verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

極上の幸せとは何か

人生の幸せって何だろう。
ずばり、最高の意味の脈絡を作っていくことである。
あの時、ガンになって、こんな事学んで、あの時、離婚したけど、こんな事学んで、その二つがあったから、再婚して、幸せな家庭を築けていけるようになった。という感じである。
腑に落ちる脈絡なのである。これがないと、人間キツいのである。脈絡をつけていくことなのである。意味付けした脈絡が、客観的にどうかというものでもないのである。ただ、脈絡が正しいと、本人が思えることが大事なのである。何かと、その人の事件や転機を追っていくと、その脈絡がくっきりしていくのである。
通ってきたなと思うと、ワクワクするのである。キャリアデザインでも、こじつけぐらいの方がいいのである。その方が、くっきりしやすいのである。目の前に起きた出来事を、主観的に脈絡付けするものである。必ず、成功するのである。成功とは、自分で確信的に思えば、成功だ。
日常的な動作で感謝できる術を身に付けると、それはとても幸せである。布団があることに感謝。テレビを見れたことに感謝。手が動けることに感謝。blogを少しでも書ける事に感謝。見てくれる人に感謝。食べれることに感謝。人と話せることに感謝。つまり、どの人も自分で自分を幸せにすることができるのである。自分が、今、自分をどう思うかが、自分が変えられることなのである。日常生活の些細な全てに感謝できれば、他に左右されないのである。これは、人畜無害になれという訳ではない。叱れた自分にも、感謝するのである。誰が何を言おうが、幸せというのは、自己認識なのである。かなりできるようになると、惑わされることが、ほとんどなくなるのである。ある人に会うと、元気になるという感情では、そのある人が条件の一つになるのである。そうすると、その人に会えないと、苦しい。人間らしいが、どうしても条件に左右されてしまう。条件に左右されないのは、自分が自分を今どう思うか、感謝なのか。一切が無い。無いのが、当たり前というイメージがあれば、少しでも有るのが、有り難い。世間で言われている「幸せ」は、ドングリの背比べなのである。自分が思っているほど、嫉妬している相手は、そんな幸せではないのである。本人が、幸せであると自己認識してるのである。宇宙の一点が何もない。そこから、思考のイメージがあれば、いかに今が神秘的で素晴らしいか。ある一定量不足や不幸せを享受すると、わかる心境である。 人は、実はどう頑張っても、もらっている量の方が多いのである。だから、お礼する意識として、もらってばかりで、ごめんなさい、ありがとうございます。なのである。エネルギーの観点からも、そうだと思われる。
あとは、人間は、ありのままで完全という事実に気づくこと。変えられる部分ってのは、ちょっとなんだ。ちょっとに右往左往してるのが、人間。ちょっと変わったとしても、完全であることには変わりない。この視点が抜けると、生き地獄になる、ずっと不完全、不完全だと。人間地球号が回っているだけ。完全で生まれて、完全で生きて、完全で死ぬ。どの人も完全。