verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

叱り学 叱られ学 叱っていい 叱る 子育て 子供に伝わる叱り方 注意の仕方

叱り学 叱られ学
叱らない人は、叱っていない自分を、認める事だ。叱ると、叱られるのだ。自分を叱っているのと同義なのだ。が、自分を叱っているとは、誰も思わない。これは、叱るのをやめなさいというわけではない。叱っていないのは、自分がした行為であるし、叱った行為は、自分がした行為なのだ。叱らなかった自分を、自己弁護してはならないのだ。叱られた自分も自己弁護してはならないのだ。
ごめんなさい。ありがとうございました。なのだ。
大人だから叱らないのではないのだ。大人だから叱るのだ。そして、自分自身の叱るという今までのアイデンティティを晒すのだ。そうすると、相手は、反撃をする。が、それは愛で受け止めるのだ。また、同時にそれは自分が引き起こしている事なのだと自戒するのだ。叱るのは一対一がいいかどうかは、状況によるのだ。叱るという行為は、自分のアイデンティティを、振動させ、変容する必要があるからだ。それが予見されるから、大幅に魂から、妥協した行為をしているに過ぎない。叱るというのは、愛情なのだ。誰にでも叱るというのも、愛情なのだ。当たり前だが、誰にでも弱点はあるのだ。が、それをさらけ出せる勇気があるかどうかだ。最も魂に忠実になった者同士だから、わかる事があるのだ。喧々囂々と、議論するのだ。それは、古い価値観なのかと、自問したが、そうではないだろう。と、喧々囂々は、セットだと考える。叱り叱られの無意識マップがどこまで進んでいるかなのだ。様々な種類の無意識マップの最深部で、討議したいのだ。最深部が開くと、誰でも嬉しいのだ。理想の平和というのは、決して、メルヘンチックな純愛の世界ではないのだ。このイメージを持っている人が多い気がする。
己の積み上げたアイデンティティと相手の積み上げたアイデンティティの相互交換なのだ。


追記
実名にしないのは、そのレッテルで、そのアイデンティティのまま、生きたくない。大自由でいるのだ。エスパー伊東が、現在病魔と戦っている。が、みな昔のおちゃらけたイメージの記憶に左右されてる。いくら難病と戦っても、英雄ではないからだ。

今週のお題「運動不足」
入院中は、運動不足になりがちだ。自ら、自制して、運動や食事制限をするのだ。中年晩年になると、食事制限が必要になる。

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2011/10/news042_6.html
定年引き上げは、社会にとって、必要な事なのだろうか。若手の活躍が、社会にイノベーションを起こす気がする。既得権益に流される老人を、どうするかだ。社長が約60歳というのは、会社構造的にあまり良いとは言えないだろう。会社のトップだから、キャリアがたくさんあったほうがいいという否定する意見もあるだろう。だが、しかし、キャリアも10年すれば、会社内の出来事も一周するものだ。だから、老人のように、何周もした人でなければならないわけではない。

学生時代、いじめがhoさんにあったかなと思う事もあったが、真相は闇の中だった。学年一強いクラスの人に、注意するのは勇気が必要だ。正直、私にはなかった。こういう相手と向き合わないといけない教師は、難しい職業だ。ただ、雑務をこなせばいい仕事ではないからだ。