verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

迫害の魔 五感覚 遮断 テレビ キリスト 出会うには 嫌い 生まれ変わり

迫害の魔というものがある。

自分が、純粋な事をしているのに、何かいけないのかなと感じる魔だ。

私は、家にいるが、テレビを見ているわけではない。テレビも、時たま必要なのだ。会話の種になるからだ。テレビで流行を知れる。流行は、将来話題になる。
テレビを見ている人を悪く言っているのではない。がテレビを見るより、世界平和に向けて、準備をしている方が、よっぽといいのではないだろうか。
自分が、損していると思う魔に負けないことだ。

自分が獲得したものを、大事にするのだ。テレビというのは、会話のネタにするためにあるのだ。勉強をするなら、座学とフィールドワークで十分だ。
やはり、神の声(ある意識体)というのは、自然に宿るのだ。五感覚の遮断というのが肝になるだろう。
やはり、喧騒な場所では、エゴ意識が強くなるからだ。どの人も、実は耳で聞いてないと思っても、聞いているのだ。必要ないからなのだ。だから、私はごめんなさいなのだ。相手に聞いてほしいと思っていたが、相手にとっては、必要ない場合もあるのだ。無意識マップの完成のためには、必要なのだ。


話は変わって、
私の母は、英語漬けの毎日だが、新しく自分を作り替える事が必要なのだ。それには、自分が執着している英語を一旦捨て去る事が必要なのだ。私は、キリスト以外全て捨て去る覚悟をした。だから、キリストに出会えたのだ。だが、それも思い込みの1つにすぎないとも何とも言えない。捨てればわかる境地もあるが、捨てるとなくなる境地もあるのだ。
私が捨てるのができなかったのが、倦怠欲と、自由意思なのだ。自分自身を、どこまでも壊してしまった。悟るためには、必要なことだったのだ。

追記 倦怠感と自由意思もほぼ捨ててしまった。

追記
テレビの流行というのもある。クイズ番組や旅番組や音楽番組等である。何となくテレビを見てれば、流行がわかる。これが、時代の一部を体験してるという事だろう。テレビもたまに見ると面白い。

gamp.ameblo.jp

https://gamp.ameblo.jp/seishomandan/entry-12535856126.html

https://wired.jp/2009/10/26/%E3%80%8C%E6%84%9F%E8%A6%9A%E9%81%AE%E6%96%AD%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%B9%BB%E8%A6%9A%E5%87%BA%E7%8F%BE%EF%BC%9A%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90%E3%81%AE%E5%88%A4%E6%96%AD%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%BC%E8%AA%AC/
感覚遮断で、目に見えないものが見えるようになるという実験結果だ。