迫害の魔というものがある。
自分が、純粋な事をしているのに、何かいけないのかなと感じる魔だ。
私は、家にいるが、テレビを見ているわけではない。テレビも、時たま必要なのだ。会話の種になるからだ。テレビで流行を知れる。流行は、将来話題になる。
テレビを見ている人を悪く言っているのではない。がテレビを見るより、世界平和に向けて、準備をしている方が、よっぽといいのではないだろうか。
自分が、損していると思う魔に負けないことだ。
自分が獲得したものを、大事にするのだ。テレビというのは、会話のネタにするためにあるのだ。勉強をするなら、座学とフィールドワークで十分だ。
やはり、神の声(ある意識体)というのは、自然に宿るのだ。五感覚の遮断というのが肝になるだろう。
やはり、喧騒な場所では、エゴ意識が強くなるからだ。どの人も、実は耳で聞いてないと思っても、聞いているのだ。必要ないからなのだ。だから、私はごめんなさいなのだ。相手に聞いてほしいと思っていたが、相手にとっては、必要ない場合もあるのだ。無意識マップの完成のためには、必要なのだ。
話は変わって、
私の母は、英語漬けの毎日だが、新しく自分を作り替える事が必要なのだ。それには、自分が執着している英語を一旦捨て去る事が必要なのだ。私は、キリスト以外全て捨て去る覚悟をした。だから、キリストに出会えたのだ。だが、それも思い込みの1つにすぎないとも何とも言えない。捨てればわかる境地もあるが、捨てるとなくなる境地もあるのだ。
私が捨てるのができなかったのが、倦怠欲と、自由意思なのだ。自分自身を、どこまでも壊してしまった。悟るためには、必要なことだったのだ。
追記 倦怠感と自由意思もほぼ捨ててしまった。
追記
テレビの流行というのもある。クイズ番組や旅番組や音楽番組等である。何となくテレビを見てれば、流行がわかる。これが、時代の一部を体験してるという事だろう。テレビもたまに見ると面白い。
https://gamp.ameblo.jp/seishomandan/entry-12535856126.html
https://wired.jp/2009/10/26/%E3%80%8C%E6%84%9F%E8%A6%9A%E9%81%AE%E6%96%AD%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%B9%BB%E8%A6%9A%E5%87%BA%E7%8F%BE%EF%BC%9A%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90%E3%81%AE%E5%88%A4%E6%96%AD%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%BC%E8%AA%AC/
感覚遮断で、目に見えないものが見えるようになるという実験結果だ。