言えばいいだろう。完全に法律的に義務が負うかどうかが肝でもあるし、この手の話は、大抵の人は退くだろう。もしくは、「一緒にビジネスをしませんか?」と持ちかけるが、ビジネスには、賠償責任が発生するから、まあビビるだろう。まあ、そんな人とビジネスなんか、したくないのだが、神仏からの指示の場合は、やる必要があるかもしれない。

賭け事的な契約は、法律的に有効にできるのかどうか?が肝でもある。

刑法 第185条には、“賭博をした者は50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

その相手の自分の発言に責任をもたせるために、法人間のコンサルタント契約のようなもので、損失させた場合に、賠償責任を生じるという契約をして、裁判で争うというぐらいなら、その人は、引くことになる可能性が高い。

が、そこまでする必要はないし、現実的には、無視か、SNS等でのバッシングで、事が済む。が、SNSバッシングは、しないに限るのだ、秩序がないからだ。なので、結局無視するに限るのだ。相手の馬鹿さを分析した上で、無視すると、自分の心は嫌なもので満たされないし、言語化能力により、周りにも伝わる表現もいざとしたら、できる。組織の中で、バカ言動をする人を、敵に回さないように、相手の魂だけはずっと信じて、相手の自我は馬鹿なんだと思いながらも、かといって、周りの人には、自分が嫌な扱いを受けた事を、うまく流し、居やすい環境にするのだ。自滅する人の特徴は、やはり独りよがりなのだし、自分も気をつけよう。

分析をしないと、マジで暴言とかは、心に傷を付けられるだけなのだ。だから、勉強というのは、自己防衛力が上がるから大切とも言えるのだ。

強気の交渉術を用いれば、こちらの不快感もなくなり、ただの雑魚だったとなる。法律というのは、人間界をものすごく左右するものだし、無法地帯の霊界のある層からの視点転移から考えると、本当に弱者に優しいものでもあるのだ。無論、例外的に弱者に厳しい法律上のケースもあるのは、誰でも知ってる事だ。まあ、その人は、死んだ後、その無法地帯の霊界で、法律の盾を使えず、阿鼻叫喚地獄になるのは、目に見えているし、現世で法律抜きでの予行想定ができれば、まだ良かったのかもしれない。己のためだけに、一度でも法律の盾を使った人は、霊界の裁きは、ヌルくないのだ。現代の人間が考える普通の裁きの

10000倍ぐらいはあり、正直本当に怖すぎるのだ。「え?現世のこの程度の悪行や悪癖で、そんなに霊界での裁きの刑があるの?」ってぐらいなのだ。なんで、こんな詳細に書いてるかというと、ものすごく現世の人の霊界への勘違いが増えてしまったからだし、アニメの悪影響で、メルヘンチックなおとぎ話風に仕立て上げる感じになってしまったのだ。ドラゴンボール等のカルチャーで、閻魔大王の所に、行列になってる魂が、わりとノホホンとした感じに考えられるようになってしまったのだ。ドラゴンボールが嫌いな訳では無いが、実態とは、あまりに乖離し過ぎているからだ。アニメの仏教観の元ネタは大事だが、「そのアニメの元ネタは、実は本当は怖い」特集が必要なのだろう。

 

まあ、現世の会社でも、裁判沙汰は沢山あるし、懲らしめられたり、改心するチャンスはあるわけだ。

人間は痛い目にあわないと、悪癖は直らないのだ。まあ、別に信じる必要はないし、人間100%死ぬのだから、その後どうなるかだけの問題だし、私の言ってることは、100%正しくても、受け入れなければ、その人が阿鼻叫喚地獄になるだけだし、そういう世界が元々あるわけだし、仕方ないのだ。構造的にそういう世界があるのを、人間ごときが、変える事はできないのだ。

 

 

また、話は戻るが、簡単に言えば、その人は、相手に失敗して欲しいから、突っ掛かってるだけで、自分の発言によって、相手が成功して、自分が失敗する未来が、とてつとなく嫌なのだ。ただの威勢がいいだけの人なのだし、そういう人を改心させる技術が、日本社会からは失われてしまったように感じている。

一つの方便としては、稼いだ金を、誰かのために使うなら、それはデイトレだろうが、ただの手段に違いないかもしれない。ドライさが大事だし、株は、幼稚心を捨て去れば、勝てる可能性は格段に高いのだ。「あなたが、一日で実働するお金を、私は、株式市場ですぐ稼いでる」というマウントが嫌いなのだ。金は金という意識のドライさが強すぎて、悪銭と良銭の違いによる、カルマと人間関係の幸福を分かっていなのだ。ドライさというのも、私のような世話好きには、必要なのだから、そういうシビアな対応をすることもあるが、それは相手の成長のためなのだ。

 

 

売国奴は、その国の外国人にとっては、嬉しい可能性を秘めているが、