死ぬのが、ベストという視点

死ぬのがベストという視点は、自分を助けてくれる。「死んでも大丈夫」というものだ。
が、悪想念を送ると、自分を苦しめる。が、悪因悪果、善因善果というのも、人間の体には、あるのだ。
私は、酷く自分を責め続けた。だからこそ、その恐ろしさに気付いた。自分を、そこまで責めることはなかったのだ。精神領域は、広がるというメリットがあるという事は、伝えたい。
私は、どんなに死ぬことに頑張っても、死ねないようだ。これは、私をとても傷付けた。どこかで、止めが入る。ありがたい事だ。ただ、これが一番自分を苦しめた。多分、一番自分を苦しめるのは、この魔なのかもしれない。人の悪想念の中で一番強いのは、この自殺願望なのだろう。1年半かかって、ありがたいことに、やっと一番強い魔に気付いたのだろう。最重要なのだ。すべてのものに、ごめんなさいと伝えたい。ただ、私は、すべてのものを、愛したかっただけだ。
人を恨むことよりも、この自殺願望が一番強い魔であるということは、肉体を失ってはならないということに、気付いた。つまり、あの世があるというだ。そうでなければ、説明がつかない。
同じレベルではないようだ。
いくら、自分の心の中で、自殺というものに関して、悪想念体が溜まって、自殺というものの集合無意識とリンクしているとしても。一旦リンクすると、とても切るのが大変なのだ。
自殺というものの、集合無意識の中で、恨みの想念体よりも、強いとも思われる。
焦りの想念体という弱めのところから、対処するのが良いだろう。
最初から、手強いボスと戦うなという事だ。想念帯の浄化に関しても、同じだ。
自分の中の個人的無意識層に溜まっている負の想念体は、自分で対処しなければならない。自業自得だ。
しかし、負の巨大な、集合的無意識に関しては、レベルが上がってから、対処するのが良い。一つ一つ、漸次的に、完封するのだ。