verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

ごめんなさいは言ったもん勝ち 感謝 やり方

「ごめんなさい」

この言葉は、とてもいいものだ。
心が軽くなる。
潜在意識が、クリーンになる。

ごめんなさいを頭に浮かべて、意識をなくすことができる。
潜在意識の奥深くまで、入るとシャットダウンする。その手前の意識だと、色々な記憶の光景を、瞑想で見ることができる。これを、人類の記憶の倉庫アカシックレコード、アラヤシキというのかもしれない。
そこをいかにキープするかは、訓練次第である。なかなか難易度が高くて、苦労してる。
瞑想の風景は、映画のようである。
仕事で、常に気を張ってると、顕在意識優位になって、どうしても疲れてしまう。だから、座禅や瞑想が、ビジネスマンに好かれた原因だろう。

話は変わって、ごめんなさいの理想的な使い方である。
人の去就に関して、「ごめんなさい」と言って、去るのが、日本人には理想的に写る。ただ、思いっきりぶつけるのもいいだろう。どちらもお互い様であるからだ。 思いっきりぶつかった場合は、奇跡的な融合か、木っ端微塵の分裂になる。だからこそ、そのリスクも考慮すると、「ごめんなさい」が、いいのである。これは、逃げの一手であるが、巧妙な一手でもある。霊界の法則に照らしても、ごめんなさいは、使えるのである。

誰でも、支配欲がある。だから、ペコペコする作戦は良い作戦だ。
ただ、ペコペコするというのは、自分の心に反している。だから、その反動が、どこかに出る。それを、どう解消するかは、「ごめんなさい、ありがとう」と唱えることだ。