verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

祈りの実験 祈りの力 スピリチュアル

祈りって効果あるのだろうか。
子供の時は、全く気にもとめてなかった。
摂理という団体で、祈りを覚えた。
ただ、あまりやる気がしなかった。
一ヶ月ぐらい、祈りだけ生活で、元気になれるか挑戦してみた。
結果は、
元気になれた。
真理は、自分で掴むものである。
私は、これから事あるごとに、祈り続けるだろう。 実生活をしながらも。おバカな実験でも、やってみたいものである。「こんなバカしたことないよね」をやってみたくなるものだ。
祈りの社会実験は、よくわからない。幸せは、どうなっても、主観である。ここがポイントである。だから、誰でも幸せになれるのである。もし幸せが、客観だったら、とてもおぞましい世界である。何かを持ってないと、幸せになれないわけじゃない。
信じるか信じないかは、自分次第である。やりたいひとはやればいい、やりたくないひとはやらなくていい。やったほうが徳だけど、どちらでも構わない。自己責任である。一ヶ月は、やめといたほうがいい。だから、他の先達者が言っていることを素直にやるほうがいい。時間の短縮になる。
でも、自分でもやってみたい人は、やればいい。私は、あれこれ起業家精神で、やってみたいタイプである。普通は、普通の生活をしながら、祈りも一緒にやって、効果を確認するのだろうが、それだと普通の生活の効果なのか、祈りの効果なのか、わかりづらい。だから、祈りだけ生活をやってみた。もうやりたくない。精神衛生的に、普通の生活とお祈りか、普通の生活のどちらかがいい。結局自分は、そうでもしないと気がすまないタイプなだけである。祈りにも、より実戦的なものがあるが、これからやっていきたいと思う。基本的には、自分のやることを、宣言すること、感謝を述べることである。締め切りをしっかり決めることが大切である。そうすると、張りが出ていく。来週までに、これをする。と宣言することである。


祈りによる療法、科学的立証へ向けて本格的な動き

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