verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

最強の無所属 表現の自由度と、無所属のメリット デメリット

最強の無所属とは何か?を追究してきた。

無所属で利害関係が何もないのに、二時間長電話できる友人や知人が、沢山各地にいる状態になっていくことだ。お酒を飲まなくても、相手がどんどん本音を言ってくれる状態に自然となっちゃうのだ。
例えば、心を閉ざしてる人でも、、、。人間なので、心を閉ざしていても、「え?この人と話したい」と思われることなのだ。
また、「所属とか関係なく、この人と付き合いたい」と思われるかが肝要だ。

以下は、2017年に書いたものだ。
表現の自由と、所属の有無の関係がある。

無所属は、
メリット
表現の自由度が高い。
ここは、最大の特徴だ。
ネットのblogであれば、スポンサーや関係者を気にする必要がないからだ。
表現の自由度として、本質に迫りやすい。
私は、何でも自由に、本質に迫りたいだけなのだ。
もし某かに、所属していると、所属先に対して、表現の自由も気にして、形式を同じにしなければならなくなる。
また、気を使って、ある一定の枠組みに思考が固められてしまう
人と繋がりすぎると、表現が固くなるのだ。「これこんな風に書いたら、あの人に」とつい気を使ってしまうのだ。
別に誹謗中傷したいわけではないのだが、そういう風に取られてしまう事があるのだ。
ある特定の個人から、話を進めるケースと、「愛だの、戦争だの」という漠然としたテーマで、話を進めるケースがある。
この時に、ある特定個人を誹謗中傷したいのではなく、喩えとして、使いたいだけなのだが、所属先や関係者に気を使うのが、人間の性なのだ。
誰かから、「あの人の事、あんま悪く書かないで、」と圧迫になるのだ。
これが、私は嫌なのだ。
人間は、光も闇もどちらもあるからだ。ただ、この事を伝えたいだけなのだ。
しかし、気を使うことで、より表現を工夫したり、より調べるというのは、あるのだとも言える。

②お金を払う側だと、何でも話せるのだ。私は気にしいなので、何かと顔色を伺ってしまうのだが、主観的で良いのだ。いや、お金を払う側でも、使ってしまう気にしいなのだ。


デメリット
①情報を手に入れるのが、難しい。
②お金がかかる。
お金を払うお客として、潜入する必要がある。(見返しとして、表現の自由度が高められるのだ。取材対象組織に、気を使いすぎることもない。)


最近は、そこまで表現したいテーマが、吐き出しきれた感覚があるのだ。
ただ、もうちょっと貯めてから、無所属にするという手もあるのだ。
このblogが、どんなジャンルか整理してみた。

ジャンル
①うつ、自殺、精神疾患精神科医、体の病気、
②人間関係(恋愛、結婚、仕事、趣味、学校、友人、家族、、)
③スピリチュアル関係(主に宗教団体、教団)
④法律等の固い分野
⑤芸能、ニュース関係(自分の知人だと、あまりにストレートな物言いができなくなるので嫌なのだ。一方的に叩く週刊紙とは違うようにしたい)
⑥学校、学習塾等の教育
⑦引きこもり、ニート家庭内暴力等の社会問題
⑧国際関係の、社会問題
⑨仕事関係(求職、休職、リストラ、減給、左遷人事、)
⑩社会的タブー(近親相姦、詐欺、暴力団、公安系裏側、天皇家、借金、)
⑪愛、お金、幸福なもの、等の抽象概念

単純に、私の専門の「感謝と日常生活の微差、究極の実在への教育」を、
上記のような色々なテーマを皮切りに、
横断的に表現したいだけなのだ。
勿論、圧倒的に弱いジャンルは多い。

悪意はないのだ。

ただ、たまたま時間と紙面の問題で、多角的に表現できないのは、申し訳ないので、謝るのだ。が、一面でも表現された事には、感謝してほしいのだ。そういうものなのだ。
急いでいると、なかなか纏まらないのだ。
どうしても、恩ができると、その人や組織に、深く切り込む表現ができなくなるのだ。これが、すごく嫌なのだ。
欠点の羅列をしたいわけではないが、美点も欠点も同時に表現したいのだ。
美辞麗句と罵詈雑言を、両方なのだ。それが、全てひっくるめて、人間なのだ。
私は、そろそろ個人と家族以外の、会社や国家等の社会への洞察を深めたくなったのだった。私は、番宣がしたいのではなく、ありのまま自分が感じたことを、不特定多数の人に伝えたい本来の報道のようなものなのだ。どうしても、昨今では、番宣ばかりになってしまいがちだと感じている。だが、調べもしないで、と言われると、困るのだった。同じくらい研究しないと、なかなか相手の真意というものは、掴めないからだ。私は、ある本を批判したかったが、なかなか内容が難しいので、叩くのに時間がかかり、結局何年もものすごい時間を取られるのだった。そこで気付いたことだが、初めの方に率直に感じた事も、結局は合っていたのだ。それを、人に言うのも大切なのだ。
最初の一方向も、360度見てみると、合っているのだという事に気が付かされた。
ごめんなさい。ありがとうございます。という感謝に結局戻るのと、一緒だ。 これは、あれまな気付きだった。