verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

私は、非常にアンバランスに見える脆く見える魂の揺らぎの部分(人によっては、ある意味最強に見えるけれども、それは当事者に当てはまってる場合に限る。)に常にいる。それは、一見おかしな言動だが、魂には響くだろう。魂に響かない人には、とても脆いのは、事実かもしれないが、その場合は逆説的使命発揮(要は、強烈な非難批判)でカバーしてる。このような生き残り戦略は何か?弱いところは、弱いままだ。では、どうするか?

私は、非常にアンバランスに見える脆く見える魂の揺らぎの部分(人によっては、ある意味最強に見えるけれども、それは、その人が当事者に当てはまってる場合に限る。なので、当事者外には最弱に見えるかもしれない。このブログ記事には、あらゆるテーマの当事者を書きなぐって、カバー率を上げている)に常にいる。どの方向にも、一瞬で舵を取れるのだ。

それは、時たま場合によっては、一見おかしな言動だが、魂には響くだろう。エゴがあり、魂に響かない人には、とても脆いのは、事実かもしれないが、その場合は逆説的使命発揮(要は、強烈な非難批判)でカバーしてる。じわりじわりと順接的な使命発揮も上げる努力は常に必要だが、それが効かない固定観念の人がいるから、その場合は強烈な非難の逆説的使命発揮になる。

このような生き残り戦略は何か?この戦略に通ずるのは、才能やスキル等の弱いところは、弱いままで、どうするかだ?誰にでも最強(順説的な使命発揮率マックスに近い場合の人、Adoのようなイメージかもしれない)にはなれないのだろう。例えば、カラオケの歌唱力は、百点中79点ぐらいかもしれないが、それを百点のような感じに引き上げる手段がある。私は、歌唱力は、強くないわけだが、強そうに騙すテクニックがあるだけだろう。簡単に言えば、誰かと行ったスナックで、自分の見栄を捨て、ダメ人間を演出して、何もできない人になり、期待値を下げ続ける。「どうせ、何もできないだろうな、歌も下手だろうな」と思い込ませて、神仏の準備が整った所で、Adoの「私は最強」を熱唱するのだ。そうすると、スナックのママも、意外性で、コロッと拍手喝采の二段階下ぐらいには、盛り上がるのだ。そして、一曲だけで、帰るのだ。こういうやり方が、凡人が、最強になれるワンシーンだけだろう。カラオケだけ上手い内気な人と見せかけて、「こんな一面があったんだ、こんな特技があったんだ」みたいな反応で、カラオケだけ好きみたいな感じだから、歌い終わった後も、嫌味がないのだ。歌唱力が上手い人(採点95点以上の人)は、自己満が強い人も多くいて、嫌味があるのだ。音程は外さないので、耳ざわりは良いのだが、なんか嫌だなという目障りなのは、魂に響かないからだろう。