継続は力なりと、マンネリ惰性の魔
「継続は力なり」ということわざがある。が、継続していも、マンネリや惰性というものがある。これは、見極めが、とても難しい。何かをし続けている自分というのは、アイデンティティを蓄積している。が、そのアイデンティティによって、人を苦しめているのだ。私の母は、英語をずっと勉強している。が、それは、惰性になっている。が、それに本人は気付いていない。例えば、私は、少年ジャンプを読み続けていたが、途中で、惰性を感じて、続けるか迷ったのだ。が思い切って止めた。これは、英断だった。やはり、後々考えて見ると、いらなかった。誤解しないで頂きたいのは、少年ジャンプを読む人が、ダメだというわけではない。読んだ方がいいステージもあるからだ。特に、少年時代には、マンガというものは、とても無意識世界を、うまくカモフラージュして、伝えているのだ。この事に、気付くのも、一つの悟りの境地だ。目に見えるものと、目に見えないもの、双方を追究すると、ある時、ふと気付く。そして、19歳の時に、エヴァンゲリヲンの世界に、猛烈に惹かれていた。当時は、謎過ぎて、わけがわからなかった。色々な説を見ていた。が、今ではほとんど、どういう無意識世界の真意かわかるようになった。「このシーンは、無意識世界のこれを表しているのだな」と。全然気が付かなくて、ごめんなさい。と伝えたい。やはり、とても表現者というのは、精密に考えて作成しているのだなと思ったものだ。全てが繋がってくるのだ。ごめんなさい、傲慢で。一瞬の傲慢が、違うところに来るのだ。特に、自分達が作成したという傲慢が、一番の命取りだ。神と共に作成したのに、自分がさも作成したような顔をしていないだろうか。私は、恐ろしい。だって、魂と神は、いつでも内外反転を起こそうと思って生きた方が謙虚で居続けられる
。
追記
ヱヴァンゲリヲンがよくわからなくなった。逆に小難しいのは、あまり好きじゃなくなった。内外反転の法則がある。 -エネルギーがたまり過ぎると、過度な-場面が訪れるようになっている。