blogを書いている人は、読者に少なからず訴えたいものがある。
自分の意見・主張だったりだろう。
私が訴えたいものは何か。
・世の中、わかることもあれば、わからないということである。
・社会が少しでも良くなってほしい。
・真実はなかなかわからない。けど、追求してほしい。
・現実はシビアだけど、頑張ってほしい。
という建前はあるが、
それよりも、
単純に気ままに書いて、思考発見整理して、記録して、発信したいのだろう。
これがブログを書く意味である。
書くと、ここで思考が停止している。ここがわからない。この先どうなんだという事がわかる。
喋るというのは基本的に、頭の中から出すものである。喋っているうちにわかることも多い。
私は、一度でも表現できれば、満足するタイプである。いや、何度も表現したいものもある。
どちらかといえば、発信したいというのが強い人は、FacebookやHPを使うだろう。
趣味なのだろう。ブログは、自分にとってゲーム。
メモ帳に書くよりはマシ。といった感じ。
10年ぐらい、メモ帳やノートに書いていたが、切なくなる。
たまにアクセス数を見て、励みになる。
Facebookだと、色々気にして自由には書けない、より目的ありきの表現になってしまう。
会社のブログだと、どうしても立場があるので、「適切な」表現で、何でも発信するわけではない。「演じるもの」がある。それもそれで楽しいのだけれど。
もしかしたら、気ままに書いたことが、誰かの役にたったのかもしれない。ちょっとでも何か気付きがあったのかもしれないとあれば、嬉しい。
これが、強制感があるものだと、途端に書く気がなくなってくる。
たまに見返して、新しくするが、ほとんどは見返さない。
ブログの内容も、テンションが上がったりすると、少しこったりする。
自分の思考変遷を辿れるのだろう。
スピーキングだと、何だろう。そこまで残らない。というより、そこまで表現できない。相手次第になってしまう。
人は、その時その時で伝えたいテーマや切り口が変わる。
私は、既存の教育改革はより抜本的に変えた方がいいと一貫性を持って、主張している。が、教育を改革しなくていい、教育改革のデメリットの意見も考慮には入れる。
まあ基本的には、一貫性は、読者が決めるものかもしれない。
どんどん話題が飛んでいってしまう私は、あまりブログに向かないのかもしれない。
人に対してのラインでも、結構何書くか気になってしまう。
ブログをやめちゃう人が9割。だから継続に意味がある。