verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

組織の回し方


苦労をしているのは、カルマを積んでいるから、苦労しているのだ。この事が世界の人が熟知していれば、変わってくるのだ。「苦労しているから、偉いのでない。本質的には、カルマを積んでいるから、苦労している。積んでいなければ、苦労しないということ。そこまでいくのは、なかなか大変な道だが、そこを悟る事が大切なのです。」「俺苦労していないよ」という人の方が、人生をしっかり運営しているのだ。端から見ると、大変な業務をしているが、本人は至って、冷静にしている場合なのだ。「苦労してきたよ」とばかり言う人は、カルマ積んでいた事を、過去の事を忘れている、もしくはちゃんと見ていないだけなのだ。むしろ、何がなんだかわかっていないので、人を他責ばかりしているのだ。そして、もっと深刻化させているのだ。
どのようにしたら、組織で潰されないのか。潰す側からすれば、「あいつ、うざい。どうにか潰したい。どうやれば追い込めるか」というものがある。やはり、物理的に潰そうと思えば、潰す事ができるのだ。それは、配置転換などの人事的な行為や、お金関係に関わる予算的な行為である。自分が予算権や人事権を持っているのに、それを覆そうとする人に対しては、徹底的に抗戦してくるものなのだ。こちらとしては、どうしたらより純粋にやれるかと考えた上で、そのような行為をするのだが、相手にとっては、脅威そのものなのだ。勿論、長い目で見れば、結局、そのより純粋意識に近い方に従った方がいいのだが、やはり相手の画面には、脅威にしか思えないのだ。なので、サラリーマンで、何かしらそのような改革をする人は、用意周到な根回しが必要になるのだ。俺は、浅はかだった。純粋意識的に考えたが、自分もまだまだ純粋意識に従いきれないというのがあり、結局そこで失敗に終わるのだ。そうすると、やはりそれが途中から反転してしまうのだ。どこに自分が純粋意識になりきれていなかったかというと、相手の下につくアイデンティティを取る行為をしていなかった事だ。そうすると、相手は、猛反発してくるのだ。この辺りに失敗の要因があるのだ。また、途中からやはり辞めとくかという判断になりやすいのだ。そうすると、その予算と人事権を獲得する立場になるまで、待つ必要があるのだ。ただ、そうすると、自分が既得権益側になり、それを死守しようとするのだ。俺は、そこまでやる気持ちには正直なれなかった。なぜなら、それを社長から任されていたわけでもないし、何十万人といった大きな規模の多くの人のためでもないからだ。大阪都構想等は、やはりそれぐらいの規模の話なのだ。そういう視点で見れば、やはり一個の塾教室の運営に、そこまで一人でバーを上げて、取り組むのも、少し違うものなのだ。相手も、そのような視点を持っていたと思うのだ。「たかだか塾教室で、売り上げもそんなないものを、そんな熱意込めても仕方ないでしょ。」というものだ。なので、俺は引いた。やはり、あまり意味がないからだ。正直そんな誰も、そこまで塾の運営に関して、気にしていないのだ。そういうものなのだ。これが、学校単位や、大学等のより大きな規模であれば話は変わってくるのだ。やはり、それだけ影響力が大きいからだ。やはり、人がどれだけ物理的に影響しているかというのが、判断の目安になるのだ。だから、純粋意識の上げ過ぎも、相手がその意味を理解していない場合、ただのお節介のように思われるのがオチなのだ。そして、問題は、表沙汰にならずに、火種として渦を巻き続けて、ある時表面化するのだ。それの繰り返しなのだ。teamで、純粋意識を持ち続ければ、物事は、ショックな事も多いが、それだけ問題は未然に解消できるのだ。そのショックを敵と見なすと、問題は、隠れてしまうのだ。ただ、この深い意識層のやりとりを、本音のディスカッションを日本人は、あまりしないから、問題が後で肥大化してしまうのだ。これが、今の日本社会にくすぶる社会問題の原因になっているのだ。そして、そのぶつかり合いを避けるから、また問題が深刻化するのだ。どちらもその純粋意識でやれば、その深い意識層が、クリーン化されて、問題が深刻化されない。いつも、問題が未然に解消されていれば、すっきりするものなのだ。どの人もその意識層に多くのカルマを溜めているから、それを解消する行為が必要になるのだ。この深い意識層に対するクリーン化の概念への共通理解が、この世界を平和にするのだ。日頃の悪想念を溜めた分の蓄積で、目の前に問題が起きているのだ。事件の際に、その深い意識層にいくものなのだ。そして、あれこれやるものなのだ。その際に、きっちり問題提起をして、きっちり共有事項を話し合う事が、未然のトラブルを解決するのだ。なので、誰々が悪いというのをしていると、それを増長してしまうのだ。リーダーとサブリーダーはその事をわかって、問題提起をする必要があるのだ。そうすると、フォロワー役も納得するのだ。お互いのカルマが溜まっていて、それの解消のために、このような激突をしているというのを、teamで共有していく必要があるのだ。だが、自分で何でもしたい人がいると、そのような事はわからないものなのだ。俺もそういう時期があったので、よくわかるが、それは自分を不幸にするのだ。執着心で、そのような事をしているのだ。強迫観念的に、物事を曲解しても、それはただ問題の先送りをしているのだ。
闘病生活中だから、それをできるだけ続けながら、乗り越えていく必要がある。