verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

会社じゃないと

会社じゃないと人は、なかなか厳しくできない。誰だって、関係性を考えるからだ。
「会社では、こうあるべき」と当為論で、強い価値観を形成して、行う。
「必ず、こうしなければならない」これが、社会を成り立たせている。
当たり前だが、コンビニでレジに行ったのに、コンビニ店員の判断で売らない、ということはない。コンビニ店員も、「こいつに売りたくないな、めんどいな」と思っても、レジ打ちはする。たとえ、笑顔はなくても。ここに、「必ず、こうしなければならない」がある。ただ、人には大自由な心があるから、本当は逆の事もしたいのである。それが、溜まると、鬱憤がたまり、鬱積して、鬱になるのである。それを、どこかで解消する必要がある。
ただ、この当たり前がないと、社会が成り立たない。当たり前で、社会は成り立っている。携帯電話も、電話をかけれる。その代わりお金をいただく。という当たり前がある。人間は、この当たり前を、子供の時から、獲得していく。そして、当たり前が通用するときは、獲得した当たり前で生きていく。
会社は、決まりが多い。絶対こうしなければならないというものがある。これは、断れないことを意味する。ストレスがたまる。いや、断ったら、会社が成り立たない。倒産が沢山増えるだろう。本末転倒かもしれない。断りたいという気持ちを押し隠して社畜として働くか。気持ち自体が起きないように、ロボットとして働くかどちらかだ。私は、どちらも良いと思う。人間は、労働ロボットである。そうやって、創った人間と社会を、乗っとる気でいる。弱者に、よりストレスを押し付ける社会である。この世は、弱肉強食だから、仕方ない。そろそろ、従来の人間というのは、必要ない時代になってくるのだろう。