verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

警察官が絶対付き合っちゃいけない種族は? 対抗勢力とエネルギー勢力図俯瞰

警察官が絶対付き合っちゃいけない種族は?

やはり、反社会的勢力だ。なので、警察官の友達と今後も付き合うなら、反社会的勢力に入ってはいけない。入ったら、その人との縁も必ず切れるし、切らなければならない。暴力団には、入る必要がない。事務所にも行く必要はないだろう。一度でも、反社会的勢力に吊るされたら、社会の恐さが身に沁みると予見する。何も通じない人達なのだ。ヤクザの論理は、どこまでいっても、ヤクザの論理なのだ。昔からよくというか少し研究していた。また、私は、体術や諸々が整わなければ、ヤクザに潰されるだけだし、勢力のエネルギー量的に、対抗する国家権力に任せれば良い。

ただ、殺されに行くなら、自分の甘さをぶっ飛ばしてもらえるなら、行っても良いのかもしれない。簡単には殺してくれないし、拷問される可能性もなくはないが、重宝されないように気を付けなければならない。

反社会的勢力には、一次体験情報はいらない。私は、一次体験情報最大重視派なのだ。一次体験情報がなければ、空想や妄想なのだが、こればっかりは、ネットや書籍や伝聞で、十分なのだ。暴力団関係者に取材したいなら、週刊誌のマスメディアに所属するのが筋だろう。一度でも、変なメールを事務所に送ったら、最期であると思われる。

 

さて、ここからは、究極的な中立視点の使命を発揮しよう。私には、二つの大枠上の、一言で表す使命がある。それは、「本能」と「世界を平和にする」なのだ。双方を組み込んで、文章が構成されている。

そして、反社会的勢力は必要な時代でもあるのだ。矛盾してるように聞こえるかもしれないが、警察による反社会的勢力撲滅は、どんどんすべきだ。近年は、地域住民にとって、住みやすい街になったものだ。では、全ての反社会的勢力がなくなれば良いかというと、エネルギー勢力を俯瞰すると、それに代替する勢力を作らなければ、存続すべきというか存続する、存続しちゃう理なのだ。要は、代替勢力を作ろうということなのだ。

なぜ、人は、自分の過去生を信じきれないのか?他人に、信じてもらえないのか?

なぜ、人は、自分の過去生を信じきれないのか?他人に、信じてもらえないのか?

やはり、使命発揮率がまだそこまで高くないからだ。使命発揮率が高ければ、周囲も認めてくれる。偉大な過去生は、その分疑われやすいが、それに応じた顕在化を頑張れば良い。

過去生自体を信じていない人、輪廻転生は信じている方だが、自分の過去生を信じてもらえないパターンがある。過去生自体を信じていない人に、信じてもらうのは、なかなか難しいだろう。偉大な過去生なら、ネットに載っているから、整合性を確かめられる。無名だと、検証の仕様がない。だが、無名の謙虚な過去生を言う方がいい状況もある。過去生は、複数の団体で見つけてもらおう。合ってる合ってないというより、選択肢が増え、相手のためになるからだ。

身体的コンプレックス克服 自分のコンプレックスに思ってた見た目等を褒められると嬉しい。

自分がコンプレックスだと思ってた見た目等を褒められると嬉しい。

私の鼻は、段鼻で、少しコンプレックスに思っていた。が、初カノが、それを褒めてくれた。良いと思う人もいるんだなと、私は思った。

また、アヒル口も褒められた。下唇が薄いというか盛り下がっている。

それでもいいと思えた。

 

最大限休息論 人間休んじゃいけない時は、休んじゃいけない。プライベート編

人間は、プライベートにおいて、休んじゃいけない時に休んじゃいけないのだ。

私は、ワンピースの大将青雉のように、だらけきった正義というものを追究している。何も極力しないようにしている。が、本当に何もしないわけではない。母親に、三食美味しくて栄養のあるスピードクッキングをしている。ただ、100%全部料理するのではない。私が、外食や家にいない時や、睡眠時無呼吸の症状が出てる時、母親がわがままになりすぎてる時は、自炊はしない。八割以上はしている。でも、これぐらいが現在、バランスがいい。しかし、話は戻るが、だらけきった正義を標榜してたのだが、料理はするべきという事がわかった。なぜなら、人間は主体的な活動を重んじる傾向が顕著なのだ。母親に三食料理を振る舞っているという活動だけで、評価は鰻登りなのだ。これをしないと、本当に何もしない人で、生きてる価値がないと思われやすい。

なぜ、個別指導なのか? 守護神の言い回し

なぜ、どこまでも個別指導なのか?

例えば、私が、最高神を味方につけてると、言う。それを信じて、受け入れられる人には、霊能力が使える。

ただ、全く信じない人には、何にも付いてない、または悪魔が付いていると言う。

また、「それなりの良霊が味方にいる」と言う場合もある。ちなみに、ショボい良霊が付いているとへりくだりすぎるのは、最高級の神に失礼だから、その下の神にも、失礼なので、言えない。

相手との関係性で変わってくるのが、現在だ。だがしかし、最終的には、そんな必要もなく、見せられる時が来ると思われる。今の段階では、まだまだ人と会ったり、修行したり、霊的能力はまだまだである。今後変わっていく。