verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

blogを書くこと

blogを書くと何が楽しいのだろうか。
①自分の過去の体験を掘り起こせる
②その体験を他の事象とつなげられた時に、嬉しい
③書いてる最中に、予想外の着地点や発想が生まれる。自分の思考の地点がわかり、改善点がわかる
④告白することで、自分のカルマの解消になる
⑤反応があると、嬉しい
⑥思いを、一旦出しきれる

私は、基本的に、この内容でこの論調でこういう風に誘導したいという、ゴールを決めた上で、書いてくのは、得意ではない。こういう風に誘導したいという支配欲が出るからだ。
ただ書いていて、それをどのように、捉えるかは、その人自身だからと思っているからだ。少しでも、何か発見があれば良いと思っている。
昔は、そういうのに知的で憧れた部分もあったが、人は、そういうのは嫌いなのだ。言論をこのような論調で、受信者に植え付けたいというのは、ないのだ。
書いている最中に、「こうかな、これ言い過ぎか、こう補足するか」となって、修正していくというか、加筆していく。テーマと例で、だいたい書いている。おすすめしたいという気持ちはある。が、どう捉えるかは、別にどちらでも構わない。関係がないのだ。確かに多くの時間を使って、確認をとった「真理」というのは、使ってほしいが、それは、その人が決めることだと思っている。ただ、書きたいから、書いているだけだ。だから、あまり、関係ない。発信したいと思えば思うほど、言論で誘導したいと思うものだ。ちょっと暑苦しいのだ。私は、ただこういう気持ちや視点があると、表現してるだけだ。書いてみて思うのだが、誰かのアウトプット情報が入ると、少し傾く。それを、純粋フラットに、戻すために、無意識に書いていたのかもしれない。誰かのアウトプットを入れると、純粋フラットに戻すために、また出していくのだろう。これも、物理現象で表せるのだろう。これの紐付けの繰り返しとも言える。 法則と具体例の繰り返しだ。そうすると、実はものすごいシンプルな動きしかメカニズムは、ないことに気が付く。そう、ある意味むなしいぐらいに。具体例ばかり捉えた方が、ある意味、感動が多いのかもしれない。演繹と帰納のアプローチだ。
あれ?これも?このメカニズムだけじゃないか、、、。この法則とこの法則とこの法則は、つまり、こういう摂理があるのだ、と気が付く。あれれ、みたいなものだ。
恐らく、自分の顕在意識層のポケットに、あるものを使って、レゴのように、組み立てているのだろう。だから、入れれば、入れた分だけ、また出したくなるのだと気付いた。何というか、人間、それの繰り返しなのだろう。