verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

何故、金曜ロードショーを見てる受験生は、志望校に受かないのか?いくらスマホアプリが発達して、ながら勉強をしても、ほとんど勉強時間を取れないからだ。

当たり前的なテーマだが、何故、金曜ロードショーを見てる受験生は、志望校に受かないのか?

いくらスマホアプリ(英単語等)が発達して、どんなに意識高く持って、ながら勉強をしても、ほとんど勉強時間を取れないからだ。1分半のcmが、8回+アルファあるので、12分とプラスアルファしか、スマホで勉強時間が限度なのだ。さすがに、それでは足りないのだ。また、金曜日の他の時間に勉強してる人が、金曜ロードショーを見る場合もあるかもしれないが、そこまでして見てる人は、何かに囚われているかもしれない。つまり、金曜ロードショーを見てると言っている受験生は、まず第一志望に受からないはずだろう。

また、本編を見ながら、スマホアプリで学習するのは、やはり能率が悪すぎるし、内容も頭にしっかり刻まれないから、映画を堪能+感動もできず、二兎を追うもの一途も得ず状態になるだろう。だが、スキマ時間を有効活用しようという意気込みは大切だ。マルチタスクは、とても重要なスキルだ。また、娯楽だけでも物足りない人は、英単語アプリでも、スキマ時間にやる事は、充実感に繋がるだろう。だからといって、何か凄い事ができるわけではないが、少しずつ頑張る癖を付けるのは、少しいい習慣だろう。英単語は、やはり、通学の際にやるのがいいだろう。さらに言えば、娯楽より勉学を取れない状態にいるのは、やはり自分を甘やかしてるに過ぎないだろう。そういう人は、何かの資格やらの受験生とは呼べないかもしれない。高3やらを受験生と呼ぶのが常識だが、何かの資格勉強の場合も受験生であるが、そもそも受験生とは何なのだろうか?

それは、一心不乱に、その受験に向かって勉学をしている人が、受験生の定義なのではないだろうか?

受験と受検という言葉の違いがある。入学試験や昇格試験を受けるのを受験と言い、何かの資格を受けるのを受検というらしい。まあ、昇格試験は、会社の一部の人が対象だから、使うところでは使うが、使わないところでは使われないから、やはり受験という言葉は、入学選抜試験に使われるのが、第一義的だろう。だが、資格試験を受ける人を、受検生と書かず、受験生と書いてある団体が、ほとんどだと見受けられるので、そうなると、なかなか言葉の使い方が難しい。資格試験団体が、受検生に統一すれば、より分かりやすい表現になるだろう。ただ、世論は、そこまでの流れにはならないはずだろう。

国家資格が、雇用に直結する場合は、受験という言葉も、登竜門的な入学という意味合いがあり、親和性が高いかもしれない。入学という意味合いがない英検は、受検だろう。

ちなみに、都道府県の高校入試は、学力検査という名称なので、受検生と書く団体が多いかもしれない。

そして、ここからが重要だが、

専念勉強とながら勉強の両方を高いレベルで、両立できる事が、社会でより高い成果をあげられる人になる要素かもしれない。私は、学生時代に、専念勉強だけ頑張ればいいと思っていたが、のちにながら勉強の重要性に気づいた。それは、人との交流やコミュニケーションを磨く事に繋がり、人望にも好影響かもしれないのだ。遊び心のコミュニケーションをしながら、相手を喜ばせながら、仕事をするというのが、必要になってくるからだ。これは、ながら勉強ができる人が修得できるものかもしれない。

 

余談だが、10代の時に金曜ロードショーを観ていた人は、大人になって、その同じ映画を何度か観て、感慨深いコメントを出してる人もいる。人間は昔していた事をしたがる周期性があるので、大人になって、金曜ロードショーを見ている人は、おそらく高校生の時にあまり勉強していなかったタイプではないだろうか?人生の循環の周期性というのは、非常に扱いが難しく、凄くリスクがあるものでもあるのだ。人から見て省ける無駄な活動を、してしまうというリスクなのだ。人間の時間は有限だから、何かに時間を使ったら、何かには時間を使えないのだ。省けるものは省いた方が、人生の充実感は格段に変わってくるのだ。