verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

毎日の魔

毎日の魔。
この秒数は、人生でどれくらいだろうか。どれくらいだろうか。どの人も、バッターボックスに立っている主人公なのだ。何割バッターだろうか。私は、十割バッターを目指している。ここが普通の人との違いだ。それは、まるで、ずっとピッチャーに投げてもらって、見逃して、様子を見ているようだ。

私は、どの人も同じことをしている事に気付いた。相手の思考は見えないが、同じ事をしている。だから、全てを考察すれば、認められると思っている。
数は、膨大だが、投げまくれば、何か当たると思っているからだ。日常生活と、科学現象、宗教、根本メカニズムを、すっきり循環させたいのだ。今は、日常生活から、帰納的に、科学現象、宗教、根本メカニズムに向かっているが、根本メカニズムから、宗教、科学現象、日常生活へと、演繹的に向かっていく。

継続させる勉強法

継続させる勉強方法というのは、沢山あるのだ。ものすごい量の勉強方法を多読して、偏差値20あげた経験がある。私は、ノートに、単語や文章を書いて、それがアウトプットできた場合には、真ん中に線を引いている。これが、快感なのだ。
勉強方法はたくさん知っているが、あまり価値を置いていないから、ここまでにしよう。悟るためには、この世とあの世の勉強をしないといけない。

努力を継続する方法|続く人が自然にやっている6つの習慣

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才能があるならやってもいいよという魔

才能有るのかしらという魔がある。才能があるならやってもいいよという魔がある。この魔にやられている人は多い。一瞬不安にさせられる。が、才能は、自分で磨くものなのだ。
まず、やりきらなければ、才能というのは磨かれないのだ
私は、才能探しをしていた。才能は、あるのだ。踏ん張って、やるかやらないかなのだ。

才能 あるなし
トラウマは実は才能と信念の原点? | Colorful Life Designer ☆ Mika(大阪・心斎橋)

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スリと脅迫

スリは、当たり前だが、「盗んでやろうとする」魔に負けている
魔が差すと、スリに快感を覚えるようになる。
そして、常習犯になり、
いつの日か、刑務所に入ることになるルートが作られる。今回は、当たり前の事を書いている。手グセが悪くなる。私は、スリをしない。スリを一度か二度だけ、中学生でした記憶がある。怖さとスリルがあるものである。ただ、私はやはりやらないほうがいいというのと、臆病風でやらないことにした。

【魔が差す】魔というのは、本当に差すものなんだよ。 - 3年後の私をつくろう

【魔が差す】魔というのは、本当に差すものなんだよ。 - 3年後の私をつくろう
魔というものに負けると、そのようなルートが発生するものである。

不意に孤独感を感じるものだ。特に相手が電話に出なかった場合に感じるものだ。

家族のパンツを洗えるかどうか

新しい教育の問題は、どのようにすれば、魂に響かせられるかという事だろうか。
人間には、分けるという頭がある。だから、分ける動作ばかりするようになっている。
逆に統合するというのが、弱いのだ。
また、魂と相談しながら、生きるのが良いのだ。笑いのドグマに固定されている友人も、悟りのロープレでは強いが、やはり魂に忠実の方がより良いのだ。
異性のパンツで、色欲の思い込みの強さがわかるのだ。私は、家族のパンツも普通に畳むのだ。
どの存在も、主があるからだ
分ける動作ばかりだと、ある一定の偏向になるのだ。頭の使いどころでもあるのだ。被れば、ギャグになる。誰もが、被って良いのだ。

不安を和らげる 家族の認知症ケアがわかる本 - Google ブックス

死後の世界 あるかないか

死後の世界がどうなっているか気になるのではないだろうか。私もなかなかわからないところが多いのだ。
最低限言える事は、死後の世界は、走馬灯のように、自分の人生をフラッシュバックするようだ。二回の生死を分ける戦いを私自身したので、それがあることを疑似体験した。が、輪廻転生があるかないかまでは、体験してないし、また意識体からも教えてもらってないのだ。この謎が解ける日が来ることはあるだろう。

【ガチ科学】「死後の世界」が存在することが量子論で判明! 米有名科学者「脳は意識の受け皿にすぎない」

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死後の世界はあるかないか・・ | スピリチュアリスト・ミディアム☆Kiyomi-Yoshida

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迫害の魔 五感覚 遮断 テレビ キリスト 出会うには 嫌い 生まれ変わり

迫害の魔というものがある。

自分が、純粋な事をしているのに、何かいけないのかなと感じる魔だ。

私は、家にいるが、テレビを見ているわけではない。テレビも、時たま必要なのだ。会話の種になるからだ。テレビで流行を知れる。流行は、将来話題になる。
テレビを見ている人を悪く言っているのではない。がテレビを見るより、世界平和に向けて、準備をしている方が、よっぽといいのではないだろうか。
自分が、損していると思う魔に負けないことだ。

自分が獲得したものを、大事にするのだ。テレビというのは、会話のネタにするためにあるのだ。勉強をするなら、座学とフィールドワークで十分だ。
やはり、神の声(ある意識体)というのは、自然に宿るのだ。五感覚の遮断というのが肝になるだろう。
やはり、喧騒な場所では、エゴ意識が強くなるからだ。どの人も、実は耳で聞いてないと思っても、聞いているのだ。必要ないからなのだ。だから、私はごめんなさいなのだ。相手に聞いてほしいと思っていたが、相手にとっては、必要ない場合もあるのだ。無意識マップの完成のためには、必要なのだ。


話は変わって、
私の母は、英語漬けの毎日だが、新しく自分を作り替える事が必要なのだ。それには、自分が執着している英語を一旦捨て去る事が必要なのだ。私は、キリスト以外全て捨て去る覚悟をした。だから、キリストに出会えたのだ。だが、それも思い込みの1つにすぎないとも何とも言えない。捨てればわかる境地もあるが、捨てるとなくなる境地もあるのだ。
私が捨てるのができなかったのが、倦怠欲と、自由意思なのだ。自分自身を、どこまでも壊してしまった。悟るためには、必要なことだったのだ。

追記 倦怠感と自由意思もほぼ捨ててしまった。

追記
テレビの流行というのもある。クイズ番組や旅番組や音楽番組等である。何となくテレビを見てれば、流行がわかる。これが、時代の一部を体験してるという事だろう。テレビもたまに見ると面白い。

gamp.ameblo.jp

https://gamp.ameblo.jp/seishomandan/entry-12535856126.html

https://wired.jp/2009/10/26/%E3%80%8C%E6%84%9F%E8%A6%9A%E9%81%AE%E6%96%AD%E3%80%8D%E3%81%A7%E5%B9%BB%E8%A6%9A%E5%87%BA%E7%8F%BE%EF%BC%9A%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90%E3%81%AE%E5%88%A4%E6%96%AD%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%BC%E8%AA%AC/
感覚遮断で、目に見えないものが見えるようになるという実験結果だ。