verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

死ぬのが、ベストという視点

死ぬのがベストという視点は、自分を助けてくれる。「死んでも大丈夫」というものだ。
が、悪想念を送ると、自分を苦しめる。が、悪因悪果、善因善果というのも、人間の体には、あるのだ。
私は、酷く自分を責め続けた。だからこそ、その恐ろしさに気付いた。自分を、そこまで責めることはなかったのだ。精神領域は、広がるというメリットがあるという事は、伝えたい。
私は、どんなに死ぬことに頑張っても、死ねないようだ。これは、私をとても傷付けた。どこかで、止めが入る。ありがたい事だ。ただ、これが一番自分を苦しめた。多分、一番自分を苦しめるのは、この魔なのかもしれない。人の悪想念の中で一番強いのは、この自殺願望なのだろう。1年半かかって、ありがたいことに、やっと一番強い魔に気付いたのだろう。最重要なのだ。すべてのものに、ごめんなさいと伝えたい。ただ、私は、すべてのものを、愛したかっただけだ。
人を恨むことよりも、この自殺願望が一番強い魔であるということは、肉体を失ってはならないということに、気付いた。つまり、あの世があるというだ。そうでなければ、説明がつかない。
同じレベルではないようだ。
いくら、自分の心の中で、自殺というものに関して、悪想念体が溜まって、自殺というものの集合無意識とリンクしているとしても。一旦リンクすると、とても切るのが大変なのだ。
自殺というものの、集合無意識の中で、恨みの想念体よりも、強いとも思われる。
焦りの想念体という弱めのところから、対処するのが良いだろう。
最初から、手強いボスと戦うなという事だ。想念帯の浄化に関しても、同じだ。
自分の中の個人的無意識層に溜まっている負の想念体は、自分で対処しなければならない。自業自得だ。
しかし、負の巨大な、集合的無意識に関しては、レベルが上がってから、対処するのが良い。一つ一つ、漸次的に、完封するのだ。