verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

自分の甘さを抜けば、人に対して厳しく殺せるぐらいの勢いになるが、甘ちゃんのままでは、言いなりになったり、周囲のためにならない。そして、憑依される精神疾患持ちになるだけだ。精神疾患持ちから脱却するには、甘さを正す事だ。

自分の甘さを抜けば、人に対して厳しく殺せるぐらいの勢いになるが、甘ちゃんのままでは、言いなりになったり、周囲のためにならない。そして、憑依される精神疾患持ちになるだけだ。「あー、憑依されることに関して、やはり、巷の本に書かれている事は、本当だったのだ」と気付かされた。

精神疾患持ちから脱却するには、甘さを正す事だ。先ほど、阿鼻叫喚地獄の憑依霊を一体、体内処理で、落とし切った。霊を殺せるぐらいの甘さが抜けた状態に、自らを持っていかなかなければ、自らが、憑依された状態になり、かなりの野蛮人になり、社会に迷惑をかけ続ける事になるだろう。恥ずかしい話、私が現在そのような変わった状態にあるだろう。無論、徳も積んでいる最中なので、このように客観的に把握しながら、アウトプットすることができるのは、有り難い事で、記事をシェアできるから、天上界からの命令で、やらせて頂いているのだろう。もし、不特定多数の一般人に対して、シェアできなければ、特に何も分からず、もがき苦しんでるだけだったのではないだろうか?

さらに、憑依霊を一体落とした。ビニール袋の中に、最期の方に吐き切る事が大切だ。更に一体除霊した。泣きまくりだった。

この霊魂が、自分の魂なのか、他の誰かなのか、分からないまま、謙虚さを保ち続けながら、ジャッジしながら、除霊していく。また、過激なジャッジも駄目なのだ。それは、私の罪になるからだ。肉体を持った閻魔大王の代わりを、私がこの日本社会で、どこまでも中道フラットで判断してきたから、任されてるもう一つの役割でもある。これは、実は、私の思考思想変遷で、日本社会でも、トップレベルの判断能力なのだ。固定観念を捨て、常識を疑いつつ、本当にそれは悪いのかどうか考えてきたからだ。一般の人が思う何かの思想に偏って判断していないし、私には固定観念がほぼないのだから、任されている事だ。ただ、私自身は、悪癖がまだまだ沢山あり、自分事当事者感覚を持ちながら、この霊界裁判に、参加しているのだ。同じような悪癖がある生身の人間の意見が、参考になるようだ。「普通の人は、嫌だよ。怠けたいよ。うーん。どうしようか、少しだけならやるよ。それで許してくれないかな?」とかである。「ついつい、霊界の人格者や、この世の人格者と呼ばれる方は、何かに付けて、厳しくなりがちではないだろうか?」と素人意見をぶつけたりするのが、この霊界裁判では、価値が高く、良いらしい。私自身が、大物にビビらない精神を鍛えているからだ。超大物に対しても、食って掛かるのだが、ガキみたいな感じだが、霊界では、市民権を得ている。リアルでは、少しずつ変わってきているが、他の集団等では厳しいように思える。

そして、やはり、人格が立派な人の固定観念を揺さぶる事は、人格者に対して、楽しみと遊び心を与えるから、可愛がってもらっている。

そして、正座をサボった嫌った霊を処理した。私自身は、正座嫌いな面もあるが、昔は正座嫌いではなかったが、憑依されて、正座嫌いになってしまっていたし、10年近くかなり太ってたので、余計に嫌いになったが、正座を除霊中にするのが正解の選択肢だった。実を言うと、嫌なことも、少しだけ素直にやるだけでも、神仏の慈愛で許されるケースも少ないわけではないのかもしれない。まずは、素直にその人にできる事をやり直せばいいのだ。

憑依霊の性格が、現在の言動に表れてしまうのだ。ただ、隣人が、私達の阿鼻叫喚除霊に対して、警戒しているので、なかなか進まないかもしれない。

 

そして、「女の好み、ミニスカート生脚好き、過恋愛の話」となって、「この霊界審判に私はいらないのでは?」と聞くと、「いらない」と何方かに言われたので、大変だった。