verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

自分が訴えたいものは何か ? ブログを書く意味

blogを書いている人は、読者に少なからず訴えたいものがある。
自分の意見・主張だったりだろう。

私が訴えたいものは何か。
・世の中、わかることもあれば、わからないということである。
・社会が少しでも良くなってほしい。
・真実はなかなかわからない。けど、追求してほしい。
・現実はシビアだけど、頑張ってほしい。
という建前はあるが、

それよりも、
単純に気ままに書いて、思考発見整理して、記録して、発信したいのだろう。
これがブログを書く意味である。
書くと、ここで思考が停止している。ここがわからない。この先どうなんだという事がわかる。
喋るというのは基本的に、頭の中から出すものである。喋っているうちにわかることも多い。
私は、一度でも表現できれば、満足するタイプである。いや、何度も表現したいものもある。

どちらかといえば、発信したいというのが強い人は、FacebookやHPを使うだろう。

趣味なのだろう。ブログは、自分にとってゲーム。
メモ帳に書くよりはマシ。といった感じ。
10年ぐらい、メモ帳やノートに書いていたが、切なくなる。
たまにアクセス数を見て、励みになる。

Facebookだと、色々気にして自由には書けない、より目的ありきの表現になってしまう。
会社のブログだと、どうしても立場があるので、「適切な」表現で、何でも発信するわけではない。「演じるもの」がある。それもそれで楽しいのだけれど。

もしかしたら、気ままに書いたことが、誰かの役にたったのかもしれない。ちょっとでも何か気付きがあったのかもしれないとあれば、嬉しい。

これが、強制感があるものだと、途端に書く気がなくなってくる。
たまに見返して、新しくするが、ほとんどは見返さない。
ブログの内容も、テンションが上がったりすると、少しこったりする。
自分の思考変遷を辿れるのだろう。

ピーキングだと、何だろう。そこまで残らない。というより、そこまで表現できない。相手次第になってしまう。

人は、その時その時で伝えたいテーマや切り口が変わる。
私は、既存の教育改革はより抜本的に変えた方がいいと一貫性を持って、主張している。が、教育を改革しなくていい、教育改革のデメリットの意見も考慮には入れる。
まあ基本的には、一貫性は、読者が決めるものかもしれない。
どんどん話題が飛んでいってしまう私は、あまりブログに向かないのかもしれない。
人に対してのラインでも、結構何書くか気になってしまう。



ブログをやめちゃう人が9割。だから継続に意味がある。

ブログをやめちゃう人が9割。だから継続に意味がある。