verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

最強の無信仰

あたかも、真相真実のように話すこのブログでは、宗教色が強い記事が多かったので、このテーマは価値が最も高い。

最強の無信仰というテーマだ。

これは、どういう事か?人間は、自分の行った強い主張の跳ね返りを絶対的に受ける、報いとも言える。つまり分かりやすく言えば、死刑存続を強烈に訴えた人は、抵抗勢力や他の因果により、報いを受ける。逆に、死刑撤廃を訴えた人もまた、同じ関連の報いを受ける。輪廻転生から抜け出す唯一無二の方法は、この辺りを熟知する必要がある。では、無主張というものが人間にはできるのか?つまり、大賢者は、何も語らない、無主張生活、私達は主義主張の表現をしたくないが、世界に広がる汚染を止める使命がある。

事なかれ主義と誤解されやすいが、、。義憤というものも、人によって、ステージによっては、重要な時もあるから、その時は、常に自分を顧みよう。

事態を好転させるためには、果敢に挑む事もある。

物事に対して、優劣関係と無優劣関係をどう両立ハイブリッド思考表現してるかで、あなたの価値が決まる、、ここはまだまだ記述的に足りない。

最大レベルの無信仰なのだが、強い信心を持つという事なのだ。郷土に対する感謝をたまに、実践する事なのだ。宗教の教えではなく、宗教の教えを信じるのではなく、感謝ができる状態を続けていく事なのだ。故郷に帰ったら、ごみ拾いすればいいだけだ。これが難しい人は、お世話になったお店で感謝の気持ちを伝えればいい。感謝状態にない・感謝を忘れている人は、多くのカルマを知らずに背負っている。感謝状態ができてる人は、自然と親切にしてくれた店に訪問している。あの店が潰れて、感謝の言葉を言えないということが、少ない傾向にある。ただ、あの店にお礼がしたかったと思ってる状態は、全く感謝状態がないわけではない。もう少し具体的に話したいが、長くなるので割愛しよう。

宗教は、人それぞれで、宗教はどこにいてもいいという、普通の常識論も大切で、この最強の無信仰という真実的なものも、常に疑い(0.1%は間違ってるのかな?。細かい話をすると、0.1%は、真実というのは間違いを含有していて、思い込みが強すぎると、内外反転作用により、自分達に脅威暴威をふるうのだ。)、そして改善しようという意識を保てるような状態に戻せるようにすべきなのだ。

 

本物の霊能者は、普段脳の中に何もイメージが流れ込んでいないのだ。常に「無」なのだ。そして必要な時に、必要なイメージが流れるような特殊状態とも言える。

 

 

蛇足だが、重い話ばかりだと疲れるので、少し軽いテーマにしよう。

 

自分に縁がない人はいるが、自分に全く無関係な人は存在しないという事柄は、どのように思うだろうか?

例えば、屋久島に一度も行ったことがなく、屋久島の○○さんというのは、全く縁がないと仮定する。でも、もしかすると、選挙で同じ政党に票を入れているとしよう。そのような場合、無関係なのだろうか?同じ政党を支持する同志の可能性を考える事もできる。

 

もう少し補足できる日が来れば良い。

 

□追記

最強の無信仰は、どういうものか具体的に書いていこう。例えば、キリスト教の讃美歌と仏教の般若心経を交互に聞きながら、唱えるのだ。どちらにも偏らない

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。このご縁に感謝です。