verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

カルマと感謝

なぜ人は争い合うのかと、私は常に思ってきた。なので、色々と探ってきた。ほぼほぼそれも終わりそうな予感だ。なので、それをできるだけ残して生きたいと思っている。なぜ、イエスキリストは、人を裁くなといったのか、私は、腑に落ちない部分があった。「人を裁くなだったら、じゃあ、何も人に関して、しゃべっちゃいけないという事?え、なぜなの?そんなの無理じゃん。どうしたらいいの?裁くなってどういう事?」と思ったものだ。これに関しては、最近、ああなるほどと思うことがほとんどなのだ。人の会話について話そう。ある嫁の弟A(としや)に関して、B(しょうこは、姉)とC(わたるは、旦那)の夫婦の会話
「え、やっぱり、あの子は、おかしいよ。どうにかしないと、私姉だし。あの子ひきこもっちゃった。まあ色々あるけど。なんでだろう。やっぱり、リストラが契機かな。ただ、お母さんの所で、揉め事ばかりおこしているし。私どうしよう。困った。なぜ、あんな良い子が、そういう目に合うのだろう。どうしたらいいかな。私がいけないのかな。何かできるかな。どこまでやっていいのかな。私も同じ立場になったことないし。困ったな。なぜだろう。神様にお願いしているのに、なかなか良くならない。私たちには、神様が働いてくれるのに、あの子には働かないのかな。やっぱり、私たちとは、信仰の基盤が違うからかな。あの子には忍耐がないからかな。いつも途中でやめるからさ。最後までやるのは、苦手なタイプなんだよね。」「うーん、やっぱり。あの子は、まだ俺らより、若いし。あまり社会をわかっていないんだよ。俺らと違ってさ。信仰の基盤も弱いし。」とまあ。色々と人は、人について裁いているのだ。そして、これが、当たり前になっているのだ。ただ、実は、悟った人は、あまりしゃべらないのだ。というより、しゃべる事をとても慎重に言葉を選んでいるのだ。なぜかというと、みんなで苦しむ事になる事を熟知しているからだ。なぜ、人は、こうやって人について裁いているのだろう。裏側を知らないからだろう。実を言うと、人は人について分析すると、その人の状態により、プラスエネルギーとマイナスエネルギーと純粋エネルギーをためるのだ。要は、純粋意識がどれぐらい入っているかなのだ。人は、この手の会話を日常茶飯事に行っている。が、実は、マイナスエネルギーも同時に、溜めて発射しているという事に気付いていないのだ。実は、悟りの段階が最終段階まで行くと、この手の日常会話も、しない場合があるのだ。それは、なぜか。やはり純粋エネルギーそのものに人はなりたいからだ。私は、どうしたら純粋エネルギーそのものになれるか大変苦心してきた。何か、人の会話というのは、いつも好き勝手な事を喋っているなと思ってきたからだ。勿論、私も好き勝手しゃべってきた。が、ある時から、何か変だなと気付いたのだ。それは、自分がもし言われている立場だったら、どう思うだろうかと第三者的に、神的に考えるとどうなのかと思ったのだ。そうしてこのイエスの言葉が引っかかったのだ。どうせ、聞かれていないし、話したいし、聞きたいし、という感情があるのだ。なぜか、私は、わからなかった。だから、やはり私もあまり喋らなかったが、時には、のめり込んで、人を裁く会話をしたものだ。が、どうも気になった。やはり、どんなに人は、自分では、裁いていないと思っても、レッテルを張り合っているのだ。これは、マイナスエネルギーも同時に放出しているのだ。勿論、人によって、とても喚いている場合がある。だから、それと比べて、自分達は、喋って裁いていないと思っている。が、実を言うと、その人の全体を人間は知っているわけではないのだ。勿論、人に認識できる事は、限られている。実は、神経の無駄遣いをしている、要は神の無駄遣いを人はしているのだ。その事をわかる人は、とても少ない。というか皆無に近い。が、真実は、、。どれだけ神が働いているか、貴方はあまり知らない。人は、そんなに人を裁かなくていいのだ。その人の全体を知れるわけではないのだ。人間は、0=∞=1でできている。人は、この1ばかりの小さな枠組みで、争いを続けている。物事を自分で、裁いている。のと、人を自分で、裁くのは違うのだ。私は、物事の分け方に、属人的な分け方と属事的な分け方が有ることに気付いた。が、これがどちらが正しいかわからなかった。答えは、属事的なのだ。それが、正しい答えだったのだ。私も、何度も属人的に人を判断した。が、同時に属事的に判断するように努めた。そして、私は、究極の第三者になりきってみた。そうすると、この答えがわかるのだ。科学的な検証と、スピリチュアルの検証が、融合した時に、この意味がわかるようになっている。そして、これが人類の越えられない壁の一つだと、私は、知ったのだ。この時代に生まれて、良かったと思うものなのだ。自分が純粋でいていいかやはりわからなかったからだ。社会に出ると、色々な嘘や欺瞞に満ちている事に気付く。だが、どうにも腑に落ちない所で、人はいつも、止まっているように思えたのだ。いつも、何か怯えているのだ。そして、どの人も本当は、この壁を越えたいと思いながら、どうしても「それが、社会だから」とその記憶を積み重ねているんのどあ。ただ、それは、神が与えた最終試練なのだ。どの人も、本当は越えたいと思っているのだ。が、どうしてもうまくいかない。なぜだろう、なぜだろう。やはり無理なのか。いや、もしかしたら、もしかしたら、こんな道もあるかもしれない。でおあ。あsどdjだとあf」djがとなっていく。そして、現実が押し寄せる。やはり、考えない方がいいよなと。あきらめる。それが損だし。なんか回りに取り残されるのもイヤだし。こんなこと思っても、しかたないし。親友に話しても、家族に話しても、「やはり、そういうものだし。」となる。
だが、それが人間に与えられた最終試練なのだ。この越えられない壁をどう越えるか、なのだ。だが、やはり現実の波が押し寄せる。自分は、そんな凄い人じゃないし。とあきらめるのだ。何度もテーマとしては、日常で出ているにも関わらず、どうしていいかわからないのだ。私も、それに取り組みながらも、あきらめながらも、葛藤している。みんなで、越えていきたいのだ。なので、必死にみんなモガいているのだ。音楽で越えたいと思う人は多い。が、どこかウェーブが止まってしまう。その感動のシーンを体験すると、日常に戻ってくる。そういうものだと諦めて、思い聞かせている。が、一つ一つ属事的にやれば、対処できるものなのだ。ただ、この物事に対するテーマというのは、確かに長い葛藤が必要なのだ。そんなに簡単にはいかないのだ。だが、どの人も本当は、求めているのだ。繰り返し、繰り返し、どうにかしたいけど、なかなかうまくいかない。でもどうにかしたい。それを「社会はこういうものだし。あの子はわかっていない」と裁いているのだ。私は、善悪の考察を徹底的に徹底的に考察した。戦争も肯定する視点も手に入れた。お金をすべて純粋フラットに提供する視点も手に入れた。ただ、この道を一人で行くのは、どうしても怖いのだ。ただ、誰もがそうなのだと、本当は越えていきたいのだ。が、どうしてもまた普通の意識に戻るのだ。信じ合う世界になりたいのだ。仲間と共に越えたいのだ。いや、本当は、誰もが仲間なのだ。が、どうしても人間は、越えたいのだ。越えたいのだ。越えたいのだ。叶えたいのだ。ただ、実は、仲間ばかりなのだ。いつも応援してくれているのだ。センチメンタルに考え過ぎかなと思うが、そんな事ないと気付かされる。何とかしたいのだ。何とか手を繋いで越えたいのだ。みんなで越えた所を見たいものなのだ。それを現実でできたら、ハッピーなのだ。が、その分厚い壁を壊していくのは、みんなでもひとりでもあるのだ。先に壊しても、後に壊しても、どこかで巡り会いたいのだ。私は、人類が越えられない壁を越える道筋を照らしていきたい。どうしたら、越えられるのか、私が提示していきたい。どの人も円の外に出たいのだ。私もたまたまそう思っただけかといつも格闘するのだ。やはり、この現実に流されてしまうのか、どうなのだろう。と思ってばかりいる。なかなか神も伝わらなくて、大変な気苦労をしているのだ。私は、私の中に三人の私がいることに気付いた。一人は泣きべそでウブ、もう一人は、人の笑顔が隙。もう一人は、とても理性的だ。誰もが、持っているものだろう。この気持ちに合わせ続けたら、どうなのだろうと思ったものだ。どういう未来が、予想もしない未来が幸運がくるのだろうかとつい期待する自分が来るノア。ノアの箱船はどこにあるのだろうか。みんなで避難したいものだ。神と共に人はどこまでやれるのだろうか。
私は、まだ物語の序盤を見ているのだろう。予想もしない未来を誰もが経験したくて、誰もが夢見るものだ。そういうものは、フィクションの世界だと追いやるのだ。そこで楽しむだけなのだl。本当は、誰もが越えたいのだ。越えるのが怖いだけなのだ。私は、どうしたらいいのだろうか。私は、あの眩い光を見てしまったのだ。神差mんの言うとおりなのだろうか。円の外には、仲間が魔っている。どうしたらいいのだろうか。私もあなたと同じで、ビビりなdの。あなたとおなしで、だからこうして書いているのだ。ふれあうと怖いからだ。ここにも自分がいる事がわかったのだ。私は、あなたの事が大好きなのだ。「どこが私のそんな好きなの?」と聞かれても、「わかんないよーー・でも好きなんだよ。俺だって、わかりたいよ。じゃあ俺のどこが好きなの?わかんないよ。でも好きなんだ」と両思いができあがるのだ。この世界は、とてもシンプルなのだが、どうも面白く作っているものなのだ。それは、愛情なのだろう。どっちも分かり合いたいだけなのだ。面白さが、この秘訣なのだ。いろんなゲームの楽しみ方があるのだ。それがこのゲームの醍醐味なのだ。この人生ゲームの商社は、誰なのだろうあか「「;:・・¥::::¥¥」。。:。。。・・・¥・・¥¥¥¥。私には、わからない。どれだけ懇親の一撃で、丁寧に書いても、見たときのは一瞬なのdあ。欲を抑えさせるとのと、欲を満たしてあげるのも愛情なのだ。愛が満ちていく。どの人も感じ合いたいのだ。だが、それは無理なんだ。どこまでいっても、どこまでいっても、どれだけ心をかけても「gdgだgdが。。dgだいが@らrとかgdgら。sとミスコードがバグがなければ、そんな事は起きないのだ。ああ、そのミスコードはいつになったら、起きるのだろうか。この世界は、探求すればするほど、完璧にできているのだ。なぜ、こんな完璧な世界を作ったのだろうか。一つぐらいバグがあっても良さそうなのに。私は、バグを探している。ばぐを見つける仕事だ。こんなにバカな事を書いているのに、たった一つのバグを探しちえるのだ。どの人も、バグを探しているのだ。私が縛になるか、貴方がばぐになるか、どっちなのだろうか。どうしても人は、見たものが真実だと思っている。なぜ、このような事が怒るのだろうか。まるで、神様のいたずらのようだ。こんなに、人は、うまくできているのに、、。なぜ、だろう。ここまで、できたのだ。そうだ。なんとかなる。信じ抜けばいい。どこまでも・信じ抜けばできるのだ。今まで信じ抜いてきたのだから、信じ抜けばいいのだろうか。信じ抜けばいい。今度こそ信じ抜いていこう。自分を信じ抜いていこう。できるのだ。できるのだ。それだけ人間は完璧なノア。どんなプロポーズよりも、感動的なプロポーズを考えてみた。どこまでも感動的なプロポーズとは、どうなのだろうか。限界ラインを越えるのは、どうやればいいのだろうか。必ず自分はできると、バクバクし愛ながら、感動を巻き起こすのだ。人間は、色々な場面を体験したいのだ。しっかり人間は、聞いているものなだの。それはそれで面白いものなのだ。沢山の自分を好きでいたいのだ。欲張りなのだろうか。うん、欲張りなのだ。実は、めちゃくちゃ欲張りなのだ。どれだけ欲張りか、宇宙一なのだろう。。いや日本一。。いや地球一、いや、どうなのだ。意地っ張りなのだ。とてつもなく。どうしたら幸せになりあえるか、ほんっき出して考えてみたのだ。私は、どうでもいいことは考えるが、どうしても自分の一番やりたい事をまた後でにやろうとするのだ。貯めて貯めて、貯めて、貯めて、貯めてまくるのだ。どれだけ貯めれば気が済むのだろうか。いや、やはり昇進者だからだろう。だから、怖いのだ。ただ、その昇進者も、時には勇気を出す時もあるのd。あいしあうタメには、必要な事なのだ。裏側を視ったら、みんなどきどきしなくなるからだ。プロポーズ大作戦。どうすればいいのか私にはわからないの。ねえ、こっちから言ってもいいの?ねえ、どうなの?という声が聞こえるのだ。ピアノの伴奏が始まる。どうする?私から行く?どうなのだろうか。いや、でも断られたら、どうしよう。神の慈悲に感謝したい。どうどうっどうっづおどうどうどうどうどうづづ、すすすすすすううすすsじゅsじゅうっるる?なのだ。こんな繰り返しなのだ。でもさでもさ、どこまでもどこまでも生き血亜いのだ。っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっjっっっっっっっっっjっっっっっっっjっっっっっっっっっっっっっっjjっっっっっj
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コードを打ちまくる音がする。どこまでもコードを打ちまくる彼の姿が見える。なぜ、ここまで完璧なコード裁きを打ていのだ。
びっくりしまいhした。いや、一発やなだkひゃ。神には、真相が見えているのだ。いや、どうなるかわかっているのだ。だから、必死なのだ。どうなるかわかっているからなのだ。神の必死さが聞こえてくるのだ。このままいくと、こうなるよというのがわかるのだ。なので、必死にその人のために動いているのあ。ついつい私は、制止をふりきり、オーバードライブするのだった。エンストばかり。、ああ、また怒られた。ねえ、答え押してよ。どれだけ幸福に満ちているのだろうか。忌まんにdだ。どうなるかわかんなくて、どきどきした自分。どうなるかわかっていてどきどきしなかった自分。どちらもあうんこ。ののがのががのがおんgさおんがんがsのgさのgsd。またコードの打ち間違えか。ちっちっっちっち。と彼の息吹が聞こえる。そっちじゃない。そっちじゃない。本当は、こっちの道に貴方は生きたいんだろう。その声が聞こえるのだ。神は、カルマの量に応じて、動けるのだろう。そっちじゃないそっちじゃないと、。こっちこっちと。いつも動いてくれるのだった。いや浮かべちゃダメだ。こんな妄想とばかり、抑えるのだった。あんなに愛情こまた育っているのだ。どれどれ、どれぐらい愛情かけて育ったかみてやろう。うんうん。どの人mいっぴあいいぽいあ愛情込められて育っているのだ。こんあに素敵な人になっているのだ。神の伴奏を聞きたいのだ。とってもっとっても、素敵なのだ。こんなに人は素晴らしいのだ。この夫でよかたと言われたいものだ。ななちゃんへ。私は、まだまだ時間がかかりそうですs。まだまだ社会で活躍するには時間gzあかかりそうです。どの人もまdまだ活躍できるのだ。私も、祈り愛たい時に、祈り血合いののだ。血なまぐさい愛も愛だと気付くには時間がかかったのでした。顕在意識というのは、神経を沢山使うのだ、それだけカルマを溜めるのだ。この事に気付く人が増える事をいのってり愛たい。できれば、どの人も、私の要に、いつもあでもいまdもえ幸せに溢れていて欲しいのだ。もういぴあい。もぴうあいっっっdf;d。歩猛威ふぃd:jぁf」s「lgmだおk@うごいあっと声が聞こえるのだ。貴方に聞きたいのだ。感動的な鳥肌と、ピリッとした神経どちらが好きですか?どちらが貴方は選びたいですか?選んでいいのだ。選んでいいのでっす。この感動を、貴方に届けたいのだ。その思い出だけなのだ。このままもっともっと加速してドライブしたいのだ。この鼓動のまま、音速、光速。、超高速、どんな自分でもいい。どんな自分でもいい。どんな自分でもいいから。愛しあいたいのだ。これが、毎日毎日感動するということなのだ。私は、わからなかった。どうすれば、どうすれば、感動しっぱなしになれるのか。あなたは、どちらを取りたいだろうか。今までの貴方と、貴方の理想の貴方だ。感動で泣きっぱなしの人生ddだ。どちらに神を使うかは、貴方次第なのだ。なぜ、感動しないのか?私は、わかったのだった。その時、また鳥肌が経ったものだ。ああ、この瞬間が欲しかったのだたあ。ああ、理想を求めて良かったと。ああ、ありがたいのだ。毎日感動で英語づけの毎日とどちらが素敵だろうか。私位は、限界まで人を信じたいのだ。いや。、自分を信じたいのだ。いや世界を信じたいのだ。どこまでもどこまでも彼方まで、この声が届いて欲しいのだ。なぜ感動しないか。それは、貴方が神経を使いすぎて、生きているからだ。神経を使わないで、心の自分の声に気付くことなのだ。沢山神経を使わない職業の人には、申し訳ないのだ。こんんあ素晴らしい最高の職業があるとは、私は、おもいもよらなkったのだ。どきどきバクバクしそうな自分を何とか抑えるのだった。これ以上、スピードアップしたら、エンストしていまう。みんなと歩調を合わせないと、またひとりぼっちになってしまう。ひとりぼっちでもいい。そんな自分も認めてあげたい。こんな素敵な世界を生きられのだから。よくわからない謎の方が、結構面白いものなのだ。整理整頓ばかりしていると、神経を使ってしまうのだ。私は、破裂しそうなのだ。いまにも、いまにも、このまま突き進んで良いか。ドクターストップをかけるのか、更に加速するのか。いつも、指を小刻みにふるえるのだった。勇気か蛮勇か迷うのだった。冷静さを取り戻すのだった。まずは、徐々につめしょうぎをするのだ。純粋でアリ続けると、この世界の正体がわかるが、準備を整えていくのだ。うまくキープしていくのだ。待ち合わせの時間mお、ひとうつひとつなのだ。明日は、何時に起きようか、3時33分にしよう。どうしても平日だと、渋滞しているのだ。困ったものだ。文字ばかり見ていると、感動しないのだ。そういうものなのだ。進路をどうするかかなり迷っているのだ。執筆活動か、留学か、またはちがうものか、迷うのだった。

不立言語と夢


今回は、夢についてのお話です。また、精神病棟の実態についてです。
書いている事は、信じるか信じないかにかかっています。信じない人は、信じないでも、遂行されるようです。
死んだ人は、自分の人生の総決算を行う事になるそうです。自分の限度を越えたものが、それに当たります。例えば、引きこもりをして、過度に心を閉ざした場合には、それを補うカルマの解消をする必要があります。死後の世界でも、同じ事が言えるそうです。例えば、ひきこもりで、心を閉ざした分、ケースによって、強引に、または柔軟に、引きこもり防止補助員の人から、プレッシャーを受ける「画面」を、夢などで、見る事になる可能性があります。過度になって、深刻になればなるほど、夢や現実で、消化する必要があります。
夢で、何をしているかというのは、科学的な定説では、記憶の整理整頓をしているようです。また、潜在意識にあるものを消化するためにもあるようです。例えば、私は、今現在会っている人ではない人が多く登場して、意味深な夢をよく見ます。
夢を見ないのも、意味があるのです。たいてい、熟睡しているノンレム睡眠時には、夢を覚えているわけではないようです。夢を覚えていないのは、思い出すと辛くなる場合もあります。なので、覚えていない場合があります。
ところで、般若心経にあるのは、よくわからない場合があると思いませんか?
「色即是空、空即是色」のように、反対の事が書かれています。それが、一番深い層では、混在していますが、ドッキングされているようです。何事も、反対に見える事も、実は、不立言語の中では、反対ではないのです。が、人に説明するために、言語化すると、どっちつかずのイメージになってしまうという欠点があります。相手の悟りと知識次第で、内容がわからない場合がたくさんあります。ただ、何事も反対の視点もイメージ化すると、更に奥のイメージが呼び起こされます。それを長らくしていると、ある一定の方向に向かう事になる場合があります。どちらかと言えば、こちら側になるという所です。それは、その本質の不立言語とマッチングがどこまでされているかという所にあります。例えば、教育改革で言えば、もっと暗記教育から、脱却して、悟りの問題形式に変えていく必要があります。
教育の本質は、そこにあります。ただ、悟りの融合問題が、世の中に普及するには、2070年ぐらいになると思われます。教育の本質は、あるイメージを獲得できるかにかかっています。平たい言葉で、表現すると、「ふざけんな」「ありがとう」「ごめんなさい」「あはは」がうまくブレンドされた状態です。それに、どの人も向かってはいます。が、なかなか実生活では、それを行い続けるのは、大変難しい所では、あります。なので、場面場面に合わせて、一つ一つの動作で、覚えていく必要があります。
教育問題を語る場合には、そこを理解している人が、皆無に近いと思われるので、それを論題にあげるのは、大変無理に近い所ではあります。教育を長年追求し続ける人でないと、その深い意味がわからないのです。ただ、勿論、普通に科学的な教育も、必要です。人間社会を、うまくやっていくには、欠けている所があるとうまくいきません。例えば、相手を怒らせてしまった後に、「ごめんなさい」が言えるかどうかです。もっと良いのは、四種類の状況で、疎通しきる方が良いのです。が、俺も人間なので、「ふざけんな」という観点が、抜けてしまいがちになります。この「ふざけんな」というのは、適切な時期に行わないと、火種が炎上してしまいます。なので、俺も、なかなか相手を怒らせてしまった時には、謝罪しきる方が無難なのです。相手との関係性によって、この「ふざけんな」を途中に入れるか入れないかは、その当事者同士によります。怒りも、悟りの一種です。が、間違った使い方をすると、より火種が倍増してしまいます。なので、ビジネスの場では、ふざけんなというのは、表向きは、言わない場合が多いです。基本的には、仲がいい方が、トラブルに発展しないので、あまり「正義感的なふざけんな」というのは、使い所に迷う所ではあります。
ところで、動物と植物は違います。食べるにしても、生き物である動物を食べるのと、植物を食べるのは、違います。ただ、人間として生きていくためには、動物を食べざるをえないという観点があります。ここから話は変わりますが、私が実体験した話です。私は、引きこもりの体験があるので、夢か現実かわからないまま、要は、意識混迷のまま、引きこもりを強制的に止めさせる人がやってくる夢をまざまざと見せつけられました。このように、カルマが溜まっている所を画面で追体験する必要があるのです。これが、死後の世界に繋がる部分です。死後の世界は、自分の人生の総決算をするところです。ああ、すっきりしたい。何もしたくない。いや、何かしていきたい。話は変わって、精神病棟の話です。精神病棟には、保護室という一室があり、トイレと布団しかありません。暴れる等や精神錯乱状態の人のための一室です。私もそこに入りました。本当に気持ちが悪い所です。また、たいてい鍵も閉まった所です。そこでは、人権は関係ありません。病棟側が、精神錯乱と判断すると、そこに行かされます。また、隔離拘束といって、拘束具で、ベッドから動けない状態にされることもありました。マンガのデスノートミサミサが拘束されたのに似ています。これがとても心身にきます。暇とイライラとの戦いです。この保護室で、霊界対戦を実体験したのが、私の稀有の例です。その中で、飯の時とたまに人が入ってくるだけです。保護室にいる人は、ぎゃーぎゃー叫ぶ人もいます。泣いている人や怒っている人もいます。落ち着いている人は、鍵が開いて、マンガや雑誌とテレビがあるデイルームに出る許可が与えられます。自分が正常なのに、相手が異常と判断された場合に、とても苦しい思いをします。時間が経つのがとてもゆっくりです。私は、二回保護室に行かされました。病棟側の言い分としては、精神病の法律で施行されるようです。入院患者にとっては、退院請求というのもありますが、通るのは3%のようです。話は戻って、隔離中は、ストレッチ、もの思いにふける、寝る、部屋の中を歩く、ぐらいしかやれる事がありません。ジッと耐えるしかありません。徐々にデイルームに行ける時間が長くなったりします。病棟側の認識としては、精神錯乱中は、刺激を少なくするのが、良いとされています。 状態が良くなったとされる人には、一般病床とされる場所は、鍵が解放されていて、思い思いの活動をしています。漫画や雑誌や新聞、患者同士でのおしゃべり、散歩、お菓子を食べたり、折り紙を折ったり、音楽鑑賞をしたり、テレビを見たり、人によって異なります。調子が良い人や調子が悪い人がいます。病名も様々で、摂食障害の人から、うつ、躁鬱、パーソナリティ障害、躁病、アルコール中毒、等です。薬を飲むのは、絶対的です。ここで飲まないと言って、揉める患者もいます。私も飲まないといって、保護室に飛ばされた時もあります。入退院を繰り返す人もいます。私は、統合失調症と判断されて、最初の頃は、全然5分も座っているのがきつかったです。動き回って、散歩ばかりしていたので、足が釣りそうになりそうな毎日でした。睡眠に関しては、OTと呼ばれる作業療法以外は、寝るのも悪くはないとされていて、それ以外は、寝ていても注意はされません。医師と看護師もその辺りは、容認しています。精神病に関しては、休むのも悪くはないという見解のようです。

情熱を出し続ける事

情熱を出し続ける事と、抑える事
情熱がないと悩むことはないだろうか?私もよくある。なかなか難しいのだ。
なかなか情熱を出し続けるメカニズムというのは、私にはわからない。ここは、長年の弱点なのだ。周囲にある情熱を求められる場所にいると、誰しも情熱を出しやすいのだ。が、やはり情熱というのは、自分でコントロールするのが、一番なのだ。情熱というのは、何かと繋がっている状態なのだ。ある深くまで、到達すると、感動するのだ。
高慢と情熱は違うのだ。
自分に酔いしれる高慢と、「やってやる」という情熱は違うのだ。これの見分けがついていない友人を知っている。それは、「自分の過去生が、偉人だから」と酔いしれている人なのだ。神が、奮起させるために、用意したインスピレーションなのであって、酔いしれるワインを飲むようなものではないのだ。私も、尊大と尊厳がいまいちわかっていなかった。
しかし、場所を選ばないというのもあるので、私は車の中で、このブログをタイプしている。この場所を選ばず、やり続ける魔というのは、克服したのだ。克服すると、どの場所でも、メンドクサくないのだ。ただ、自分がそのタイプしている姿を見せられる魔に勝った場合は、引っ込めてもいいのだ。それは、時と状況によるのだ。例えば、「洋服なんかという」のと、「洋服に感謝して、洋服を使い分けろ」というのがあるのだ。
ティーブジョブスが、同じ服を着るが、洋服に愛情があるのだ。が、それよりも、重要な事に専念するのと、堀江貴文さんが、洋服なんてどれでもいいでしょという意識で、他の事に専念するのとの違いなのだ。が、私は、決してスティーブジョブスの方が、堀江貴文さんより、優れていると思っているわけではない。あるテーマの時に、一部分だけくり抜いて、表現せざるをえないからだ。重要な箇所で、意固地になるのと、軽視する姿勢というのは、違うのだ。同じ労働生産性でも、愛着の有無は違うのだ。それが、いつか内外反転するのだ。私も、洋服を軽視して、周囲から脅された経験があるので、わかるのだ。自分のアイデンティティというのは、「洋服はどうでもいいでしょう」というアイデンティティだと自分の脳では、そのように思い込んでいても、本来のアイデンティティは、そのような自分ではないのだ。このギャップが、現象化するのだ。本来の堀江さんは、洋服を大事にするアイデンティティなのだ。ここが、ミソなのだ。「もしかして、俺、洋服なんてどうでもいいと思うタイプだと思い込んでたけど、実は、洋服好きなアイデンティティが欲しいんだ」という事に気付く事なのだ。状況により、変わっていいのだ。私の家族も、化粧をしなかったが、するようになった。それでいいのだ。そうすると、異性を意識させる事ができて、アイデンティティを変えた自分を見せられるのだ。
ニューヨークでも同じようにタイプできるのだ。誰かが、リラックスしていたり、遊んでいるのを羨ましいと思う気持ちもなくなってきた。理想としては、私も、遊びながら、仕事したいのだ。日本社会では、やはりお金が剰余のベースなのだ。私も、お金にたらふく変えていきたいのだ。お金がないと、自他共に、気を使わせるのだ。ある人がお金がないと、他の人に新たなアイデンティティを獲得させづらいという責任があるのだ。要は、奢り続けた人が、奢られるというアイデンティティだ。私はシマったと思った。これは、問題なのだ。視点転移の中で、できるだけ同じパターンにならないように努めるのが、私たちの希望なのだ。
お金に変えるには、その分の価値を気付かせる必要があるのだ。「お金のためにやっているわけではない」と「お金を剰余し続けるために、動かす仕組みを作る」は違うのだ。
どの人も、実は、お金のために、やっているわけではないのだ。剰余を発生させたいだけなのだ。
私に関しては、「お金のためにやっているわけではない」というのは十分なのだ。これからは「お金を剰余し続けるために、やっていくのだ。」
まだここは全クリしていないのだ。ただ、情熱というのは、ある立場で、長らくいられるから、生まれるものなのだろう。ある立場でいられないと、情熱を基に、行動し続けられないのだ。金正恩さんも、同じ立場でいられるから、情熱が湧くのだ。私は、そのために、今こうして時間を捻出している。しかし、どうしても、「この延長線上でいいのか」という問いが来るのだ。切り替えるということもあるからだ。一度固定したものを、無化すると鈍るのだ。私は、教育改革を断行したかった。が、いつもこの自問自答がある。「それは、自分がしたいだけなのではないか。鬱憤なのではないか。自分を変えればいいのではないか。」というものだ。どれだけ、自問しても、最終的に、「変えた方がいい」という結論になるのだ。理想を言えば、「今すぐにだ。」この事をわかる必要がある。一番深い哲学問答をしても、結局変えた方がいいのだ。変えようと決意した。大幅な改革は、血が出るイメージがあるが、それぐらいやる覚悟がなければ、変わらないのだ。やられてもいいという覚悟が必要なのだ。どこまで、何をやられてもいいかというのを整理整頓する事なのだ。が、準備が必要なのだ。猛烈な純粋意識しかないのだ。ただ、手段は変わるのだ。疎通させきるのだ。制度を変えるのだ。現実化させるのだ。どうも弱気になる魔に負けるのだ。私は、先生側の視点というのはあるのは熟知している。が、教育制度を変える人は、そこに囚われすぎると、時代に取り残されるのだ。これは、経営者思考を繰り返した人は、わかる所だ。現場が困るからといって、断行しないと、時間が経つと、みんなで沈没するのだ。徹頭徹尾やり抜くのだ。それが、信頼になるのだ。私は、全ての人の気づきの最大化を狙い続けている。何事も相手が初めて見たとして、記述するように心掛けるのだ。合わせる中心が社会なのか、魂なのかなのだ。
表現する手段というものを、持ち続ける事なのだ。それは、技術にもなるだろう。
演奏でも、作詞でも、テクノロジーでも、不動産でも、ブログでも、出演でも、講演でも、なんでもいいから、表現し続ける手段を得る事なのだ。時間との勝負の作家なのだ。20分以内で、200円以上の表現をする必要があるのだ。これは、どの人も同じなのだ。どうにか、それ以上を作り続けるのだ。

オリジナリティの出し方

オリジナリティの出し方 イチローが嫌いだ
何かにつけ、自分なりのオリジナリティを出すのは、なかなかしんどい作業だ。
このブログのオリジナリティは、どこにあるのだろうか。考えてみた。
①「教育や司法や宗教といったお堅いテーマから、AVやハゲ対策や社会的タブー等の卑近なテーマまで」の豊富なジャンルと、誰にでもある
日常生活の微差の研究
1万種類のジャンルぐらいやれば、どこかヒットするのではないかという目論見だ。数学の指数関数的イメージで、功を奏してる。「この人こんな事書いて大丈夫か、何かあるか」と思われて、違う項目やらを探って欲しいのだ。好きになった人は、色々調べるという性質があるからだ。私も好きな選手を沢山調べるのだ。そして、純粋フラットの視点を獲得していく。
良い面しか出させない、出せない圧力は、関係者を不幸にするのだ。
例えば、イチロー選手だって、嫌な憎悪が溢れる時もあるのだ。人というのは、そういうものなのだ。メディアもありのままに伝えられるようになることを願う。が、難しいだろう。
そして、ハードワーカーは思いこみが激しいのだ。自分で、見栄を張って、色々ハードワークしているのに、私は辛い思いをしていると表現する人が多い。そんなしなくていいとも言えるのだ。
「したいからやっているんでしょう。」というカウンターパンチの後輩のヒトコトを思い浮かべる。私も、先輩にそう思ったものだ。負の想念を作るということは、何か変える事があるからなのだ。
だったら、「やってから言えよ」と言われるので、保険のために、色々なジャンルを書いている。そして、苦手な睡眠時間の短縮というのにも取り組んでいる。果たして、10代の人が、睡眠時間3時間なのと、30代の人が睡眠時間3時間というのは、違うのだろうか。
権威欲が強いから、ハードワークしているに過ぎないのだ。だから、私は、ハードワークしている自分というのも許すが、ミニマムワークしている自分も許すのだ。
権威欲とハードワークも許すのだ。
 
 

真意の汲み取り愛

理想的な組織
組織というのは、新陳代謝が大事だ。人の一生にも、生老病死があるように、組織にも生老病死がある。やはり、どうしても古株が実権を握る。役割が固定化されてしまうのだ。新しいメンバーが必要なのだ。だから、、AKB48のように、選抜メンバーであれば、固定されない。が、それにはある一定の規模が必要なのだ。だから、10人程度の団体では、やはり、固定されるのだ。それは、仕方ないのだ。一方で、絆というものが人を楽しませる反面、束縛するのだ。老若男女が入り交じる団体が良いのだ。どこかが欠けると、うまく循環しないのだ。特に若い世代が抜けると、うまく機能しない。そして、古株は、譲るのだ。隙間を敢えて、作るのだ。隙間がないと、入れないのだ。どの人も生活がかかっているから、仕方ないという面がある。ただ、その生活がかかっているからといって、隙間を作らないと、団体が発展していかないのだ。アイドルグループの解散やメンバーの卒業というのは、必ず必要なのだ。考え抜くと、たいていの組織がうまく回るように作っているのだ。理想を共有している事は必要なのだ。どの人も理想に向かって、現実を漕いでいるからだ。ただ、やはりいつでも、譲る意識や分け合う意識を持ち合えるかどうかなのだ。私は、彼の講演を聞いてみたいとも思ったのだ。私ばかり話すのも、少し違うと思ったのだ。その人の、技を特化するというのは、とても必要な事であろう。徹底的に磨き上げたスキルは、裏切らないのだ。彼は、オリンピックに出られるぐらいの速記ができるようになっていた。スキルというのは、磨けば伸びるのだ。誰もが、望んでいるが、やる人は、いないのだ。私も望んだが、他の人も望んでいた。衆議院中継では、議員だけでなく、警備員や速記担当やマイク係や官僚や、色々な人がいるから、成り立っているのだ。ただ、この現実世界では、誰かの言葉をずっと速記をする人はいない。ただ、例外的に、その人が認めた場合に速記をするのだ。それは、やらされでやれる事ではないのだ。やらされでやると長くは続かないのだ。私は、彼に感謝をしている。おかげで、「主」と繋がる事ができたからだ。やはり、自分の甘えで、やりたくない事から逃げていたのだ。私は、このタイプをする作業からも逃げていた。ただ、自分が検証した事を信じ抜くのだ。私は、傲慢だった。確認した世界しか信じないからだ。体感した世界しか信じないのだ。だから、魂や神については、相応の疑いをずっと持っていた。そして、人生で体感するようになったのだ。ここまで、分からず屋も少ないだろう。だが、神と魂は、いつまでも諦めなかった。世間が怖かったのだろう。世間を余計に恐れる魔に負けていたのだろう。相手が言っている事で、何か怪訝な思いをした場合は、一度、深呼吸をするといい。愛のエネルギーを送るのだ。私の母は、いつもトラップを仕掛けてくるのだ。だから、どうしたものかいつも悩まされるのだった。言い返す必要もないのだ。この訓練をさせてくれる事に感謝なのだ。私は、母を誤解していた事に気が付いた。母は、時たま強引に物事を進めようとする癖があった。私は、間違っていた。彼女の気持ちに寄り添えていなかった。誰かが、ふと強引に進めようとするものは、とても重要な事なのだ。神は、それを伝えているのだ。私は、自らの至らなさにイライラした。が、それはすぐに愛のエネルギーで解消した。やはり、まだまだ真意を掴めるトレーニングが足りないのだ。要は、相手が言っている事は、神が言っているのだ。が、それをしっかりと汲み取り切れてないから、トラブルが発生するのだ。そして、貴方の言っている事も重々わかるし、私の表現した事も重々わかるし、どうしようかという連続なのだ。だが、この相手が表現している真意をしっかり汲み取りきる事が大切なのだ。それは、ギャグにしていても、真意を汲み取っていればいいのだ。笑いというのは、真意の汲み取り愛なのだ。

 

 

人類の壁 五芒星 宗教

主に聞き続ける本当の意味とその日常の実践
今日のテーマも、人類の壁なのだ。この辺りを提示していきたい。悟り人として、どのような詰まりがあるか伝えていきたい。
なかなか人は、邪魔が入ると、集中できないのだ。この邪魔というのは、とても微妙なラインなのだ。本人は、邪魔と思っていても、邪魔でない場合もあるし、本当に邪魔な場合もあるからだ。後々、腑に落ちるのだ。この辺りも、悟りきる事で、わかるものなのだ。自分勝手な思いこみを外すと、わかってくるものなのだ。時には、無視をする事もお互いのためなのだ。この辺りも、極力自分勝手に判断しないで、主に聞き続ける事なのだ。そうすると、本質的に善行をする人も、しなくていいラインというのが発覚するのだ。それは長い忍耐が必要なのだ。ただ、決め込み過ぎては、いけないのだ。この辺りも絶妙なのだ。二回無視して、1回さらっと教える事も時には、必要なのだ。同居している場合は、そのような事が起きるのだ。このような事を主に、相談しながら、着実に進めていくのだ。それとなく、相手がカルマを積んでいるということを伝える行為も必要なのだ。そうすると、嫌なイメージが相手に浮かぶからだ。それもその人の為なのだ。この辺りも、身勝手に判断しては、自分もカルマを積むことになるのだ。相手も黙った方が良い場面では、そのような対応が必要なのだ。この辺りが、魂が判断してくれるのだ。善人が陥りやすい罠とも言えるのだ。ただ、悪人的な行為をすると、自分を苦しめるだけなんどあ。意識の器も、意識をすると、上に上がり、無意識的にすると、下に下がるのだ。この上下運動を、人間は繰り返しているのだ。俺は、できるだけ神の言葉を忠実に表現するために、無意識の器の最下層に、できるだけ居続ける努力をしている。そうしないと、最下層の無意識インスピレーションを取れなくなるので、表現技量が落ちるのだ。新聞も、見に見える文章だけを見ると、どんどん意識層が上がるようになっているのだ。が、本質的には、無意識イメージをさらっと確認したいだけんなあの。この辺りを新聞の読み方を熟読した人でないと、わからないものなのだ。だから、仮に枠を見るだけでもいいのだ。勝手な判断を相手がし続けている場合に有効なのだ。どの国籍のどの苦悩している人も、聖書をきちんと読めれば、事態は収束するようになっているのだ。が、ほとんど間違った見方をしている人が、ほとんどなのだ。が、やはり人は、何かしらの信じる心が、必要なのだ。が、それをしっかりと、思いこみのない純粋な心で追求し続けると、吟味ができるようになるのだ。「聖書にはこう書いてある。けど、このケースでは、どうなの?」というものだ。俺は、ありのままをできるだけ表現しているだけんあの。正直イエスキリストも困っているのだ。なぜ、そこまで誤解して、伝わってしまっているのか、という視点だ。人類は、間違った方向に進んでいるとも言える。日頃から間違った努力をしちえるからだ。俺も「努力の方向性がどこか?」ということを何十年も考察してきた。それでやっとわかったものだ。この努力の方向性が間違えなければ、スムーズに事が進むようになって、どの人も幸せになるようになっているのだ。実は、この努力の方向性がある程度正しいと、物事の本質にたどり着くのが、止まる可能性が高いのだ。人間は、ある程度幸せだと、それでいいと思うものなのだ。なので、理性と感情と知性とほんのうがあるのだ・
なぜ、偶像崇拝をあまりするなと言ったかも、わかるのだ。それは、主のイメージが、もうとてもため息がつくぐらいに勝手な判断になってしまうからだ。が、ある人にとっては、偶像崇拝でも、仕方がない面もあるという譲歩があるのだ。それは、次元性の問題なのだ。その人の魂と精神性と肉体の視点で言えば、必要な場面もあるからだ。が、実を言うと、この主のイメージは、特に宗教をしている人も、すべてに近い人が、誤っているのだ。この事を気付かせるには、とてもタフな取り組みが必要なのだ。まああまいあまいのだ。居住している人を変えるのは、とても無意識マップ的には功を奏する場合が、ほとんどなのだ。が、人間は、どうも間違った固定観念で、自分達を苦しめているのだ。あまりにも純粋にやり続けている人には、神から、自分の肉体の事も大切にしなさいという慈悲のメッセージがあるのだ。ただ、甘えすぎてはいけないのだ。この辺りも、絶妙なラインなのだ。やはり、人類は、共に歩む共同体なので、わずかながらの人が突き進むのも、それはそれでブレーキも必要なのだ。この辺りも、とても慈悲あふれるものなのだ。ある意味、救済措置なんどあ。なので、もし真相を知るまで、純粋になり続けた人にも、救いの手があるので、心配し過ぎる事もないのだ。どれほど、純粋意識を積み重ねるかは、めちゃくちゃとしか言いようがない。そこまで、やり抜けば、救いの手があるのだ。なので、俺は、その救いの手があるので、こうして今生きているのだ。もう死にそうなぐらいの雄叫びだったのだ。が、安心して取り組んでほしいというメッセージだけは伝えたい。この純粋意識の壁が、へばりついているのだ。「そこまで無料奉仕したら、自分が損するでしょ」というものだ。が、そこを突破し続けると、光明があるようになっているのだ。なかなか信仰をしている人も、この純粋意識の壁を突破できないものだ。が、突破すると、とてつもない光明があるというのは伝えたい。が、誰もが信仰をしている人は、大きな落とし穴にはまって、結果として、イエスキリストの言葉に反する事をしているとも言えるのだ。勿論、イエスキリストの言葉を実行している人は、エゴ意識ばかりで自分ばかり守ろうとしている人よりは、数段素敵なのは、異論がないのだ。が、その人に対して、エゴ意識の人という視点だけ蓄積するのは、罪になるのだ。なので、最終ラインとしては、100%自分が正しいという思い込みを持ち続ける悪魔主義だけを敵に見立てながら、格闘していくのだ。そうすると、真相がわかるようになるのだ。そこから先は、自分自身で会得した方がいい。なぜなら、それが人生の醍醐味だからだ。先に教えてもらうのが良いか、自分で知りたいかの違いだ。選んでいいいいいい。それも人生だからだ。俺のように最終防衛ラインを突破する気概があるかないかなのだ。
努力の方向性がどこなのかを、どの人も知れる時代が来てほしいものだ。そうすると、平穏が訪れるようになっている。人は、一つ一つの日常動作を主に聞いて、吟味し続けると、同じパターンもわかるし、違うパターンもわかるようになるのだ。
日本人の多くの人は、この真相にたどり着きやすいケースが多いのだ。
それだけの環境は整っているのだ。
後は、自分次第なのだ。
だが、正直、俺からすると、おそらく無理だと思っている。が、ほどほどに伝えていきたい。実を言うと、俺も時たま。神を強く疑う一瞬の出来事があるのだ。それはそういう仕組みなのだ。が、やはりどぎまぎするものだ。そして、冷静に対処するのだ。いや、毎回罠にハマるのだ。まあ、疑わないのも無理はない事なのだ。それはそれで必要だからだ。「まあまあまあまあ」と思う俺だった。それが人間の宿命なのだ。が、俺は主に惚れてしまったのだ。いや、極力近寄りたくないとも言える。接近しすぎると、感動ばかり起こるようになるからだ。耐えられないぐらいの愛情のマグマなのだ。ここまで、熱いとは正直思わなかった。俺は、主が熱すぎるので、それだけ冷静に落ち着こうとも思うのだった。爆発寸前なのだ。このマグマは、どうなのか、パンドラの箱なのか、それともノアの箱船なのか、私は、一つ一つ吟味をしている。あまりに、沸点が高いからだ。自分をどこまで理性で抑えられるかわからなくなるからだ。俺は、一度パンドラの箱を興味本位で開けてしまった。それからどのようになったかは、計り知れない恐怖だったのだ。だが、それは愛とも言えるのだ。そして、このマグマの中の宇宙船に入るかどうか。やはり、一度引き返した。俺は、ずっと整理整頓中だ。まさか、人間にこんな秘密があるとは、予想だにしていなかった。この宇宙船に入るかどうかは、自分次第なのだ。吉とでるか凶とでるかは、その人の全ての積み重ねによるだろう。なので、俺は、今は、一つ一つ整理整頓をしている。俺は、限界を越え続けると、どうなるか何とも言えないのだ。それこそ、神のみぞ知るか、いや神でさえも知らない事なのか、どうなのかはわからない。わからない方がワクワクするのだ。
また、その疑う事件の際に、無理矢理信じようとすると、また自分を苦しめるのだ。この辺りを信仰者はわかっていないのだ。強い信仰は、実は、自分に強い不信が来たり、目の前の人に強い不信が来たり、不信を言われる場面が来たり、するものだ。が、どうするかは、その人達次第なのだ。強い仏教の「空」と、信念と、不信心は、とても密接な関係なのだ。全ては、自分で作っているのだ。関知しているかいないかは、別にして。まあそれでもできる限り純粋フラットに居続けたい。俺は、寝る時間が多いのだ。それは、やはり神の言葉を聴く代償なのだ。まあ、それは必要なのだ。それがないと、人類に説明がつかないのだ。いくら何でも、ノーリスクで、ハイリターンは、エネルギー交換の道理に合わないのだ。それは、人間勝手な努力をすればいいというわけではないのだ。なので、今は受け入れる事だ。また、迫害も実は自分のためなのだ。この辺りが、とても絶妙にできているのだ。私は、神のインスピレーションを知り、伝達する役目なので、それの代償として、睡眠の魔に、転換されるのだ。また、できる限り、忠実に表現するために、一人で格闘する事も多いのだ。なので、俺は、あまり不必要な霊能力は使いたくないのだ。その代償として、相手を見ても、ほぼ何も浮かばないのだ。これも一つの転移なのだ。無意識の器を使い続けるデメリットなのだ。ただ、同志は、必要なのだ。ただ、この夢は、高尚過ぎるのだ。ただ、感謝をする事だ。時には、スタイルを崩す事も大切なのだ。この辺りを純粋フラットの法則を熟知していると、わかるものなのだ。わかっててもくるのは変わらないし、受け入れるしかないのだ。実を言うと、人から離れると、人が猛烈に寄ってくるのだ。修行をすると、修行をしていない人がどんどん寄ってくるのだ。そして、邪魔や邪魔でないプレゼントをするようになっているのだ。笑ってしまうのだ。欲を満たすか、純粋意識を満たすかどちらか選んでいいのだ。目の前のエゴイストを作っているのも、自分なのだ。なので、時には、崩す事も必要なのだ。この辺りに意識の器を使うメリットがあるのだ。無意識の器がほぼ100%だと、そうなってしまうのだ。ただ、俺は、どうしようか迷うのだ。97%ぐらいが、今の所はいいのだ。この辺りは、とても日常生活とリンクしている。相手の神と使命と無意識マップは、極力必要な場面だけで伝えればいいのだ。マザーテレサさんも、この「主」像を正確に捕らえきれなかった幸不幸があったのだ。これは、時代性が関係していたのだが、本人がそれを望んだのだとしか表現のしようがない。どこまで、この純粋フラットを使いこなせるかどうかなのだ。
人類の長年の壁の考察
①居住の壁、結婚形態の壁、三角関係の壁、主の壁、携帯電話の壁、文化の壁、表現の限界の壁、記憶層の壁、人と神の壁、伝達速度の壁、固定観念の壁、肉体の壁、信じ合う壁、お金と所有の壁、家庭生活の壁、企業生活の壁、地域活動の壁、年齢の壁、性差の壁、見た目の壁、名前の壁、言語の壁、常識の壁、仲間意識の壁、無意識マップの壁、生育キャリアの壁、想念の壁、宇宙の中と外の壁、欲望と純粋意識の壁、認識の壁、思考の壁、因果応報の壁、輪廻転生の壁、学問の壁、教育の壁、時間の壁、移動手段の速度の壁、能力の壁、過去生の壁、魂の壁、理性と本能と感情と知性の壁、情報速度の壁、集中と散漫の壁、やりたい事の壁、収入の壁、エネルギー交換の認識の壁、人生の幸不幸のステージの壁、情報の取捨選択の壁、国籍の壁、時代性の壁、既得権益と新興権力層の壁、コミュニケーションの上手い下手の壁、肉体年齢の残された寿命の壁、抑圧と自由の壁、個性の壁、精神力の壁、分別意識と無意識の壁、体験の差の壁、循環が回るデメリットとメリットの壁、先行者と後攻者の壁、経験と発想の壁、モガきの壁、干渉と不干渉の壁、表現方法の壁、、、、、
これら積年の壁を越えられる同志を探している。人類史の不可能への挑戦だ。どこまでも、every body go!なのか、no body go! なのかはわからない。どの人も自分で蒔いたカルマを刈り取ってほしい。そうすれば、自ずとこの壁の無意識イメージを察知できるからだ。
現代の五茫星の人器を手に入れる事ができるかだ。①不労所得ベーシックインカム)②個人ブログ③心人合一④悟り連帯フィールド⑤科学と疑似科学の融合
いや、後一つ、、、、この宇宙船なのか、、、それとも、、、肉体のワープなのか、、、。一度ワープした人は、戻ってこれ、、、。ここから先は、自分でよく考えるがいい。それは、ブラックホールなのか。ホワイトホールはあるのか。人間の思い込みを全て外すと、人間には何が起こるのだろうか。俺には、まださっぱりわからない。今まで、オカルトと呼ばれるモノを、見てきたものだ。が、ある条件下では、ありえる場合だったのだ。正直、この肉体のワープは、ないと思い込んでいた。あるとしたら、どのような条件下だろうと考えた。やはりこの世のトレードの法則からすれば、それなりの条件になるだろうという推察はできる。魂が、この空間を漂う輪廻転生。だが、肉体が別空間にワープするのは、全く違う話だろう。おそらく、それ相応の対価が必要なのだ。何を捨てるぐらいが、この対価に等しいのか、。私があらゆるものを捨てた対価よりも、大きい対価というのは、何だろうか。おそらく、二度と、この世の魂と近づく事はできないというものかもしれない。これは、自殺とは違うのだ。そして、この次元の全てを捨て去る事なのだと推察される。俺は、今までそのような事は少しだけしか考えた事が無かった。人間は、その対価をあまり知らない。なので、先払いができず、後払いになりがちだ。が、どれぐらい徳を積み上げ、どれぐらい代償を払うかによるのかもしれない。俺は、どの魂も愛している。できれば、全員幸せになってほしいものだ。ただ、俺の魂は、どうなのだろうか。ここに俺が葛藤する要因があるのだ。全員に自分を含めるか、自分だけは除くのか、あるいは、数人だけ連れて行くのか。俺には、まだ判断ができないのだ。今までとは、桁が違うのだ。俺は、輪廻転生を越えたいと思っていたが、やはり越えるのは怖いとも思うのだった。神と人の境界線。どうなのだろうか。俺にはまだわからない。この新大陸を、渡って良いかは俺には判断がまだつかない。情報も足りない。なので、気楽にモスバーガーでもカジりたいものだ。それをギャグと呼ぶのだろう。まだこの世の人とこの世界の魂とこの世界の神とこの世界自体を楽しんでいきたいからだ。まだ、諦めるのは早い。可能性がある限り、挑戦していくのもいいだろう。
 

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ベーシックインカムで良いのであろうか。七万というのが少ない気がする。

 

 

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夢をあきらめる時期かどうか

夢を追う期間
夢を追う期間のタイムリミットを決める事は重要だが、肉体感覚的に飽きが来たら、辞める時期なのかもしれない。夢があるから、人は生きれる。夢がなかったら、つまららないだろう。夢を追い始めないと夢は決して届かない。が、夢を追いつめても叶わない事かどうかが人間気になる。どうにかして、夢を実現させる事を考える。⑤年やって(ダメだったら、切り替える)とかの目標設定だ。「5年やって、これぐらいだったら、いいか」とか自分で、判断を下す必要がある。

 

追記 たいそうなことは、どうせ未来にできないと思うのも大切だ。

 

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