なぜ、人にあれこれ言うべきではないのか?無言のメッセージが必要なのか?
ある組織に長く太くなると、どうしても老害感が出てしまう。新人に対して、何かのやり方について、そのやり方が合っているかどうか絶対ではないのに、新人同士のやり方が気に食わない時があり、あれこれお説教したくなる。この気に食わなくなるのは、何故だろうか?
まあ、少し難儀な説明になってしまう。エネルギー交換的には、過去の自分達が放出したエネルギーの塊が、陰陽(マイナスとプラス)になるからだ。その塊がデカければデカいほど、マイナスも付随してるから、何かのきっかけで、どでかいマイナスが現出する。冷静でないと、その魔に負けてしまい、評判を落とすだろう。詳しく言うと、新人の人のカルマが溜まっているのを解消現象するのと、自分達の老害的暗愚マイナスエネルギーが、表出する。エネルギーの塊がデカければでかいほど、真剣な深刻な現象化に繋がるだろう。深刻なマイナスエネルギーをどう捌いていくかが、人生で没落しない鍵になるだろう。
老害は、自分達のやり方が、それとなく受け入れ続けて、試行錯誤した結果だから、正しいとばかり思い込む。かと言って、新人のやり方には気が乗らないし、失敗してきた経緯を知っている。だが、新人がその失敗した経緯を知りたいかもしれないし、その機会を奪う事に繋がるぐらいの懐が深い心を持つ。ただ、新人に妥協して、受け入れたくもない方法を、人気取り的に取り入れたり、擦り寄りゴマ擦りするのは、馬鹿がやることだ。だからといって、あれこれ説明する時間も勿体無いし、「お説教魔だ、アイツ」になりかねない。無言のメッセージで、何とか対処すべきなのだ。無言のメッセージが効かない人は、感謝が足りない人と判明するからだ。私が、助ける候補から脱落するだけだし、自業自得だとシビアな観点を持つ。更に言えば、いつでも、新人のやり方でやってみようと、シフト変更できる状態に感謝してればいいだろう。あとは成り行きに任せればいいかもしれない。組織からいつでも抜けられるように、感謝状態を維持して、準備し続けよう。私も、さっき抜けようと選択したが、神様にスマホのボタンを押すのをギリギリ止められたので、控えた。嫌な事があったら、すぐ抜けるぐらいの軽い感じも持ち合わせて、誰かの支援をしたいという熱い想いと葛藤があるだろうが、うまくやろう。
寄生虫と自分達の事が思われる事を、想定し続けよう。