verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

どうキープすればいいか?

実は、自分の守りたいというものがある。実は、一番これが、自分を苦しめているのだ。この観念が、実は、自分を苦しめている。私は、いっさいの観念を取ろうと思うことで、確かに辛かったが、それにより、今こうして、感謝する生活ができている。同時に社会の思いこみも、とても強い事に気付かされたのだ。私は、社会性を失う事で、逆に社会がどういうものか知ったのだ。やはり、渦の中にいると、なかなか気づけないのだ。私は、今こうして、自分がしたい事をすることができている事に感謝している。こういう状況を作りたかったのだと気付かされた。が、ここをキープするのを、妨害する魔がある。社会では、どうなるかという魔だ。この魔に打ち勝ち続けるのだ。それが、歴史に残る偉人なのだ。私は、偉人になりたかった。捨てる事が一番、偉人になるのだ。その他大勢と同じ生活をしていたら、やはりその他大勢なのだと気付かされた。つまり、この生活を続けるのが今の所は、ベストなのだ。私は、人として最低限の事というものが何であるか研究していた。どこまで、人は一日の生活でしないといけなくて、どこまでしなくていいのかということだ。この見極めを誤ると、偉人になれないのだ。そして、それには感謝をし続けて、その状態をキープすると、ベストな発想しか浮かばなくなるのだ。その状態がベストなら、他にすることはないのだ。そして、私は、命を捨ててもいいという状況を作ることで、逆に自分の命を救っていたのだった。なんと、慈悲深い神であろうか。つまり、この状況をキープし続ける事が、ベストなのだ。今自分がいるところが、その人にとって、ベストなのだ。その事がわかるには、深く感謝をし続けることなのだ。つまり、私は、使命に狂うというのは、これを続けていけばいいということであったと気付かせていただいたのだった。それが、貴方にとって、自分にとって、一番良いのだ。過去からの流れの中で、理想の未来に向けて、一番良いのだ。ごめんなさい。ありがとう。私は、この状態を、自分にとって、ベストだと断定しようと思う。私の内面で起きたことをこのように本にすることが、一番私にとっていいのだ。魔なのか、純粋意識なのか、分別し続けるのが大切なのだ。それには、感謝をし続けるのと、甘えない事、魂に従い続けることなのだ。ごめんなさい。なかなか人は、自分の状態が、どれがベストなのかがわかりづらい。というよりも、センサーがきっちり働いていれば、大丈夫なのだ。やはり、それには、自分で悟るしかないのだ。一心不乱というのは、そういう事なのだ。必ず自分にしかできない事が、ずっと感謝していれば、あるのだと気付かされた。ピキッとする痛みは、ちなみに魔ではないのだ。私は、外に出掛けて、ゴミを拾う。その時、何かに勝った気がするのだ。ふと、何か少しだけ人より頑張る。これが大事なのだろう。今の連続を取り戻しそうだ。ありがとう。ごめんね。マジで。人は、どう今を積み重ねるは、その人次第なのだ。ゆとり教育も、教育なのだ。買わないから、外にでないという魔にも、お金がないから、外にでない魔にも、勝ったのだ。一人にさせてあげたかったんだよ。輪廻転生してくれて、いいのだ。と母を認めるのだった。付き合わせて、ありがとう。ごめんなさい。同じ所にいても、違う画面を生きているのだ。私と母は、老夫婦のようになっていた。まるで、父が生きていて、私になり、母と一緒に穏やかに暮らしている気持ちになれたのだった。こうやれば、家族円満になるのだということを、気付かせてくれて、ありがとう。とてもスパルタな母であった。私は、よくカンブリア宮殿を見ていた。それは、成功したかったからだ。だが、私が本当に求める成功は、カンブリア宮殿にはなかったのだった。私は、自分が魔に勝てたか確認するテストをする。それは、カンブリア宮殿に出演している人に、嫉妬しないかどうかだ。陰ながら、応援したいのだった。それが、私がしたいことであったのだ。私は、自分のこの生き方でいいと自分で認める事だった。ただ、誰もが自分の人生を認めたいのだ。ある瞬間で、パッと開けるというのがある。やはり、それは、感覚なのだ。そう一瞬で、何かが変わるのを捉える瞬間だ。これが、やはりオリジナルマインドが、人間には、備わっているという、具体例であろう。もし肉体だけであったら、心の機微だけであったら、そのようなものは生まれないと考えられるからだ。これが、やはり内外反転をしているという証拠でもあるのだ。この体験は、誰でもしているはずだ。人間は、二人で支え合っているのだと気付かされたのだった。いや、みんなで支え合っているのだ。浮かんだことを喋らないというのも、また自分を守ってくれるのだ。迂闊な失言は、身を滅ぼすからだ。一度、ごめんなさいと思ってから、確認することだ。私の母は、言いたい事を言いたいだけなのだ。だから、言っている事をいちいち記憶していないからと言って怒るわけではないのだ。人というのは、自分に必要なものは、記憶しているのだ。実は、全体を見ているのだが、一部分を切り取ってみるように普通は、セッティングされているのだ。それは、記憶に残っているのだ。取り出せないだけなのだ。というよりも、取り出す必要性もないものが、ほとんどなのだ。テレビばかり見ている母に、あんた、バカーというアスカを気取るのだった。やはり、そういう悪口も必要なのだと気付かされた。神のインスピレーションは、やはり、一つ一つどっしりとヘビーなのだが、人の言葉による伝達は、人に多くの伝達ができるのだ。だから、会話というのは、良いのだ。気が合う人とは、電話がいいのだ。私は、電話魔だった。が、今では書き込み魔である。今は、これがいいのだ。電話だと、残らないからだ。失敗は、繰り返せない。電話を録音しても、それはそれで、時間がかかる。だから、文字が良いのだ。表に出せば、何かの拍子というのは、あるのだ。大量の情報を、人間はキャッチできないからだ。一つ一つ、自分の脳で、キャッチする必要があるのだ。ただ、いかんせん、納得しないのだ。10年分ぐらいの情報考察経験が必要なのだ。が、そんな時間は、普通にしてたら、嫌な感情がある。だから、こうして文字にして、必要な情報を出している。これがベストなのだ。手紙を書く魔に負けるのだった。母は、彼の良さがわかると言っていた。私も、彼の良さがわかるのだ。彼なら、わかる。そう信じているのだ。彼は、偉大であったらからだ。私より、尊厳を意識していたからだ。圧迫を感じるのは、悪いことではないが、疲れるものでもある。何に対する圧迫か。一カ所に留まる圧迫か。魂の使い過ぎか。魂の打ち合わせか。無意識にエネルギーが流れると、どうも意識で、動かすのがきついのだ。そうすると、止まった方が楽だし、寝た方が楽なのだ。無理に動かすと、痛いのだ。その場合は、無になるのが一番なのだ。そうすると、自然と楽になるのだった。一度無になり、思考を止めるのだ。魂通りに生きると、結構力を使うのだ。新しい事ばかりになるからだ。人間は、同じ動作を顕在意識でするほうが楽なのだ。自然と、テレビを見るような動作になってしまうのだ。そうすると、思ったように体が動かなくなるので、より動かなくなるのだ。そうこうしているうちに、どんどん鈍化してしまうのだ。ただ、やはり若い人は、鈍化をしないで、できるだけテキパキ動くのが良いのだ。いくら、感謝をしてなくても、テキパキ動くのは、この世にとっていいからだ。それが、体内リズムと合っているからだ。いくら、無意識エネルギーに変換されているとは言え、それでは。私の母は、冷蔵庫に賞味期限切れのものばかり。それを私が、何とかアイディア料理を作るのだった。この時に、怒り過ぎないというのは、とても大切で、何かの解決策というのはあるのだ。過去に創作料理を作った経験は、こういう時に生きるのだ。とても有り難いのだ。以外にもつけ麺風超激辛七味ラーメンは、好評だったのだ。営業電話の断り方は、無言で受話器を上げ、それとなく何秒後かに落とすのだ。