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blogを書くこと

blogを書くと何が楽しいのだろうか。
①自分の過去の体験を掘り起こせる
②その体験を他の事象とつなげられた時に、嬉しい
③書いてる最中に、予想外の着地点や発想が生まれる。自分の思考の地点がわかり、改善点がわかる
④告白することで、自分のカルマの解消になる
⑤反応があると、嬉しい
⑥思いを、一旦出しきれる

私は、基本的に、この内容でこの論調でこういう風に誘導したいという、ゴールを決めた上で、書いてくのは、得意ではない。こういう風に誘導したいという支配欲が出るからだ。
ただ書いていて、それをどのように、捉えるかは、その人自身だからと思っているからだ。少しでも、何か発見があれば良いと思っている。
昔は、そういうのに知的で憧れた部分もあったが、人は、そういうのは嫌いなのだ。言論をこのような論調で、受信者に植え付けたいというのは、ないのだ。
書いている最中に、「こうかな、これ言い過ぎか、こう補足するか」となって、修正していくというか、加筆していく。テーマと例で、だいたい書いている。おすすめしたいという気持ちはある。が、どう捉えるかは、別にどちらでも構わない。関係がないのだ。確かに多くの時間を使って、確認をとった「真理」というのは、使ってほしいが、それは、その人が決めることだと思っている。ただ、書きたいから、書いているだけだ。だから、あまり、関係ない。発信したいと思えば思うほど、言論で誘導したいと思うものだ。ちょっと暑苦しいのだ。私は、ただこういう気持ちや視点があると、表現してるだけだ。書いてみて思うのだが、誰かのアウトプット情報が入ると、少し傾く。それを、純粋フラットに、戻すために、無意識に書いていたのかもしれない。誰かのアウトプットを入れると、純粋フラットに戻すために、また出していくのだろう。これも、物理現象で表せるのだろう。これの紐付けの繰り返しとも言える。 法則と具体例の繰り返しだ。そうすると、実はものすごいシンプルな動きしかメカニズムは、ないことに気が付く。そう、ある意味むなしいぐらいに。具体例ばかり捉えた方が、ある意味、感動が多いのかもしれない。演繹と帰納のアプローチだ。
あれ?これも?このメカニズムだけじゃないか、、、。この法則とこの法則とこの法則は、つまり、こういう摂理があるのだ、と気が付く。あれれ、みたいなものだ。
恐らく、自分の顕在意識層のポケットに、あるものを使って、レゴのように、組み立てているのだろう。だから、入れれば、入れた分だけ、また出したくなるのだと気付いた。何というか、人間、それの繰り返しなのだろう。