verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

国力国富倍増論と地獄行き回避論の両立できるグランドデザインって、無理ゲーなのかも。

国力国富倍増論と地獄行き回避論の両立できるグランドデザインって、無理ゲーなのかも。

地獄行き回避論は、かなりわかってきたが、経済的指標優先の国力国富倍増論とは、なかなか折り合いがつきづらい領域が存在する。自由意志尊重や自由な社会と、統制的な社会との折り合いがまた難しいのだ。徳育やマナー意識と自己実現的な一風変わった技術は、本来はなしではないのだが、なしだと思い込んでいる人も少なくない。子供の時の童心的な遊び心を、お酒に代替してしまっているダサい大人がかなり一定数いるのだ。お酒を飲まないとやってられないとか、お酒の時しか楽しめないとか、そういう人は童心を封印している反動が出てるのだ、ええカッこしいなのだ。普段から童心を出す意識があれば、お酒で羽目を外す必要もあまりないとも言えるのだ。ただ、勿論、ハレの舞台とかは、多少あるだろう。

そして、小さな子と遊ぶ機会がある大人は、ある程度、童心を取り戻すことができる人が少なくないだろう。だが、子供が成人するに連れて、また童心を封印してしまうのは、なんとも哀しいものだろう。勿論、シビアな制御がなければ、ただのたるんだ人間にしかならないから、なかなかその辺りの塩梅やバランスマネジメントは、一朝一夕では身につかないかもしれない。たるんだ人には、強い外的圧力が必要だろうし、自分で自律できてる人には、必要はほぼないだろう。自分をほぼ完全に律する事ができるようになることが、最重要課題かもしれない。それができたら、個人から社会的な国富論まで、昇華できるのだろうか?要は、自己選択の最適解を取り続けても、社会の仕組みが悪くて、あまりコスパが悪かったり、抜きん出たり、無用な争いを生んだりとか、あるのではないか?という問いは、いつまでも必要だろう。蟻地獄にいたら、ずっと蟻地獄ということがあるのか?人間、自分の最適解を取り続けたら、そんな蟻地獄から、抜け出てる気がするのだ。社会を論じる前に、自分の行動を反省実践し続けて、発言市民権を得る必要があるのだろう。ただ、それらは、子供の駄々なのか?それとも、自分を完全に律して、最適解をだし続けても、コスパが悪い社会なのか?まだなんとも言い難いものだ。日本は、そんなに悪い社会でもないし、コスパも悪いといえば悪いのかもしれないが(資源のオイルマネー的なものと比べて、高度経済成長期と比べて)、悪くないと言えば悪くない(同じww2の敗戦国のイタリアよりは、現状いいという意味)というぐらいなのではないだろうか?ドイツに負けたというのは、やはり、ドイツは、本当に世界の一部を地獄にした反省をし続けたのかもしれないという視点を持ち、より日本は、反省が足りてないのではないだろうか?恵まれた環境に甘えていたのではないだろうか?また、恵まれた環境に寄与したアメリカ等に結局、塩漬けされてしまったのでは?という視点も大切だし、独立国家としての自負と実践が弱かったのかもしれない。残念な昭和世代、残念な平成世代、残念な令和以降の世代になって、そんなに遠くない未来に、GDP7位まで転落するのではないだろうか?足の引っ張り合いの権力闘争利権争いで、本質を見抜ける人が、政治界にいなかったのではないだろうか?人間は、弱すぎる生き物だから、選挙に当選し続ける事が、至上命題化して、ただの人にはなりたくないという意識が現れたのだろうか?そうかもしれない。選挙の力学やらの仕組みが、まだ不十分なのではないだろうか?そういう視点は持つことだ。ただ、あちらがたてば、こちらがたたずというものだったり、なんとも言い難いものだ。「保身が悪いのか?」という議員の本音からすれば、保障されないと、人間安心できないとも言えるし、保身の議員を選びたがる国民性なのかもしれない。議員の失業手当を、充実させる方策や、政界と経済界の横断的な人的交流が必要なのかもしれない。保守と保身は、なかなか見分けが付きづらいのかもしれない。「他のぽっと出の議員ヤバイでしょ。」等の減点が好きな人は、やはり当選回数が周りより多い保身議員を選びやすいかもしれない。

ところで、日本人の正確な地獄回避の国民の数を、神仏から教えて頂いたが、アメリカ人の数は俺が正確に覚える気がないので、一桁一桁検証しなかったが、約〇〇人と教えて頂いた。正直、アメリカ人やアメリカ全体に関しては、ニュース等で見聞してるに過ぎないから、イメージ先行してる部分がある。アメリカ人で頑張ってる人って、使命感溢れるある種やばめの経営者像だし、でも、なんというかそういう方に、地獄行きを回避できてる人がいるようだし、日本ではそのような人格像は世間が許されない事だ。

アメリカ人は、アメリカ人のやり方で、地獄行きを回避できるようだし、思ってる以上に少なくなかったが、国富と連動してる感はあるかもしれない。じゃあ国富と連動してるなら、国富倍増でええやんとは、なかなかならないかもしれない。アメリカ人のキリスト教と、日本の神仏習合神仏混淆観的無宗教観は違うからだ。

日本人は、日本人のやり方があるし、同じ指標は無理がある部分があるのだろう。

思ったよりも、この記事が反響がありそうなので、もう少ししっかり書けるときがくればいいだろうが、現状はごめんなさい。