verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

何故私は、得意な料理を活かして、料理人の世界に行かないのか?上下関係が大嫌いだからだが、上下関係のエネルギー交換について話そう

何故私は、得意な料理を活かして、料理人の世界に行かないのか?最大の理由は、上下関係が大嫌いだからだが、今日は、上下関係のエネルギー交換について話そう。

どこの組織にも大小関わらず存在するが、スキルが持て囃されるスキル至上主義教が、大嫌いだからだ。スキルは、無論、最上位的に大切なのは、言うまでもないが、話を分かりやすくするために、このような論調にしてみよう。

料理人の上下関係が無いところなら、私の魂のレベルと周囲の魂のレベルの大差がバレずに、問題が起きない可能性が高い事もあるが、たいてい必ず私は、反発するというか、相手に反省させるために、怒るだろう。それが通用するためには、まだ準備が足りないからだ。現代人は、非常に我が儘で感謝心がほとんどない人が大量発生しているからだ。プレゼントを貰っても、その場ではありがとうと言うのだが、食べたり使ったあとに、感謝心があれば、再度「ありがとう」を言うのだ。プレゼントは、貰わない方が賢いのだ。無駄を省く意識と、一手間を惜しまない意識が足りてないのだ。こういうのができない人が、多くいるし、「その程度なんだな」とはっきり分かる。再度お礼をする気が全くないプレゼントや相手には、百パーセントに近く、断った方がいいのだ。連絡先を知っているにも関わらず面倒くさがる人が少なくないが、実は再度お礼を言うと、相手は凄く喜ぶし、より濃い関係構築になるのだ。良好な関係構築とは、感謝心なのだ。だいたいの失敗は、その人に対して、感謝心で、必要なタイミングで、お礼や謝罪を言わなかった事に起因するのだ。そして、縁が切れるのも、何年後かに相手にされなくなるのも、感謝心がなく、お礼と謝罪をしなかったからだ。感謝心がある人は、何かこういう文章を見た時に、すぐに行動する人なのだ。「あの人に言いそびれてるなー、言い出しづらいけど、言ってみよう」となる。そして、しない人は、馬鹿なだけで、救う価値がない人達なのだが、私は、神様のみ働きのために動いているから、人とは違う動きをしている。

ちなみに感謝心がある状態だと、アポイントも取れるし、相手も喜ぶ事が想像に難くない。感謝心がないと、アポイントを断られる事が多くあるので、そういう場合は、その人に対して、何か悪い事をした事を記憶から引っ張り出して、メールでその文章を伝えれば、相手も共感してくれるのだ。自分の中では、悪い事をしていないのに、相手から返事がなかったり、断られたり、縁が切れるのは、カルマが溜まっているので、猛省する必要がある。感謝心が同じレベルの人同士が、仲良くなるようにできているのだ。

実は、この再度のお礼を言わずに失敗している人が沢山いるのだ。例えば、自分の組織のボランティアに来てくれた人に対して、再度のお礼を言わずに、相手にされなくなる人が多くいる。相手がひと手間加えたものには、自分もひと手間加えなければならない。私は、母のカルマを少なくするために、母が、大伯母から貰ったニンニクを、ペペロンチーノにして、料理している。→□追記 その後、大伯母にお礼の挨拶をした。

お金がなければ、高いお返しは必要ない。

わりあい、少なくない事例として、料理人の世界では、スキル獲得のために、先輩からの圧を我慢強く、我慢していた鬱積が溜まって、更に後輩にその鬱積を晴らす連綿と負のエネルギーが繋がっている。リーダーとして成功するのは、言うまでもなく、自分は嫌な圧力を受けた経験があっても、それを後進や弱い立場の人には、相手のためを思った圧力に変換する事であり、そういう人は愛される上司だろう。後進にスキルを獲得させるために、しごいたりする、相手のためを思った圧力は最大限かけるべきだ。そうでないと、料理人のスキルには達しないし、経営もうまくいかないだろう。厳しい修行を経て、一流のスキルを獲得した人で、飲食店の経営に失敗する人は少ないかもしれない。地域で一番美味い美味しい物は、誰だって多少高くても、食べたい欲求があるからだ。地域で、50番目の味だと、なかなか厳しいものだ。駅から10分以内の15番目までに入れれば、わりあい食ってけるだろう。ただ、25番目ぐらいの味の店の主人は、なかなか味を鍛える努力は、そこまでやりたがらないから、修行時代もそこまでやらなかったと想像できるし、味以外の所で勝負したがり、マーケティングに頼るのだろう。「もう少し美味かったら、人気出そうなのに。ひと手間ふた手間加えればいいのにな」という店は、たくさんあるだろうが、私にはスキルがないから、なんのひと手間ふた手間を加えればいいのかは、助言できないが、一流のプロの料理人なら、一目瞭然と思われるが、まあ同業者に、自分が厳しい思いをして培ったものをやすやすと、甘く教える人はいないだろうし、教える事が逆効果になると考えるケースもあるだろう。「あー、この工程サボってるから、まあサボる人なんだろうな。どうせ、この工程教えた所で、サボるだろうな、教え損だな。まあそういう店もあってもいいんじゃない?!。」と見切るだけだろう。サボらない人じゃないと、抜群に旨い料理は作れないのだ。私は、納得しないことは、サボりまくりだから、気持ちはよくわかるが、納得したものは、とことんやり続ける根性はあるのだ。いや正しい表現ではないな、サボることは多い。というか、「別に自炊なんだから、他の事を優先していいだろ?!、料理中にカラオケや電話とかさ、商売じゃないし」になる。焼き魚に、大根おろしをおろすめんどくさい作業は、ほぼ私はやるけれども、やれない人も多いみたいだ。また、家族のための自炊は、やらないことが正解の場合もたるからだ。あまりに自炊サービスすると、自分が作るのが、当たり前になって、相手が図に乗るからだ。

レシピをよく見て、分量を正確に計って把握して、素早く、一年間に何回も作るのだ。一ヶ月間隔ぐらいで、カレーを作れば、たいてい4回目ぐらいに、自炊としては、そこそこのレベルに達するものなのだ。その素材や料理のレシピの集中期間はあってもいいが、自分も家族も飽きるわけだし、毎日様々なたくさんのレパートリーを作りながら、工夫すればいい。大事なのは、一つの生の食材から、2つ以上のレシピを作ることが、家庭料理で上達を早めるには、必要だ。たとえば、生の鯛なら、鯛の塩焼きと鯛茶漬けといった感じだ。ムニエルでもいいわけだ。レシピの量が少なくなってもいいから、とりあえず何種類か作って、調味料との塩梅や掛け合わせを確かめるのだ。

100回、拘って作ったら、かなりの美味しさになるだろう。やはり、何度も何度も作らないと、誰かに提供するために、誰かが喜んでくれる味で、スピーディーに作るのは、難しいのだ。旨くても、遅いのもダメだし、スピーディーでも、あまり旨くないのもダメなのだ。

やりたがりになり、気を逃すな、ということだろう。

料理は工程だし、料理は、この入力をすれば、この出来の出力になるという同じ現象しか起きない科学だ。美味しい入力をすれば、必ず美味しい出来になる。真心は、2パターン言える。料理に、真心なくても、美味しい合成調味料を使えば、舌は満足するが、食べた時に、それを悪いと感じる心なのか、分かんないという心なのかは、その人次第だ。無論、真心があり、格別な美味しい料理が、食べたいに決まっている。経営の効率化により真心を、違う意味合いに、変える場合も少なくない。料理に込めるというより、ライフスタイルに合わせたり、料理のアトラクションに込めたりする。誤解なきように言うと、人々のライフスタイルに合わせるのも、真心だ。営業時間の最適化だったりだ。味だけに真心を込めればいいわけではないだろうが、味にとんでもない真心を込め、営業時間は少なくて、バイトの人件費を下げてたりする飲食店もあるだろう。逆に、味にはそんなに真心を込めず、営業時間を多くして、バイトの人件費が高くなる飲食店もあるだろう。なので、一概には言えず、何に対しても、総合的な判断だろう。ただ、飲食店は、味にこだわるべきなのは、一番強いメッセージではあるだろう、それをほとんどの人々が求めているからだ。

「あー、おそらくあの工程を手抜いてるな」と分かるはずだ。

飲食店の経営というのは、ハーバードに行かなくても、中卒でも獲得できる、小難しくなく平易で、でも、世相をダイレクトに受けやすい、難しいものであるからだ。

 

また、比較的高度なスキルというのは、人といなければ、身につかないぐらい、大変なので、武者修行は大切なのだ。寿司職人は、ネットだけの独学では、職人芸にはなれないのだ。せいぜい、スーパーの魚寿司を出すぐらいだろう。結局、ネタの練習用の材料費が高額過ぎるので、寿司屋で修行しながら、先輩からの圧力をどうにかかわしながら、やるしかほぼすべての人にとって、職人芸の道はないのだ。やはり、高級寿司は、技術の血晶だろう。

ちなみに、人の圧縮や圧迫がなければ、強度が硬いものは作れないので、あらゆる業界にこのような試練があるのだろう。弛緩してるものからは、濃縮されたものはできないようにできているのだ。魂のレベルが高いが、スキル不足な私の場合は、徹底的な独学か、上下関係がない知人にスキルを学ばせていただき、お金を払う感じになるかもしれない。「たいしたスキルがないんだから、歳下でも、ない人なりの軽い扱いを受けろよ」を、受け入れられるだけの器の広さが、私にはまだないのだろう。歳下に徹底的にシゴカれたり、馬鹿にされる体験はしたくないが、苦汁を舐めたり、善悪受け入れたり、そういう体験も必要なのだろうが、なかなか突破できない壁だ。歳を取れば取るほど、一回りや二周り歳下から馬鹿にされるのが怖くなり、コンフォートゾーンに留まり、歳下との共同協働戦線の構築ができなくなるのが、歳を取る最大のデメリットかもしれない。

 

□追記

とまあ、色々語ってしまったが、ある寿司職人の人の意見と結構〜かなりそこまでズレてなかったみたいだ。最初のブログ記事は、とにかくインスピレーションに従って、暴論的な感じともなりそうだが、書きなぐってみる。ただの知ったかの不安があっても、公開しないと、下書きばかりが増えてしまうのだ。

そして、あとあと、正確な場合もあるが、表現的に思惑とズレがある場合は、訂正するようにしてる。