verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

エスタブリッシュにこだわるのは、余暇を楽しむ事と周りからの称賛もあるが、それに固執するエリートエスタブリッシュメントも、地獄行きを回避できない哀れな努力家かもしれない。

エスタブリッシュにこだわるのは、余暇を楽しむ事と周りからの称賛もあるが、それに固執するエリートエスタブリッシュメントも、地獄行きを回避できない哀れな努力家かもしれない。どこかで資本主義社会で活躍するために、価値観の偏りを作って、傾斜を上げたりした場合は、余生や走ってる途中に、無化作業が必要なのだが、寿命までにその終活がやれずに終わらずに、地獄行きになってしまう哀れな努力家がいるのだ。やはりそれは、世の中にごまんと流布されている間違った無神論的宗教的な価値観に囚われいるからだ。走りながら、無化作業ができる人は、ほぼ物理的に無理なのだろう。無化作業とは、「この自分の価値観って、間違ってないかな?」と自省して、中道的に感謝することだ。また、技術を上げる事がなければ、技術が上がらなければ、周りの人に役に立ったり、賞賛されることはないし、技術が上がりきらなければ、後世に残すとかの発想が浮かんだり、現実化する事はできない。技術に見合う精神性を手に入れる事だし、技術至上主義にならないようにしながら、技術が高まらないと、いくら精神性を上げても、社会を幸せにするのは、絵に描いた餅だ。理想に見合う技術と精神性を獲得することだ。

中道に戻しきる作業が、人生には必要なのだが、

簡単に言えば、芸能人が、服のセンスを上げて、SNS投稿するのも、注目されやすくて、費用対効果が高いからかもしれない。洗練スキルは、人生に置いて、コスパが悪くないし、脳的には、創造的作業で、楽しくて充実感を得やすいのだ。それを会得した事がない一般人は、受け身的な活動で人生を終始してしまうだろう。洗練スキルがあるということは、嫌味的側面で言えば、それだけ余暇があって、個人主義的主体的に生きてきたんだねという表れなのだ。確かに、日々の工夫力もあるが、それが許された家庭環境だったのだろう。

なにはともあれ、地獄行きを回避して頑張ろう。ごめんなさい、ありがとうございました。