verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

起きたというのは、どこからか 甘えと甘え 思い込み

私は、自分の思考の牢獄にいたようだ。
が、自分の思考というのは、とても狭いのだ。広くすることもできる。まだまだ、調査が足りない。魂の仕組みも、はっきりしていない。私は、知ったかをしている自覚がある。いつも、見守ってくれてありがとう。何の事かい。とノリ突っ込みをする。
そして、「うわっなんか嫌だな、眠くてちょっと嫌だな。サボろうか」という魔が襲うが、勝てば良いのだ。勝つと自信が付く。だから、勝ち続けるのだ。私は、一生勝ち続けたい。いや、カルマが解消できるまでにしたい。
そうこう考えているうちに、6時半に目覚ましに助けられた。
やはり、寝る時間が遅くなると、目覚ましが、最高だ。
起きるというのは、何だろうか。やはり、ある一定の状態なのだろう。

私は、毎朝地面に土下座するのが、日課だ。いつも、ごめんなさい。こういう素直な気持ちに、天は味方してくれるのだ。自分が、悪かった事に、愛されていた事に、気付かされる。私の反省は、深すぎるようだ。朝起きると、気分がいい。「ここまでが、私の意志」と決めている。毎朝、起きて、カフェインを飲む、顔を洗う、着替えをする事だ。朝食の準備も、ある。新聞を取りに行く。のを、思い出した。
そう、昨日約束した事を、思い出すまでが、起きたということなのだ。
「毎朝新聞を取りに行く」と、約束をした。が、朝の寝ぼけ頭だと忘れている。それを、思い出した瞬間が、覚醒した、つまり起きたという事だ。今日やるべきtodoを確認する。ここまでが、勝負だ。私は、間違っていた。ごめんなさい。あまりに考えまくって、高さが愛だと思っていた。低さも愛だったのだった。上ばかり見ていた。下も見る必要があった。足元を固めるという事だ。明日は、to doの確認をしっかり朝にしたい。このblogを書いているうちに、新聞を取るのを忘れてしまうのだった。明日は、新聞を取りに行こう。なかったらどうしようという魔にも勝つのだ。