体感霊魔夢ゲーム。ピカチューで、落下しながら、下の敵をどうにか攻撃方向を合わせて、一回攻撃成功して、その後攻撃方向がズレたあとに、なんとかしないとと思い、またやり方を合わせて、もう一度攻撃した所で、起床した。自分の霊格または人格があまり関係ない二次元の体感霊魔夢ゲームは、痛みが少しあるが、そんなに嫌ではないし、泣きべそを言わずに続けられそうだ。単純に現実世界のゲームに痛覚がある感じで、そんなに後味が悪い感じではない場合が、ほとんどだ。
だが、体感霊魔夢の三次元は、正直嫌気が差している。これは、自分の現実世界の人格や霊格や記憶や魔やカルマが関係してるので、現実世界の嫌われ方等が、反映されているから、正直後味が悪い。現実世界で、俺を嫌っている人から、霊界で、追い詰められるのは、懲り懲りなのだ。無論、現実世界では、私に手を出せないし、物理的には疎遠や無関係とも言えなくもないが、正直霊界でバトルするのは、気が引けるし、その気持ちを、自分を嫌っている人に、現実世界で、ぶつけたくなるのを、抑えなければならないからだ。無論、霊界と現実世界(現象界)では、世の中の仕組みが違うし、記憶の構成要素も違うから、別物といえば、別物なのだ。記憶が異なれば、嫌がられる要素も変わるから、できるだけ現実世界では、嫌がられる連絡はしないほうが、ごちゃまぜになったおかしな人扱いされなくなる。統合失調症等の人や癇癪持ち等の人は、霊界上での記憶に基づいて、本人の記憶とは関係なく、本人は無意識無記憶だが、反抗的な態度を取ってしまう駒になっているのだろう。なので、前世の記憶は消去されてても、なんとなくアイツ嫌いとか、どうしてもアイツを攻撃したくなるみたいな感じになってしまう。現実世界の科学信仰の仕組みでは、やはり現実世界の記憶のみに左右されるべきという原則があるから、なかなか分かりづらいものなのだ。例えば、なんか初めて会ったのに、ムカつく等の感覚だ。