verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

能力スキルが欠けてる状態で、周りから反対されても、自分を信じ続け、諦めない心は、最も偉業が成し遂げられやすい精神力かもしれない。

能力スキルが欠けてる状態で、周りから反対されても、自分を信じ続け、諦めない心は、最も偉業が成し遂げられやすい精神力かもしれない。そりゃ誰か一人でも、応援してくれる味方がいれば、頼もしい限りだし、有り難い。だが、たとえ、自分のスキルが圧倒的に足りてない段階でも、自分を信じ続けられる環境や精神力は、より重要だろう。そんな環境を、親が作るには、まず自由にやらせてみながら、適宜賢く介入してくことかもしれない。自分の可能性を信じてくれる親や周囲の人は、なんとも有り難いものだろう。発展環境を作れなくて、子供が自分から、自分を信じる精神力は、なかなか付かないものなのだ。

 

漫画のナルトのように、よくある主人公像のように、スキルが圧倒的に足りない才能がない自分を信じられるかどうかで、夢の進捗状況達成状況は、変わってくるのかもしれない。ただ、年齢的に、遅いと思ったら、一生遅いままなのだ。気付いた時から、変えていけば、何か達成できるかもしれない。

人間関係を悪くしないために、例えば、カラオケの採点が嫌いで、採点機能を付けないワガママを言う人に対して、それに従うのも、大切な事であるが、嫌いな人に合わせるのと同じくらい、採点の好きな自分に、嫌いな人を合わせるワガママもしても良いわけだろう。何かを嫌いな人に合わせるのと、何かを好きな人に合わせるのは、対等な関係なのだろう。勿論、同じ空間にいる場合には、配慮が必要なことには変わりはないだろう。採点を付けない事を嫌うという想いだって、同じぐらいあるわけだし、採点を付けない人を嫌うというのも、同じくらいあるわけだ。お互いの呼吸が合わないなら、一緒にいる必要もないわけでもあるし、噛み合わせる機会や学習のためでもあるだろう。負の感情と正の感情は、どちらが優れてるわけでもないかもしれないが、やはり嫌われない対処法も学ばなければ、人間関係うまくいかないが、何かの自分の部分で嫌われてても、総体的には好かれる人格や影響力というのは、人生で偉業を成し遂げるには、必要不可欠なのかもしれない。