verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

性欲の完全(!?)克服方法 同性愛者になる方法

完全や方法という言葉の注意する点は?

完全克服方法って、人目を惹く側面があるが、異常に強すぎるフレーズだ。自戒が必要だ。
まず、完全というものは、、。秘匿事項もある。
完全というのは、煩悩が生み出した言葉である。分かりやすさのために作られた言葉である。
完全という言葉を使う人は、全く信用できない
本人が、完全と思い込んでいるに過ぎないのだ。
完全があると思っている人は、完全についての研究が足りない。
だから、この文章も読まなくて良い。

克服や方法という言葉についても、そろそろ書いてもいいかもしれない。
方法というのは、一つではない。では、どれくらいあるだろうか?
とても多くあるのだ。それらの全部を文章に書ききれるわけがない。
絞る必要が出てくる。そうすると、網羅的にできない。自分の体験や誰かの体験を書く事になる。

性欲の完全克服方法とは、どういうものなのか?

以下は、昔に書いた記事で、敢えて載せてる。消すかもしれない。

        • -

長年の人類を悩ませた。私も悩んだ。彼も悩んだ問題だ。
性欲の完全克服法である。少し長いのだが、比較的簡単に表現するように努めた。
そして、かなり下の方(追記)に異性愛者が、同性愛者になる方法と、その他(虚)である。

巷には、ヨガの運動。激しいスポーツ。とにかく忙しくする。とにかく我慢する。
または、向き合うのをやめて、もう開き直る。等々がある。
が、やっとこの問題に終止符が打てた、解けたのだ。

性欲は、時として、特に若い男性は強い。
手っ取り早く済ませるオナニーをすると、性エネルギーが逃げてしまう。因果応報の、「因、特に悪いカルマ」は、どこで積むかを、このblogでは伝えている。神に頼めば、夢精もしなくなる。また、精エネルギーの充満方法もありそうだ。

どこかの密教の教えのセックスを用いた昇華というのは、やはり、欺瞞なのだ。
「なんか怪しいな?ただのセックスしたい嘘じゃない?」と思っていたものだ。

また、通常のオナニーは、過剰な動画やペニスのこすりが必要になる。それは、あまり精神的に負けた感があるのだ。
それをどうしたらいいか。
長年の答えが出た。

予備知識として、この記事も参考になるだろう。
絶対的正義 意味 絶対神 いるのか - verymuch8’s blog

絶対的正義 問題点 意味 絶対神 いるのか この世に神などいない - verymuch8’s blog

意識の器と無意識の器というものがある。

「意識の器」で見ると、性欲が充足されるのではなく、性欲が増幅するのだ。それにより、カルマが微少に溜まるのだ。


が、無意識の器で、女性の少しだけ派手な格好の写真を、間接視野で、捉えると、肉体の性器の器官自体は、それなりに活発に動くのだが、通常の性欲での、頭の中にムラムラとしてものではなく、
魂体の充足を感じる事ができる。

ただ、一瞬写真だけ見ても、充足はしないのだ。少しばかり時間がかかる。
要は、どうしても、性に関する物体次元のエネルギー交換が、必要なのだ。
親鸞聖人は、性欲の完全克服はできなかったという説があるが、どうやら間違いなのだと神に教えてもらった。
が、普通の人は、なかなか完全克服するのが、難しいのかもしれない。
友人は、性欲が沸かないらしい。が、ある程度の人は、沸くだろう。なので、この話を続ける。
あとは、ペニスの下腹部(pc筋?)というのは、普段使わないので、おそらく、そこの振動を体が求めているようだ。ここが、充足される事が必要そうなのだ。
よく考えれば、夢精というのは、そうとう、睡眠中に、このpc筋運動と立体セックス感がなければ、出ないものなのだ。



それはさておき、この方法で、肉体の性エネルギーは、外に出て行かず、性エネルギーの交換になっている。
これは、セックスともまた、違うものなのだ。
やはり、射精行為までいくと、性エネルギーが外に出てしまう。スポーツ選手も大会中は、セックスを自粛するように、性エネルギーが外に出てしまうと、動きが鈍くなるのだ。
また、聖書や仏典にも、自粛ムードがある。
また、たとえ、セックス時に、射精行為までいかないとしても、確かに肉体の性の充足にはなるかもしれないが、なかなかそうもいかないし、強烈な我慢になってしまうし、その後の関係性も危うくなる。
出さなきゃいいのかというと、そうでもないのだ。セックス自体が、カルマを溜めやすいというのもある。

やはり、意識の器だと、何事も情報過多になってしまう。
無意識の器のまま、セックスができ、射精までいかずに、強烈な自制心で、引っ込めて、充足するかはわからない。
セックスが、誰もが好きなのは、5感覚を全て満たす刺激が強いからだと、お釈迦様が表現していたらしい。
が、無意識の器を使える人は、気にならなくなる。
が、どうしても、体が何か疼くのを感じないだろうか。
勿論、格闘家でも、ある層の無意識の器を使いながら、機敏な動きとして、戦う人もいるようなので、何とも言い難いものだ。

が、おそらくは、性エネルギーの充足と、性エネルギーの交換という点では、前述のやり方が、ベストなような気がする。
なぜなら、激しい動きをすると、どうしても、意識の器になってしまうからだ。
また、意識の器状態で、過剰に性欲を抑えつけると、反動が出る。
また、夢にも出てきて、途中で起きることや、起きた時に少し嫌な気分や、夢精にまでつながる。夢精にまでつながるのは、確かに忍耐強いのだが、性エネルギーの循環が滞っているので、女性にモテなくなる可能性がある。
無意識の器を使いながら、普通に女性と交流していると、モテるようだ。
性的なイメージングでいいのかと、思う人もいるだろう。
が、思っている相手に失礼だし、カルマになる。
また、物体次元の交換にならないので、イメージングだけでは、どうもダメなようだ。
それは、物体対物体での交換にならないからだ。
セックス等の肉体対肉体だと、余計な事が増えるのと、そうでなくても、カルマが増える可能性が高いのだ。
それにしても、どうしても、肉体の性器の鼓動は必要なのだ。
それは、人間は、どんなに頑張っても、食べ物を少量でも食べる必要があるのと同じなのだ。が、それを言い訳にしている大人が多いのだ。しかし、とにかくめちゃくちゃ我慢するというのも、健全とは言えない。確かに、触れなければ、あまり問題がない。

これで、寝る時に、エッチな夢を見なければ、成功なのだ。
何事も、起床時と睡眠時を足したものなのだ。
そうすると、深い層の、夢になったり、日常生活が最適化されてくるのだ。

ちなみに、意識の器で写真集を眺めるのも、確かに性エネルギーの交換ではあるのだが、そうすると欲のカルマを溜めてしまうのだ。
まあ、過剰な性より、マシなのだが、やはり無意識の器と、この鼓動的写真法が、最適なようだ。
人間自体に、差別性を持たない精神なので、公にされている性的写真は、OKなのだ。
なぜ、人は、どうしても性欲に勝てないのかわからなかった。
肉体で満たして、同時に、魂体も満たす必要があったからだ。
次点としては、ヨガによる股間の圧迫法等の運動と無意識の器の併用が考えられるが、おそらくそうすると、異性との性エネルギーの交換にならないという弱点があるのだ。
あとは、五感覚の遮断法は、それはそれで凄い修行をしないと、できるようにはならない。

ちなみに、じゃあ聴覚、要は卑猥な音声に対しては、どうかという人がいるだろう。

音波を、聴覚で聞くと、人間は、どうしてもその波長に限定されてしまうのだ。
波長の同調性法則なのだ。

モーツアルトなのか、B'zなのか、アニソンなのか、で波長が同一化するのだ。
これは、高波長の音声というので、周知されているものだ。

無意識の器を使いつつ、聴覚の音波次元で、低周波のエロ音声を聞いて、無意識の器を保ちつつも、肉体の性器の鼓動を打ったとしても、魂体次元までの、響きにはならないので、肉体止まりの充足になり、若干のカルマになる。

裏返せば、これにより、視覚での可視光線の範囲と、聴覚の音波の範囲が区別がつくということだ。

また、聴覚遮断法を用いた場合、そもそも音波遮断のヘッドホンをして、聞いているのと同じでエネルギー交換にならないのだ。
自分が魂体次元の体感覚で、感知しているかのチェック法にもなるということだ。
どんなに頑張っても、エロ音声では、魂体まで届かないのだ。魂体には入ってないなという感覚を持てるかどうかだ。
これを持てば、あらゆる事が、魂体まで入ったかわかるのだ。たとえ、現場でエロ音声を出している人の場合は、少し違うというわけでもないのだ。


普通の音声や写真を、卑猥に妄想するのも、妄想のカルマになるのだ。

写真ではなく、AV等の動画だと、過剰になるのだ。
ただ、写真も、性的な描写が全くない写真は、若干のカルマになるのだ。誰だって、相手に使われている事が知られたら、嫌だからだ。
清楚系のアイドルの普通の写真等もダメなのだ。
じゃあ二次元でも、いいじゃんというと、二次元は、少しカルマになるのだ。
これは、5次元的存在の人間が、アニメなどの二次元的だと、少しカルマになるのだ。
が、生身の五次元的人間に対して、肉体と魂体の充足で、同じような視観法をするのも、カルマになるのだ。
なので、やはり少し性的描写がある写真が、カルマを溜めないのだ。
では、恋人の淫らな写真は、どうかというと、管理のカルマになるのだ。例えば、別れた場合や、自分が、急に死んだ場合に、あると嫌がられるのだ。流出で事件になったりする。
なので、公にされている少し性的描写があるのが、ベストな写真なのだ。

一ヶ月に10分だけ、この性欲克服方法で、カルマを溜めないのだ。
まあ、なかなかここまでは、正直なところ大変なのだが、魂は、そこまで行ってほしいようだ。
私は、ガイドラインは示す役目なのだ。
性欲の無意識マップの完了だ。
ただ、年齢にも因るが、夢精は出るものだ。こればっかりは仕方ない。高齢者になるほど、一例をあげれば、70歳の男性は、夢精しないみたいだ。

【睡眠欲について】

あとは話は変わって、私を悩ませている睡眠欲の完全クリアなのだ。
ここは正直もう辛いのだ。
睡眠というのは、かなり個人差がある分野だし、一概に寝るのが悪いとも言えないのだ。が、その人にとって、完全クリアに近い睡眠と起床というのがあるのだ。寝なさすぎという人もごく稀にいるのだ。
この絶妙なラインというのは、誰かのために、睡眠時間を削って作業をする精神を持ち続けながらも、うまく睡魔と戦いながら、最適状態に持っていく事なのだ。

ただ、寝ないといけないときには、寝ないといけないのだ。自分勝手な夜更かしもカルマになるのだ。夜更かしをしたくなるが、我慢して寝るようにするのだ。が、私は大の睡魔負けが多いので、かなり苦戦しているというのが、正直なところだ。時と場合と状況によって違うのだが、これは、手に入れないといけないものなのだ。
要は、場合によっては、相手に徹夜で付き合うものなのだ。ただ、勿論これも無意識の器を使いつつなのだ。
ちなみに、睡眠時の夢の中の意志は問われない。
起きている時なのだ。
言うなれば、いつでもシャットダウンができるのと、いつでも駆動し続けるのができるかなのだ。

ドラえもんの、のび太くん的な能力と、睡眠要らずなジョジョの究極生命体のようだ。
真言宗の住職は、修行中は一日五分なのだ、まあこれは例外的だ。睡眠には、超回復方法がある。
通常パワフルな社会人は、三時間から、五時間までだろう。
私は、シャットダウン法はほぼできる。どこでも意識を落とせる。が、起き続けるのがどうもダメなのだ。また、どうしても寝たいという欲に勝てないのだ。無意識の器を使いつつというのも、かなり厳しいのだ。なぜなら、無意識の器は、シャットダウンに近い層なのだ。
要は、意識の器でピリピリ状態興奮状態だと、起き続けやすいのだ。が、周囲に寝不足的で、悪想念を出してしまいがちなのだ。
なんともあれ、私は、この言い訳で、だいぶ周回遅れなのだ。

意識の器と無意識の器のアップダウンと、ある一定の下層に留め続けながらも、最適な行動というのを、し続けるのだ。
これは、なかば諦めたい部分だが、根気よくやるしかない。

糞便欲というのは、もう一定クリアした。これは、やる必要がないようだ。食事をすれば、自然と便は出るものだ。

まあ、性の無意識マップの話に戻れば、人には、ある一定の範囲があるのだ。
例えば、AV男優が、この性欲の完全クリアまでは、求められていないのだ。職業的なものの特性だ。
が、一般男性は、実はここまでやるのが、高次元の存在に求められているかどうかは、まだ明かさない方がいいだろう。性に負けると、恋人や家族関係が悪化するのだ。


清らかさを求めての自己克己の歩み・・・“性欲”との闘い

当ページは移転しました


性欲とアセンション - mitamareiki’s diary

http://mitamareiki.hatenablog.com/entry/2016/07/06/024317

http://mitamareiki.hatenablog.com/entry/2016/07/06/024317

魂の法則 その⑰ 淫乱と色欲 - 飄(つむじ風) - ようこそ!つむじ風ねっとブログサイトPartⅡへ

閉鎖中 : ようこそ!つむじ風ねっとブログサイトPartⅡへ (Close this site)

□追記
やはり、エロい夢は見なかった。一定の実験効果が見られた。
が、なかなかオナニーやセックスの衝動というのは、強いものなのだ。


□再追記
この記事自体も、難しすぎる面がある。他の記事の方が、タメになると思う事がある。
性欲に関する分野、これも、個人的感覚として、正直どうでもいい分野になってしまった。
悩む人は、オナ禁に取り組めばいいし、できそうにない人はしてもいい。
夢精しなくなる年齢というのもあるようだ。また、夢も操作すると、夢精も起きなくなるようだ。オナ禁して、二ヶ月以上夢精もしてない。エロい夢は、たまにみる。

□再々追記
人間にとって性発射がいけないのかどうか、なかなか良霊は教えてくれない。性器には、神経やエネルギーがたまってる感じがする。叩くと痛いからだ。あと、擦ると感じるからだ。

□追記(異性愛者が同性愛者になる方法)
昨今、同性婚の問題が急激にクローズアップされてる。圧倒的に数が多い(マジョリティ)の異性愛者から、マイノリティの同性愛者に対する根強い偏見(「気持ち悪い」、「おかしい」等)があるが、長年の啓発により、傾向が変わってきた。同性婚を認める国も出てきている。同性愛に対するイメージも、全体的に変わってきた。
また、同列ではないが、性同一性障害も、変化してきてる。一昔前に、女優の上戸彩がドラマで好演をしたのが、印象深い人もいるだろう。性同一性障害なら、「本人は悩むだろうが、手術したらいいんじゃないだろうか。でも、性同一性障害のまま生きるのも良い。」「服装は選べた方が良い」「心と身体、どっちを取れば良い?」と、思ったものだ。
同性愛者にとって、「愛の形は、人それぞれ」という前向きなイメージが広がっている。

翻って、異性愛者が同性愛者になる方法である。
元々の同性愛者は、除く。元々の同性愛者に関心がある人は、当事者の気持ちを聞いたり、調べよう。今後、同性愛者から、異性愛者になるルートの展開につながるかもしれない。
異性愛者の壁がある。
やはり、性器からのエネルギーが強い。親鸞聖人も、性欲の完全コントロールは、できなかったと言われる。歴史上の聖人(イエスやブッタ等)は、できたのだろうか?諸説あるが、見解を伸べよう。「多分、できなかった。でも、、、」。性欲の完全コントロールができる人は、異性愛者が同性愛者になる方法、反対に、同性愛者が異性愛者になる方法についても言及したくなるからだ。
それと、現代人は、ある情報量(パソコンやスマホの情報量等)としては、聖人君子を超えているのだ。ここも将来書ければ良いかもしれない。

性欲が湧かなくても、パートナーになる人もいるだろう。現在、肉体のパーツの全部を変える事はできない、一部を変える事はできる。未来には、肉体のパーツの全部を変えられるだろうか?
学生の頃には、なかなか同性愛者に実際に会うことはなかった。「この人、同性愛者かも?!」と思うことは、たびたびあった。なかなかカミングアウトされなかった。時代も変わり、カミングアウトしやすい雰囲気にもなってきた。
恋愛対象も、同性愛者も異性愛者も、個性だ。








また今後、詳しく書ける時間と労力があれば良い。


mucunren.hatenadiary.jp

最後までお読みいただき、有り難う御座います。このご縁に感謝です。

頭が良いという幻想 本質の追求

頭がいい人が作る社会が、頭がいい人が問題の本質がわかっているという幻想を、そろそろ止めにしませんか。
という問題提起だ。
もうそろそろ、気付こう。
どの人も一緒だという事に。どの人も、何かしらの鍵を持っているのだ。これが、民主主義なのだ。

どの人も、素晴らしいのだから、もっと尊厳な心を持つのだ。が、傲慢になれというわけではない。

理屈をつけて話せば、頭がいい人は、世間的に頭が良いとされる脳内データを構築したことで、その脳内データを消去しないかぎり、問題の本質に辿り着けないのだ。
逆に、頭が悪い人は、自分の脳内データに、好き勝手なものを入れているし、浮かんだ良い無意識イメージでも、周囲に説明ができないという側面がある。
例えば、誰かに会ったときに、「ビビっと来た」のような表現だ。が、それは本質的なイメージの言語化なのだが、それを多くの人に伝達する訓練を受けていない。一方で、頭のいい人は情報をいれた分だけ、感度が弱まる傾向にあるのだ。そうすると、その本質的イメージが浮かばず、言語化するトレーニングは受けているから、浮かべば、言語化しやすいのだが、結局浮かばないのだ。
このようにして、頭のいい人と頭の悪い人の間に、コミュニケーションのギャップが生まれるのだ。


頭だけで考えると、わからない。頭だけで考えると、わからない。感情だけでも伝わらないのだ。
自分と反対側と思っている人が、問題の答えを、持っているのが多々ある。そういう意味で言えば、どの人も、変わらないのだ。
流行りの言葉で、無化やゼロ。普通、ゼロベースというが、本当にゼロベースかというと、そんなことしてないのだ。

「頭が良いな」と思う人の特徴 頭の回転が速い、本質を瞬間的に見抜く - ライブドアニュース

「頭が良いな」と思う人の特徴 頭の回転が速い、本質を瞬間的に見抜く - ライブドアニュース



私は、「本質本質、本質は何か」とばかり、考えてきた。
問題の本質というのは、実は、ないのだ。本質を作っているのは、脳だからだ
勝手に問題を作って、問題の解消に翻弄されるのだ。自分で問題を作っているとは、あまり誰も思わないかもしれない。

誰かが表現したモノを、「これ、本質じゃん」と本質だと思うのは、自分よりも、思索に富んだ無意識イメージなだけなのだ。
「じゃあ、脳が死んだら、解決か」
死んだ後も、続くのだ。
死んでも、魂体と霊体は残るし、脳機能は維持されるので、魂になっても、同じような事が続くのだ。
ごめんなさい。個人的な事を大事にするのが、幸せなのだと気付かされた。
「あ、このblogが個人的な事か」と気付かされたのだった。自分の心が、重要な問題解決の鍵を持っている事に気が付くべきなのだ。
無意識イメージの疏通が必要なのだが、これからその領域が発展するだろう。

新しい国語の融合問題① 諺とイチローと日常

新しい国語の融合問題
覚える事が重要ではなく、活用する事が重要なのだ。これは、論をまたないだろう。
これからの時代は、
既存学習事項と、日常生活、そして先端事例、宇宙のヒトツの動きをリンクさせた
「四角形的スパイラル学習」が、誰にでも必要なのだ。

設問①
(ことわざで、「油断大敵」というがある。油断大敵の意味を知る。)

明鏡国語辞典MXには、ゆだんたいてき【油断大敵】
[名]
油断は失敗を招くもとであるから、何よりもおそろしい敵である。
と書かれている。
(当たり前だが、意味の理解だけでは、物凄く弱い。)

その言葉の意味を考えて、自分の日常生活で、「油断した場面」と「油断を回避した場面」を記述しなさい。

(これで、日常に活かすことができる)

更に、アスリートのイチロー選手は、イチローの流儀という著書で、「一日の反省はグラブを磨きながら。昨日試合後に何を食べたか、よく眠れたのか、ということから、実際にゲームが終わるまでに起こったすべてのことをよく振り返って考えてみる」という油断しないような取り組みを日常生活でしている。イチロー選手は、先端事例としての紹介である。
これで、自分の無意識マップを、無意識マップの先駆者と比較することで、自分なりの振り返りができる。

そして、更にいえば、
宇宙のヒトツの動きとのリンクがある。
が、今回は、置いておこう。


このような一連の流れを講義中に学習するのだ。

それをグループで相互意見交換と、先生役からの質疑をするのだ。

東大ではなくオックスフォードだからこそ得られる価値とは? オックスフォード大・苅谷剛彦教授インタビュー(オックスブリッジ卒業生100人委員会) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

東大ではなくオックスフォードだからこそ得られる価値とは? オックスフォード大・苅谷剛彦教授インタビュー(オックスブリッジ卒業生100人委員会) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
刈谷ツネヒコさんの書籍も、参考にさせていただいている。オックスフォードからの圧力だけでは、日本の教育改革は、足りないのだ。整理整頓が、きっちりできるのだ。

オックスフォード大学のゼミから、内容の高度さを取り除き、中等教育に活用するためのものだ。

この諺というのは、なんでもいいのだ。


意味を知るというインプットは、中等教育から、変えていく必要があるのだ。問題形式を変えていけば、教育は変わるのだ。
意味のインプットに関して、家庭での学習を増やし、授業は、意見交換に当てるのだ。
今でも、このような取り組みは十分とは言えない。
入試問題を、日常生活に活かした形式に変えれば、それで事が足りるのだ。
18歳までのどの人も入試問題を、目標に据えているからだ。
負荷を漸次的に変えて、稚拙から技巧に変化させていくのだ。何をしているかどうかを表現すれば、先生役も、どういうレベルかがわかるのだ。




ーーーーーーーーーーーーーー
以下は、読まなくて良いものだ。

これは、散文的エッセイだ。自分の娯楽と自戒をするために書いている。
設問① 貴方の油断した場面を、散文的エッセイを書け でいいのだ。


循環が回っていると、気持ちが良くなる。が、それだけではないのだ。感謝を忘れている事に自分で、気付く事なのだ。私も、ついつい、万物への感謝を忘れた状態で、油断をしてしまうのだ。それは、金銭的なプレッシャーと引き替えに、しっかりとやるべきものなのだ。
ついつい目の前の、粗末な人間勝手な考えに染まってしまうのだ。これが良くないのだ。ある意味、スポーツ選手よりも厳しい。それは、スポーツ選手は、試合があるので、試合中に肌の感覚で、油断がわかるからだ。
が、一般の人は、自分が油断しているという事も忘れてしまいがちだ。ただ、誰もその甘さを指摘してくれる人はいないのだ。それが、自立した人間というものだ。
なので、感謝学という学問がしっかり普及してくれる事を祈りたい。
自らを律するのだ。ごめんなさい。ありがとう。なのだ。
つまり、人間は、自律し続ける生き物なのだ。私は、大量破壊兵器のように、大量に油断してしまい、結界が崩壊してしまった。これは、余りにもムゴかったのだ。が、きちんとペースを守る事で、変わってくるのだ。
人間の無意識マップを広げるには、自律させながらも、横道にコースチェンジさせるように、仕掛けるのが得策なのだ。それは、人生の転機というものでもある。感謝状態からの異様な変化に気付くと、物事がまたスムーズに行くのだ。
何かを持ち続ける事が、どれほど怖いか、貴方はまだ知らないのだろう。人間には、触れると恐ろしい世界があるのだ。そう、パンドラの箱だ。開けてしまってからでは、遅いのだ。人間は、やはり檻の中にいた方が、気楽なのだ。
後で、謝っても、後の祭りなのだ。やはり、知的好奇心と勇気であっても、開けていけないものがあるのだ。
開けると、この世界の真相が肌身でわかるが、とても怖い世界なのだ。ごめんなさい。ありがとう。人間には、普通の恐怖が必要なのだ。
どれほど、この肉体がある事で、気楽な世界を生きているかは、あなたはわからないだろう。どの人も、地獄には行かないように気をつけることだ。
どんなに虚勢を張っても、そこには立ち寄ってはいけないのだ。開けてはいけない箱があるのだ。どんなに怖いとされるホラー映画よりも、怖いのだ。ホラー映画は、とても有り難いのだ。ホラー映画の主人公に視点転移するのは大切なのだ。人間が考えているより、もっと真相は怖いものだからだ。が、無知な私は、その怖さに気付かないのであった。
ーーーーーーーーーーーー
感謝、油断、パンドラの箱、ホラー映画
への感謝と展開するのだ。

エッセイ、随筆、小論文の違いと共通点

エッセイ、随筆、小論文の違いと共通点

人生で、絶対的にやってはいけない事の教育 悪魔霊媒 悪魔 実在

私は、無知だった。この世界で、絶対的にしてはいけないことがあるなんて。教訓と自戒のために、書こう。
人生で、本当にやってはいけないことがある。ランキングにしてみた。
①悪魔霊媒 (偏差値74~偏差値90)
ーーーーー 悪魔を霊媒して、悪魔と戦おうとすること、かなり際どいキツい状況に追い込まれる。
②恒常的な自殺願望や復讐などの悪想念発揮(偏差値64)
ーーーーー 悪想念はあまり出さないほうがいい。
③日常的なカルマを溜める動作(惰眠。過剰なセックスやオナニー。過剰なゲーム。過剰な情報収集)(偏差値54)

といったものだ。
①番だけは、絶対に絶対にやってはいけないのだ。勿論、やろうと思って、できる人とできない人がいるが、できそうな人は、踏み入れてはいけない。これは、そこいらの心霊スポットにいくというレベルのものではないのだ。

②に関しては、悪いのはどの人もわかるが、知らず知らずに、結構色々な悪想念を自分で蒔いているのだ。これは、ピンきりなのだが、警告のために、二番にした。
三番は、まあ魂的に悪いとは、誰もが感じているはずだ。
ちなみに、人殺しに関しては、状況にもよるが、偏差値68なのだ。
心霊スポットに行く程度は、偏差値54ぐらいなのだ。①と②をしないだけで、まあ人間らしくは生きられるのだ。カルマを溜めないために、③も配慮するのだ。

あくまで目安なので、状況により、変動はする。が、目安がわかれば、それをしないように努める事ができる。
私は、このランキングに載ってることは、しない。怖すぎるからだ。日常的動作の③も、塵も積もれば山となるという意識が大切なのだ。ごめんなさい。ありがとうございます。
逆に、人生で、本当にやったほうがいいことというのも、存在するのだ。
分かりやすく言えば、何事にも感謝なのだ。感謝というのは状態なので、感謝状態をキープするために、動くというのはあるのだ。

日本で絶対にやってはいけない8つのこと―中国ネット -- Record China

日本で絶対にやってはいけない8つのこと―中国ネット
まあ良くない。マカオでも同じでしょ。

私は、絶対にやってはいけない呪い系に関しては、あまり興味がない。自分が好きだからだ。自我呪文もありなら、人間は手を出すものだ。

□追記
数年以上の激闘や死闘により、悪魔等()は、本当に全然悟らないが、改心させることに成功した。天国確定ゾーンなので、それは副産物だ。悪魔払いで、霊媒させずに、する方が危険は少ない。

□追記
まあ、悪魔との戦いが終われば、平和な平穏な世界が待っている。ただ、時間はかかりすぎるから、他の事ができなかった。物凄い報いを受けなければならないが、この世で絶対にやってはいけないことはないとも言えるのだ。は

小宇宙論 人間の体の三重性。人間の体は3つ以上ある?

人間小宇宙論というものがあるのを、耳にしたことはないだろうか。
肉体、魂体、霊体で話がつく。

宇宙の中 をぐるぐる回る。 (肉体的観点)
宇宙の外 をぐるくる回る。(魂体的観点)

宇宙の外と中をひっくり返しながら、往復する動き。(霊体的観点)

宇宙の中を、物質で動く動き(肉体的観点)中での、エネルギー交換に留まる。
宇宙の外を、反物質で動く動き(魂体的観点)中と外でのエネルギー交換は、できるか、中にはいけない。
宇宙の内外を、動く動き(霊体的観点)
自分の体も、それぞれの領域とリンクしているのだ。中と外の宇宙、両方に行ける。
宇宙の外に溜まった反粒子を、宇宙の中で、粒子に変えたいのだ。そうすると、肉体的には、心地が良いのだ。
溜まったカルマを、解消するというのも、これと同じことなのだ。
どの人も、実はそれぞれの宇宙があるのだ。が、それもある領域ではリンクしているのだ。これが、宇宙の真相なのだ。
が、私は、この量子力学と、体の三重性と、宇宙との関係性を、まだまだ整理整頓ができてないのが、課題なのだ。


量子論に通じる東洋思想
https://www.jinkaku-dna.com/physics.html

https://www.jinkaku-dna.com/physics.html
量子は、状態である。電子の数で、量子が決まるようだ。

□追記
整理整頓が全然進まないので、申し訳ないです。

神人合一のイメージと方法 神道 奇跡体験

最強の無信仰 - verymuch8’s blog
https://verymuch8.hatenablog.com/entry/2022/06/10/020044

序論として、ちまたに溢れる神人合一の誤解イメージがある。


それは、神人合一体験をした人が、情報を隠している事と、自分自身を尊大に思いたい脳の仕組みにやられている。または、難しく表現しているのだ。宗教的権威を作りたいのだ。高度に見せた方が、お金が手に入るからだ、

神人合一に興味がある人は、比較的意識が高い。
神人合一というと、何やら神々しい感じを受け、神々様と拝むイメージが強いかもしれない。が、これは、正しいイメージからほど遠いのだ。
簡潔に言えば、
その人自身が、これから、どのように動けばいいか逐一教えてくれる同志と共にある状態なのだ。
神人合一状態を、いらないならいいのだが、それはその人自身が困るのだ。わからぬまま死んでも良いのだが、それはそれで、その人が困るのだ。「困ってない」と言っているだけなのだ。「死ぬの怖くない?」と聞けば良いのだ。怖いなら、神人合一の状態になるまで、一緒に頑張ろうなのだ。

同志というのを、イメージするためには、しっかりと子分時代も過ごす必要があるのだ。それらの積み重ねにより、同志になるのだ。
神も自分で、自分も神というイメージを持ち続けられるかなのだ。ただ、これは、己を尊大に思う「我は、神なり」ではないのだ。キリスト教も、同じニュアンスの事が、伝聞されている。
一個一個、どのような反応にしたらいいか、伝えてくれる有り難い存在なのだ。だから、乗っ取られるというイメージではないのだ。私も昔は、乗っ取られるイメージがあった。また、乗っ取りきられても良いと思ったが、そんな事もない中間のイメージなのだ。
確かに、心の器の中で、意識化に置かれるというのはある。が、乗っ取りとはほど遠いのだ。
よほど、人間のエゴイズムによる洗脳表現の方が、もっと危険なのだ。それは、オウム真理教を見ても、想像に固くないだろう。ブラック企業の企業主の洗脳行為の方がはるかに怖い。isの洗脳も同じだ。
神は、そのような存在ではないのだ。
つまり、神人合一というのは、その人自身が一生支え合い続ける夫婦を獲得する事でもあるのだ。
定量、「自分ってこうだよね」という思い込みを外していくのだ。私は、この件に関しては、先人を信じて良かったのだ。途中では何度も、「神人合一なんて、いつくるんだよ」と思ってたのだった。

これからの若い世代は、神人合一で、自分の同志と共に、自分のために、生きていってほしいと切に願うのだ。
ただ、この同志は、チヤホヤばかりする存在ではないのだ。時に、優しく、時に厳しく、時に偉大なのだ。神と人の関係というのは、尊厳し合う仲なのだ。ただ、どうしても人間は肉体があるので、尊厳を忘れてしまいがちなので、訓戒が必要なのだ。
ただ、単に、拝む存在でもないのだが、拝む事も大切で、謝罪する事も大切なのだ。
この何とも言えない「行間のようなもの」があるのだ。
時期が来た人から、順番に意味がわかるようになっていくのだ。だから、決して怖がらない事なのだ

人間の方が、見方によっては、恐ろしい事をするからだ。カルマを積む事がどれほど恐ろしいか、目に余るようだ。

あるがままに: 神人合一と悟りは違う

あるがままに: 神人合一と悟りは違う
が、悟りと神人合一は、同じなのだ。魂と意識が同じなのと一緒だ。

神人合一 - 深見東州「神霊界」

深見東州「神霊界」 神人合一

verymuch8.hatenablog.com
かなりの汎用性がある価値観だ。真理を探究する人は見てみよう。






□追記
本当かわからないが、イチロー選手は、神人合一していると、神から教えていただいた。スポーツ選手は、している人がいるのだが、していない人もいる。
神人合一は、大きく分けて、ニパターンいる。
一つは、神の声が聞こえるタイプである。偉業を達成する宗教家に多い。
もう一つは、神の声は聞こえず、想念がとてつもなく役に立つものが浮かんでくるタイプである。
イチロー選手は、おそらく、ひた隠しの可能性も僅かにあるが、霊聴ではなく、後者のタイプで、偉業を達成したと思われる。どうしても神の声が聞こえる人は、ついつい表現で言ってしまうのだ。

究極の実在の動き(この世の善悪を超越した宇宙の究極の仕組み)に関しては、日本で見れた人は、私を含め、100人に満たないと、神から教えていただいた。正確な数字は、頭で理解したが、それをblogで言語化すると、カルマになるので、止めにする。
その実在をどうやって、どの人も見れるようになるかに苦心するのだ。
無意識マップという存在がある。無意識マップというのは、わかりやすく言えば、FF10の魔法のアビリティマップだ。初期魔法を覚えていくと、どんどん高級魔法を覚えられ、マップが進んでいく、あれと似たような五次元的マップなのだ。テレビゲームの話だが、これは、人間も宇宙も同じなのだ。

無意識マップは、ちなみに見た人は、地球上で、ゼロ人なのだ。
これは、人に見れるものではないのだ。一部分だけなら、見れる。
が、この無意識マップは完璧なので、全ての物事と辻褄が合うのだ。が、私もまだまだ先入観で見てしまうので、適切な表現から離れてしまうことがあるのを、できる限り無くしていきたい。

以下は、神人合一について、他のブログである。
究極の神人合一の境地について(^-^) | 弥勒菩薩の愛の学びブログ(^-^)

究極の神人合一の境地について(^-^) | 菩薩




□追記
神人合一の方法は、運と努力である。
神人合一すると、わりと、低級霊と対峙する人生になるので、神人合一は、しなくてよいかもしれない。ただ、自分なりに人生を切り開いていければよい。
特殊能力も使えなくてもいいという思考になるのだ。
ただ、神人合一しながら、低級霊と対峙しなくてもいい可能性もあるのだ。これを私は狙っている。神人合一のパートナー(守護霊みたいなもの)は変わる事がある。低級霊と長く一定時間いると、低級霊といなくて良くなるケースもあるようだ。低級霊と対峙しなくて良い時期になると、普通の人生を送りやすくなる。→これも、どんどん変わっていく、悪霊との対決がどんどん終わると、次のステージに入る。なぜ、悪霊悪魔がいるか、その問いの答えも質が上がってくる。その問いの答えは、今のところ、エネルギーの調整で、どこかが減るとどこかを増やさないといけないエネルギー等価交換というものがあるのと、慈悲があるからだ。悪霊を退治すると、その負の感情の総エネルギーを、他の霊に付けないといけない。まあ、まだはっきりと表現できないが、いつか書ける日が来れば良い。

□追記
これから、もっとこの分野の事を書けるだろう。閻魔大王的守護霊は、名前をごく稀に聞くが、答えない。また、質問に答えない。霊格のレベルが上がると、そのような傾向にあるようだ。

最後まで、お読みいただきありがとうございます。このご縁に感謝です。

お金の認識と体の三重性

お金の認識には、それぞれの体で認識が違うのだ。人間の体には、三重性がある、肉体、魂体、霊体である。それぞれ、見方が違うのだ。これを、言葉で考えてみよう。
肉体的観点 お金は、あるだけあったほうがいい。お金が沢山あれば、幸せに違いない。
魂体的観点 お金はあるとある分だけ、カルマが溜まりやすい。なければ、溜まりづらい。
霊体的観点 1円も、1000万も、等価である。どのモノも等しく素晴らしい。

魂体的な観点と、霊体的な観点は、その分屋の学習が必要なのだ。
魂体的観点で言えば、モノにはエネルギーがあるので、大きなエネルギーは、それだけの事をしないといけないのだ。
霊体的観点で言えば、全てのものが、有り難いのだ。等しく、感謝するものなのだ。

この三つの観点があるので、人の発言がわかりづらいのだ。私は、肉体的観点も大切に思いながらも、魂体的観点と、霊体的観点も忘れないようにしたいし、どの人も、それが一番自分を幸せにするのだ。その人に最適なお金の量というものがあるのだ。魂体的観点は、説明がしやすい。「お金の亡者になってしまったね」という例を出せる。霊体的観点は、一気にどのモノも、純粋フラットになるのだ。人間が作り上げた思想や価値観を無化するからだ。ここに、観術や一部の宗教学者が取り組んでいるのだ。だから、「私は、不動産なんかいらない。カルマを溜めやすいから」という魂体的視点と、「あったら、楽になるかな」という肉体的視点と、「世界に対して、最大活用できるかな」という霊体的な視点があるのだ。
私は、間違っていた。肉体を軽視してた。やはり、肉体・魂体・霊体、33%ずつが、適切なのだ。これからは、しっかり配分をまた愛していきたい。