法治国家とは、人間が過ちを犯すから、法で抑止しようというものである。
キリスト教的世界観である。
為政者にとって都合が良い法律を作ろうというものである。
徳治国家とは、道徳により、人間が治めていったほうがいい。
孔子的な世界観である。
日本は、ある一定の法治国家に当たる。
アメリカが、法治国家的観念が100だとしたら、日本は30ぐらいであるような、個人的な感覚である。これは感覚であるので、間違っているかもしれない。
平均的なアメリカ人は何でも裁判する訴訟国家である。平均的な日本人は訴訟は避けたい。強者による泣き寝入りは避けたい。
何でも裁判する人生が望むのだろうか、行き過ぎである気がする。
「法治国家だから、法に従え」と主張する人がいる。その人や団体にとって、都合の良い法律を突きつける。
法律は弱者のためか、強者のためか。法律は、混沌より秩序を重視する。
自分を法治国家者とレッテルづけをすると、自然とそのように向かっていくから注意が必要である。
より法治国家として、その良い塩梅に、方向づける必要があると思う。
足りないパーツを埋めていく必要がある。
要は、中庸バランスが大事であると思う。
我が国は“法治国家くずれ”である
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