verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

孤独な散歩者の夢想

「過去生がルソー(笑)」と呼ばれた私が、240年の時を経ての輪廻転生で、過去の自分をどう評価するのか、オカルト記述をしてみよう。

第一の散歩
 この世にたったひとり。もう兄弟も、隣人も、友人も世間との付き合いもなく、天涯孤独の身。私ほど人付き合いが好きで、人間を愛する者はいないというのに、そんな私が、満場一致で皆から追放されたのだ。
私「うん、わかるわかる。俺もひとりぼっちになった経験あるよ。満場一致で追放されるのも痛いよね。」
 
繊細な私の心を最もひどく痛めつけるにはどんな仕打ちがいちばんいいのか、奴らは私への憎悪を極限まで募らせながらさんざん考えたのだろう。そして、奴らと私をつなぐすべてを乱暴に断ち切った。相手がどうであろうと私は人間を嫌いにはなれなかった。つまり、人間でなくなることでしか、私と完全に縁を切ることはできないのだ。もはや彼らはまったくの他人であら●い、見知らぬ人も同然であり、私にとって何の意味もない存在になったが、それは彼ら自身が望んだことなのだ。だが、そういう私は、皆から切り離され、すべての関係を断ち切られた私は、いったい何者なのだろう。今、唯一私にできることは、自分が何者なのかを探求することだけだ。だが、それには、まず、自分のおかれた状況について把握することが必要である。気分のいいことではないが、致し方ない。世間による迫害から自己の探求へと考えを深めていくには、どうしても現状把握が避けては通れないのだ
 このような妙な立場に追い込まれてから、実に●一五年以上が過ぎようとしているのだが、私は今でも現実として受け入れられずにいる。食べすぎで胃がもたれ、夢見が悪かっただけで、目が覚めれば、友人たちとは元通りの関係が続いており、苦しみから抜け出すことができるのではないかと。いつまでも思い続けている。ああきっとそうだ。自分でも気づかぬうちに眠り込んでしまっただけなのだ。いや、生から死へ飛び込んでしまったのかもしれない。何があったかは不明だが、この世の秩序から引き離され、訳の●わからない理解不能な世界に真っ逆さまに落ちていったとしか思えない。今の状況について考えれば考えるほど、私は自分がどこにいるのか分からなくなってくる。
 こんな運命が待っていようとは、予想だにしていなかった。今になっても、まだ、自分のおかれた状況が理解できていないのだ。昔と同じまま、今と同じままの私が、この先もずっと怪物や、他人に毒を盛った者や、誰かを暗殺した犯罪者であるかのように、何の躊躇もなく決め付けられ、後世に伝えられるなどということが常識的に考えてありえるだろうか。この私が、人類の敵となり、下劣な人々の餌食とならねばならないなんて。すれちがる人たちが私に次々と挨拶がわりに唾を吐きかけ、老いも若きも一致団結して私を生きたまま葬り去ろうとするだなんて、ふつうに考えて想像できるものではないだろう。こんな思いもよらない転覆に不意をつかれ、当初、私はただただ呆然とするばかりだった。動揺と憤慨のなかで悪夢のような日々を過ごし、ようやく落ち着きを取り戻すまでに十年かかった。いや、それでもまだ平静になれないくらいだ。その間にも、私は失敗や間違い、軽率な行動を繰り返してしまった。今にして思えば、不注意なことをしたものだ。私を追放した首謀者たちは、そんな私の慌てぶりに便乗して、私の汚名をさらに確固たるもの、もう二度と返上できないものにしてしまったのだ。
 私は長いあいだもがき、抵抗を試みたが、どうにもならなかった。器用に巧妙に立ち振る舞うこともできず、知らん顔を装うことも、慎重になることもなく、ただ馬鹿正直にあけっぴろげに、焦ったり、怒ったりしていたので、抵抗すればするほど事態は悪化するばかりであり、奴らが容赦なく攻撃する種となるようなことを次々としでかしてしまったのだ。何をしても空回り、さんざん無駄に苦しんだ挙句、必然的なことには逆らわず、ただ運命に身をまかせるしかないという結論に達した。こうして諦めてみると、これまでの苦痛がすべて埋め合わせるほどの平穏を見つけ出すことができた。この平穏こそ、諦めが私にもたらしたものであり、つらく報われることのない抵抗を続けていたときには、得られなかったものである。
 私が平穏を取り戻すことができたのには、ほかにも理由がある。私を攻撃した者たちは、あらゆる形で私への憎悪を極限状態までもっていこうとした。だが、奴らは激情のあまり、一つ忘れていたことがある。私を苦しめ続け、日々苦しみを新たにするような状況におきたいのなら、たえず新たな攻撃を加え、じわじわと攻撃を強めていくのが最も効果的だったはずだ。もしわずかでも希望の余地が残されていたなら、たとえそれが彼らの巧妙な罠であっても、私はその希望にすがろうとし、今でも諦めきれずに苦しんでいたことだろう。そして、彼らは私を騙し、もてあそび、期待させてはまた新たにその期待を裏切ることで、私を苦しめ続けることもできたはずだ。だが、彼らは、最初からあらゆる策を出しつくしてしまった。私からすべての希望を奪うことで、彼らは私をいたぶる機会を自ら手放ししてしまったのだ。彼らが私に浴びせかけた罵詈、誹謗、嘲笑、汚辱はすでに頂点に達しており、弱まることはないにしろ、これ以上ひどくなりようもない。要するに、双方とも早々に限界に達してしまったのだ。あちらは最大限の攻撃を加えようと必死になり、こちらはこちらで最悪の状態に必死に耐えるばかりだった。敵側は、私を最大限に痛めつけようと急ぎすぎた。もはや、地獄の助けを借りようとも、人の手で可能なあらゆる策略を出しつくしてしまい、これ以上は何もできなくなっている。肉体的な苦痛を与えようにも、こうした苦痛はさらに苦しみに追い打ちをかけるかに見えて、実は精神的な苦痛から気をそらせる効果をもつ。痛い、痛いと声をあげれば内に秘めていた苦痛を発散させ、肉体の痛みによって心の痛みを忘れることができるのだ。
 もうすべて出しつくされているのだから、何を恐れることがあろう。これよりもひどい状態はないのだから、もう彼らにはこれ以上私を脅かしようがないのだ。不安と恐怖という苦しみから、彼らは私を永遠に解放してくれた。それについては安堵している。今、現実にある不幸など大して重要ではない。現在感じている苦しみについては、きちんと受け入れることができる。だが、この先襲ってくるかもしれない苦しみを心配し始めると耐えられなくなるのだ。こうなったらどうしようと怖々ながら想像すると、頭の中であらゆる不幸が組み合わさり、何度も反復するうちに拡大、増幅していく。実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいいのだ。実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。こうして現在は、新たな不安を抱くこともなく、へんに期待することも動揺することもなくなっている。慣れてきたというだけでも、現在自分がおかれている状況が徐々にそれほど苦痛でもなくなってきたというわけだ。なにしろ、今以上に悪くなるはずはないのである。時間がたつにつれ、感情は生々しさを失い、奴らがどうあがこうが、もはや負の感情を再燃させるようなことは起こりようがないのである。要するに、私を攻撃する者たちは、感情の高ぶりにまかせてあらゆる策を出しつくしたことで、逆に私を助けてくれたのだ。彼らはもはや私を支配することができない。今や私は彼らを鼻で笑うくらいの余裕があるのだ。
 とはいえ、私が心の平穏を取り戻してからまだ二ヶ月もたっていない。とっくの昔に怯える気持ちはなくなっていた。だが、それでも私はどこかで期待し続けていたのだ。わずかな希望を掻き立てられ、やがて失望し、それがきっかけになって狂おしいまでの思いがあれこれと沸き上がり、平静ではいられなくなったものだ。ところが、ある悲しい出来事、思いがけない出来事によって、ついにかぼそい希望の糸も断たれた。もうこれ以上、期待しても無駄だということが、これではっきりしたのだ。そこで私はようやくきっぱりと諦めがつき、心の平穏を取り戻したのだ。
 陰謀の全体像が垣間見えた瞬間、私は命あるうちに世間にもう一度認めてもらおうなどという考えをすっかり永久に捨て去った。向こうが一方的に縒りを戻そうとしても、私がもう彼らの側に戻るつもりがない以上、そんなことは意味がない。たとえ世間が私のほうに歩み寄ろうとしてきても、もはや私はかつてのような私ではないのだ。私は世間に対し軽蔑の念を抱くようになっており、人々との付き合いなど、もはや味気ない、わずらわしいものとしか思えなくなってしまった。他人とともに生きる人生がどんなに幸せなものであろうと、私は孤独のなかで生きるほうが百倍も幸福に感じる。奴らのせいで私は、人付き合いにいっさいの喜びを感じなくなってしまった。私ほどの年齢になると、そうした喜びが生まれることもないだろう。もう遅いのだ。人々が私に優しくしようと冷たくしようと、もう私は彼らに関心がない。あの人たちが何をしようとも、私はもう同時代の人たちにまったく興味がないのだ。
 だが、未来についてはまだ希望をもっていた。いつか、新しい世代のもっと優秀な人たちが、現在私に与えられる評価、そして、世間の私に対する態度をきちんと検討し直してくれるのではないか。さらには、陰謀の首謀者たちが仕組んだ虚偽をやすやすと見破り、私の本来の姿を認めてくれるのではないか。そんな希望を抱いていたからこそ私は『ルソー、ジャン=ジャックを裁くーー対話』を書き上げ、なんとしてでもこの書を後世に残そうと手を尽くしたのだ。実現する日が遠いことは分かっていても、ついつい将来に希望を抱き、同時代の人たちに理解を求めていたころと同じような気持ちの高まりを覚えた。遠い将来に希望を抱いたところで、同時代の人たちに理解を求めていたころと同じような気持ちの高まりを覚えた。遠い将来に希望を抱いたところで、同時代の人々のもてあそばれる現実は変わらない。私は『対話』のなかで、なぜ将来にこのような希望を抱くようになったのかを書き綴った。だが、あれは間違いだった。早々に間違いに気がついただけでも幸いである。おかげで、何とか生きているうちに実に平穏で絶対の安息といえる時間をもつことができたのである。こうして、私はある時期から穏やかな時間を取り戻した。そして、もう二度と以前のように心を騒がせたりはしないはずだ。
 さらに、つい最近、あらためて思いをめぐらしているうちに、たとえ将来の人々についてでも、世間に期待し、未練を感じるのは馬鹿げていると気がついた。私を憎んでいる組織のなかでは次々と新たなリーダーが生まれ、そのリーダーたちが世間を先導していくのだ。個々の人間は、死んでも、そうした組織はなくならない。人が変わっても、組織の抱える情念は変わらない。彼らの激しい憎悪は、悪魔のように不滅であり、同じように作用し続けるのだ。私を敵視する人たちが死に絶えても、医者やオラトリオ会の会員は存在し続けるだろう。この二つのグループ以外にも私を敵視する人間はいるかもしれないが、少なくとも、この二つのグループの連中に関しては、きっと、私の死語も、生前、私自身を攻撃したときとまったく同じように、私の残した思い出を冒涜し続けるに違いない。確かに私は医者たちを侮辱した。だが、彼らについては、時がたつにつれ、その怒りを和らげる可能性もある。教会に仕える身であり、修道士に準じる存在であるはずのオラトリオ会の人々は私の敵であり続けるだろう。私は彼らを愛し、尊敬し、絶対の信頼をおき、一度も侮辱などしていないというのに、この仕打ちだ。彼らは不正によって私を罪人に仕立て上げ、体面を保つために私を許そうとはしない。彼らはあの手この手で私に対する憎悪をたきつけ、憎しみを持続させようとする。だから、世の人々も、いつまでも私に負の感情を抱き続ける。
 もうこの世には何にもない。彼らはもう私に良いことも、悪いことも何もできるはずがない。だから、もう私には、恐れることも、期待することも何もないのだ。こうして、私は絶望の奥底にも心の平穏を見つけた。不運で哀れな人の末路としか言いようがない。だが、何事にも動じないという点では、むしろ神に近い境地である。
 自分の外にあるものは、もはや私に何の関係もない。この世には隣人も仲間も兄弟もいない。まるでどこかよその惑星から落ちてきた異星人のような気分だ。まわりにあるもの何を見ても、つらく悲しくなってしまう。私に触れるもの、私を取り囲むもんぼ、どれに目をやろうとも、私はそこに人々の侮辱を感じて憤り、痛みを感じて苦しくなる。だから、これまで私が無益と知りつつ、苦しみながら執着してきたものたちを、もう心から一掃してしまおう。ひとりで過ごす残りの人生、もう慰めも希望も平穏も自分のうちにしか求めようがないのだから、自分のことだけ考えて生きるしかない。いや、そうしたいと思っている。そんなわけで、私は、かつて『告白』という題のもとに取りかかった厳格かつ真摯な考察を再開させたのだ。私は人生の最後の時間を自己の探求に費やし、遠からず死がすべてを清算するときに備えて、総まとめを先にやっておこうと思っている。彼らが私から取り上げることができなかった唯一の喜び、つまり己の魂と語り合う喜びを満喫するのだ。自分の内的な傾向について熟考していけば、内面の改善させ、自分の奥にまだ残っているかもしれない悪を正すことができるかもしれない。こうした探求は決して無益なものではないだろう。たとえもう世間には無用の身であっても、こうした探求で人生最後の日々を過ごすのは、まったく無駄ではあるまい。日々の散歩はしばしば、何かに心を動かされ、うっとりしてしまうような瞬間に満ちている。だが、それを記憶にとどめていられないのは、実にもったいない。だから、心に浮かんでくることを書きとめておこうと思う。そうすれば読み返すたびに、喜びがよみがえるはずだ。そんなときは、それ相応の代償が与えられた気がして、自分の不幸や敵の存在、侮辱すらも忘れることができる。正確に言うなら、この原稿は夢想を記録しただけの日記のようなものとなるだろう。多くは私自身に関する記述となるはずだ。というのも、ひとりで考え込んでいると、どうしても自分自身の問題に行きついてしまうのだ。それ以外にも、散歩中に頭をかすめたとりとめのない思いもすべて、ここに綴っておきたい。思ったことをそのまま正直に書く。昨日と今日とで別のことを思うように、一貫性のない記述もあろう。だが、こうして日々の思いを書き綴っていけば、この奇妙な状態のなかで私の精神的な糧となってきた感情や思考を認識し、それによって、自分の本性や、性質を新たに見出し続けることにもつながるだろう。この原稿は、『告白』の続きのようなものであっるが、『告白』というタイトルにふさわしい内容にはなりそうもないので、同じ題にはしないでおこう。逆境にもまれるうちに私の心は真っ白になってしまったので、その奥をさらってみても、良くない傾向はわずかに残っているぐらいのものだろう。地上のすべてに対し無感動になってしまった今、いったい何を告白すればいいというのだ。今さら、告白するような自慢も自責もありはしない。私は、もはや人間のうちに数えられていないのだ。実際に関係をもつことも、本当の意味での付き合いもない。私はそんな存在でしかない。善をなしても悪に転じ、何をすれば他人を、または自分を傷つけることになる。つまり、何もしないことこそが私の義務であり、それが義務である以上、できる限りをれを遂行している。だが、肉体が無為の日々を過ごしていても、心は死んでいない。感情や思考が生まれてくる。いや、むしろ、とりとめのない世俗的な関心がすっかり失われたからこそ、内面的で道徳的な心の動きは活発になっているような気さえする。もはや肉体は私にとって、厄介なもの、邪魔なものでしかなく、私は今のうちからできる限り、この肉体から離れておきたいと思っている。この奇妙な状態についてはよく考え、記録しておく価値があるだろう。だからこそ、私は、余生をその考察に捧げよう。きちんとなしとげるには、順序立てて、方法論に沿って進めることが必要だ。だが、私にはそんなことはできない。そんなことをしたら、自分の心の変化、その変化の連続を理解するという目的からも遠ざかってしまう。私は、自然学者が日々の気象状況を記録し、調べるのと同じように自分自身のことを記録し、探究しようと思っている。自分の心にメーターをつけ、その動きを逐次「計測」する。この作業をきちんと長期的に繰り返し行っていけば、物理学者の実験のように確かな結果を得ることができるはずだ。いや、結果が出ることを期待しているわけではない。実験記録を残せばそれでいい。体系化までは望まない。やろうとしていることは、モンテーニュと同じだ。だが、その目的は、モンテーニュの場合とは正反対だ。モンテーニュは、他者に読ませるために『随想緑』を書いたが、私は自分のためだけに夢想を書き記す。私がさらに年を重ね、死期に近づいたときも、今と同じような心境にあったら(私自身はそうあってほしいと思っている)、この記録を読み返し、執筆時の喜びを思い出すだろう。過去を思い起こし、今の自分と昔の自分とで語り合うことができるだろう。私を憎悪する連中はがっかりするだろうが、私はまだ人との交流を楽しむことができるのだ。年老いた私は、過去の自分と向き合うことで、自分よりも少し年下の友人と一緒に日々を過ごすような気持ちになるだろう。
『告白』や『対話』を書いたころの私は、何でも攻撃の材料にしようと待ち構えている敵の目を盗み、なんとかこの書物を次の世代の人たちに読んでもらえる形で残そうと絶えず苦心していた。だが、この原稿についてはそのような気遣いはない。あれこれ心配したところで無駄だということも分かっているし、世間に自分のことをもっと分かってもらおうという意欲もすっかり失せ、あるがままの姿で著作を残すだとか無実の証しを示すことにも、まったく関心がない。そもそも、そうしたものは、すでに永久に破棄されてしまったようなものだ。人々が私の行動を見張っていようと、この原稿を警戒しようと、たとえこの原稿が敵の手に渡り、破棄され、内容を捏造されていても、私にはどうでもいいことだ。この原稿を隠すつもりも、公開するつもりもない。たとえ、私が生きているうちにこの原稿を奪われることがあっても、執筆時に私が感じた喜びや、ここに綴られた思い出、私が孤独のうちに思ったことまでも奪われるわけではない。この原稿は、私の孤独な物思いから生まれた。物思いの源は私であり、死を迎えるその日まで、物思いは尽きない。最初の災難が襲ってきた直後から、自分の運命を受け入れ、今のような態度をとっていれば、彼らが私に何をしようと、どんな悪事を謀ろうと、私には何の効果もなかったに違いない。彼らがどんな策略を使おうと、私の心の平穏は乱されずにすんだはずだ。そう、今や、どんなにうまくやろうと、彼らは私の心を乱すことができないのだ。自分たちの好きなように、私を侮辱して楽しむがいい。私は私で、いくら彼らが悔しがろうと、無心の生活を楽しみ、平穏に身を侵して残された日々を過ごすのだ。
第二の散歩
 
 ふつうに考えてみたところで、どうしても理解できない奇妙な状況下で、いつもの自分の心の動きを逐一記録してみようと思い立った。記録をとるのに、いちばん単純かつ確実な方法は、孤独な散策を書き記すこと、散歩中、頭を空っぽにし、何の抵抗もせず束縛も受けず、気質のままに思考しているうちに、ふと浮かんでくる夢想を忠実に書きとめることだろう。この孤独な瞑想の時間こそ、一日のうちで最も私が私でいられる時間なのだ。ほかのことを思うことも、何かに邪魔されることもなく、自分のためだけにある時間。まさに自然な状態の自分でいられる数少ない時間なのである。
 この試みを始めててすぐに、もっと早く始めればよかったと思うようになった。私の想像力が掻き立てられないのだ。以前のように夢想に酔いしれることもない。夢想に身を侵しても、新たな創造より過去への追憶ばかりが浮かんでくるのだ。ぼんやりと沈み込んでいるうちに、私のあらゆる能力は衰退しつつあり、徐々いn生命のきらめきも消え、魂もまた老いた肉体という殻から抜け出すのがやっとというありさまだ。自分には正当な権利があると思い、わずかにもちつづけている希望がなければ、私は過去に生きるばかりだ。衰えを感じる以前の私を振り返ってみるには、少なくとも数年前までさかのぼらねばなるまい。そのころ、私は、この世におけるすべての希望を失い、心の糧をこの世にいっさい見出せなくなり、自分自身によって自分の心を養い、自らの内に心の糧を求めることに少しずつ慣れていく過程にあった。
 気がつくのが遅すぎたとはいえ、自身の内側に眠っていた資源は思いがけず豊かなものであり、私はやがて自己探求だけでも、これまでに失ったものの代償として十分満足できると思うようになった。自分について深く考えるのに慣れてくると、私は恨みを忘れ、他人から与えられた不幸についてもその記憶が薄らぐような気がした。こうして、私は自身の経験から、幸福の真の源は自分自身のなかにあり、幸せになりたいと本気で望みさえすれば、他人のせいで不幸になることはないと学んだのである。四、五年前から私は、人を愛する優しい心が瞑想のなかに見出すような、こうした内なる喜びを日常のなかで楽しむようになっていた。ひとりで散歩しているときこんなふうに恍惚や忘我の瞬間を見出すようになった点では、私の敵たちに感謝せねばなるまい。奴らの仕打ちがなければ、私は自分の奥底に眠る宝物に気づかないまま、深く知ることもないままでいただろう。これだけ豊かな源泉を前に、どうすれば忠実な記録が残せるだろう。以前、頭に浮かんだ優しい夢想を思い出して記録しておこうと思ったが、書き記すのも忘れて思い出に浸ってしまった。追憶に浸ってぼんやりしていると、感じることができなくなり、それを深く知ることもできなくなってしまう。『告白』の続きを書こうと決めたあとも、正確に記すため、細部を思い出そうとして、思い出に浸ってしまうことがあった。特に、これから話そうとする散歩のエピソードについてはそうなのだ。この散歩の途中でとつぜん起こった予想外の出来事のせいで、私の思考は中断され、しばらくは別のことに気がそれてしまったのである。
 一七七六年十月二四日木曜日、昼食の後、大通りをシュマン・ヴェールまで歩き、そこからメニルモンタンの丘まで足を延ばした。さらに小道を通って、ブドウ畑と野原のなかを抜け、晴れ晴れとした風景が見られるシャロンヌのあたりまできた。ちょうど二つの村の境にあたるあたりだ。そこで方向転換し、同じ野原を別ルートで戻ろうというわけだ。気持ちのいい風景を目にするといつもそうであるように、喜びと好奇心に胸をはずませながら歩み、ときに立ち止まって、野の草を観察したりもした。町の中心ではあまり見かけないが、ここらの田舎ではたくさん生えているような植物も二種類ほど見つけた。一つは、キク科のコウゾリナ、もう一つはセリ科のミシマサイコだ。私は、この二つを見つけたことで大喜びし、その後しばらく嬉しくてならなかった。そして、ついにスイスのような高地ではめったに見ることのない品種、ウシハコベまで見つけたのだ。私は、その直後にアクシデントに見舞われたのだが、後日、その日携えていた本を開くと、頁のあいだにこのウシハコベがはさんであった。ウシハコベは今も私の植物標本帳におさまっている。
 しばらくのあいだ、花をつけたそのほかの植物を次から次へと詳細にわたって観察してみた。すでにおなじみとなった、それぞれの植物の形状や特徴を挙げ連ねていくだけでも、私はいつも楽しい気分になるのだ。その後、私は細部の観察から徐々に離れ、全体の印象を感じ取ろうとしてみた。全体像をつかむのもまた同じように楽しく、ときに細部の観察よりも感動的でさえある。ブドウの収穫は数日前に終わっており、都市部からこのあたりを訪れる者はもういない。農民たちも冬支度が始まるまで、畑には来ない。そんなわけで畑はまだ緑にあふれ、明るい眺めではあたが、一部で落葉が始まっており、人影もほとんど見えず、どこか寂しげな冬の訪れを予感させる光景でもあった。その穏やかで悲しげな印象は、まさに私の年齢、私のおかれた状況を思わせるものであり、私はついこの風景に自分を重ねてしまった。何も悪いことはしていないのに不運に見舞われ、老いを迎えた自分の姿。魂には生々しい感情がみなぎり、精神にはまだいくつか花を残している。だが、その花も、悲しみにしおれ、悩み事に疲弊して乾涸びてしまっている。ひとり、皆から見捨てられ、訪れたばかりの凍りつくような寒さを感じ始めている。想像力も尽きかけ、心のままに架空の人物をつくりあげて孤独を満たすこともできない。ため息まじりに思う。私はこの世で何をしただろう。生きるために生まれたのに、生きた証しも残さずに死ぬ。少なくとも、私に咎があったわけではない。私をおつくりになった神様のもとに帰るとき、私は善行の貢物をもっていくことはできない。奴らのせいで善行をなしとげる機会を失ってしまったからだ。それでも、神のもとにもっていけるものがあるとしたら、少なくとも善行をなさんとした心づもり、役に立たなかった無垢の心、人々のそしりに耐えた我慢強さくらいのものだろうか。そう考えるとつい感傷的になり、これまでの自分の魂の遍歴を思い返してみた。まず青年期、そして壮年期、世間から追放されて以降のこと、そして、私が死を迎えるまで、この先長くなりそうな隠居暮らしのことまで思いをめぐらせた。これまでさまざまなものを愛し、大切なものに対してはときに自分を忘れるほどの愛着を抱いてきた。ここ数年は、悲しみというより、むしろ慰めに近い思いに浸るようになった。こうした愛情や愛着、慰めのような感情を私は懐かしく思い出していた。さらに鮮明に思い起こし、当時感じたのと同じ喜びを感じながら、それを書き記そうと思ったのだ。こうして、静かに物思いにふけるうちに午後は過ぎていった。そう、これから話す「事件」が起こったとき、私は満ち足りた気分で歩いて帰る途中だった。夢想に浸っていた私は、この事件によって現実に引き戻されたのである。
 夕方六時ごろ、メルニモンタンの坂を下りていく途中、居酒屋「ギャラン・ジャルディニエ」の前にさしかかったときのことである。とつぜん、前を歩いていた人たちが飛びのいたかと思ったら、次の瞬間、大きなグレート・デンが私に飛びかかってきた。四輪馬車に追いかけられるように全速力でえ走ってきた犬は、私の姿を見ても、もはや脇にそれることも、足を止めることもできず、そのままぶつかってきたのである。犬になぎ倒されないようにするには、タイミングよく跳び上がるしかないと、とっさに思った。私の体が一瞬でも宙に浮けば、犬は私の股の下を走り抜けていくだろう。だが、稲妻のようにひらめいたこのアイデアも、本気で考え、実行するだけの暇はなかった。とにかく倒れる寸前、最後に頭に浮かんだのがそれだったのである。ぶつかったことも、転倒したことも覚えていない。はたと我に返るまで、何が何だがまったく分からなかったのである。
 意識が戻るともう日はほとんど暮れていた。私は、三、四人ほどの若者に抱き抱えられており、何があったのかを彼らから聴かされた。勢いづいた犬は私の足にぶつかり、その重量と速度に耐えられなかった私の体は、前のめりに倒れてしまったのだという。ひっくりかえり全体重がかかったままの状態で、上あごをでこぼこだらけの舗道に打ち付けたのだ。しかも坂道だったため、頭が足よりも低い位置となり、打撲の衝撃はわらに大きくなってしまった。
 その後ろからは、犬の飼い主を乗せた馬車がやってきていて、私はもう少しで、さらにこの馬車に轢かれるところだったらしい。こちらは御者が必死になって馬を制し、なんとか手前で止まったようだ。以上があ、私を抱きかかえ、意識が戻るまで介抱してくれた人たちから聞いた話だ。意識が戻った瞬間、私がおかれていた状態というのは実に妙なものであり、これはぜひともここに書いておきたいと思う。
 日はどんどん暮れていく。意識が戻り、目をあけたとき最初に空が見えた。星がいくつか輝いていた。周囲の緑もちらと目に入った。この光景を目にした瞬間、心がときめいた。まだ、それだけしか感覚がない。まるで、たった今生まれたかのような気分であり、見るものすべてに、わずかながら自分の存在が宿っているような気がした。その瞬間だけがすべてであり、過去の記憶はいっさいない。自意識というものがまったく存在せず、自分に何が起こったかも分からない。自分が誰なのか、ここはどこなのかも分からない。痛みも、恐怖も、不安もない。自分の血が流れているのを見ても、まるで水の流れを見ているような感じがして、ちっとも自分の血だという気がしないのだ。うっとりするぐらい穏やかな気持ちだった。何度思い返してみても、これまでにどんな行為において感じた快楽とも似ても似つかない穏やかな気分だったのだ。
 誰かが私にどこに住んでいるのかと尋ねた。私は答えられなかった。逆に、ここはどこかと聞いてみた。「オート・ボルヌですよ」。まるで、アトラス山脈ですよ、と言われたかのようだった。それはどこの国、どこの街のことなのか、どのあたりのことなのか、聞き返さねば自分の居場所が分からないのだ。まだ意識がはっきり戻らない。大通りまで出たところでようやく、自分の名前と住所を思い出した。見知らぬ紳士が親切にも私を途中まで送ってくれて、私の家がここから遠いことを知ると、タンプルから馬車で帰ったほうがいい、と助言してくれた。私は、口の中にたまった血を何度も吐き出しながらも、ちゃんと歩いていたし、別に痛みも傷も感じておらず、足取りは軽やかだった。だが、悪寒がし、転倒時に打ち付けた歯がガチガチというほどの震えがあった。タンプルまで来たが、痛みもないことだし、馬車で寒い思いをするよりも、このまま歩き続けるほうがいいと考えた。こうして私はタンプルから、自宅のあるプラトリエール通りまで二キロほどの道を、特に苦痛も感じず、障害物や馬車を避けつつ、道に迷うこともなく元気なときと同じように、ふつうに歩いて帰ってきた。家の前に着き、正面玄関の鍵をあけると、暗いなか階段を上り、無事に部屋に入った。転倒し気を失ったものの、それ以外は特に何事もなくすんだと思っていた。その時点ではまだ、怪我の程度が自分でもよく分かっていなかったのである。
 妻が私を見るなり悲鳴をあげたので、どうも自分で思っているよりもひどい状態にあるらしいことに気づいた。それでも、私は自分がどういう状態にあるのか認識せず、痛みも感じないまま眠りについた。そして、その翌朝、ようやく感覚が戻り、私は自分がどういう状態にあるかを認識した。上唇は鼻のあたりまで裂け、外側の皮膚だけで辛うじてつながっている状態。歯が四本、上あごにめり込み、あごの周囲から顔全体が腫れ上がり、尋常ならざる様相を呈している。右手の親指はねじれて腫れ上がり、左手の親指もざっくり切れている。左の腕もひねってしまったようだ。左の膝も腫れ上がり、ひどい痛みで曲げることもできない。だが、これだけの災難にあいながら、骨折もなければ歯も折れていない。あんな転び方をしたというのに、かなりの幸運である。
 さて、以上が、ことの顛末の忠実な記録である。このことは数日間でパリじゅうに知れわたった。しかも、元の話が分からなくなるほど、誇張され、歪曲されて伝わったのだ。こうした作り話が広がるのはあらかじめ予想できたはずだった。だが、あまりにも奇妙な話が次々と付け加えられていったのである。そのうえ、私を前にすると誰もが滑稽なほど遠慮がちに、言葉を濁したり、言いよどんだりするので、それがかえって私を不安にさせた。私は常に闇を憎悪してきた。生まれながらに闇が怖かったし、長年にわたって深い闇のなかで暮らすことを余儀なくされたが、それでも、闇に慣れることはなく、恐怖が薄らぐこともなかった。この時期、実に奇妙な出来事が続いたのだが、ここにそのエピソードを一つだけ記しておく。この一件だけで、ほかのことも十分想像がつくだろう。
 ある日、ルノワール警視総監の秘書を名乗る人物がやってきた。私は、警視総監とはまったく面識がない。それなのに、その秘書とやらは、私の容体を尋ね、あれこれと手助けを申し出てくれた。もっとも、警視総監の手を借りたところで私の苦痛がやわらぐわけでもないだろう。それでも、その秘書氏は、警視総監のご厚意を無駄にせぬようにと熱心に説き、自分が信用できないなら、総監に直接お手紙を出してくださいとまで言いだした。ひどく熱心な態度と、それに伴う秘密めいた雰囲気には、どう考えても何か裏があるようだった。だが、どうやってもその裏事情を明らかにすることはできない。別に、そうまでしなくても、私はすでに弱気になっていた。ただでさえ、あの事件と、その後の発熱で頭がぼうっとしていたのだ。つい、怖いこと、つらいことをあれこれと想像してしまった。私のまわりで起こったことについても、片端から理由を探してみたが、どれも皆、熱に浮かされた妄想のようなもので、どう見てもすべてに関心を失った冷静な人間の考えることとは思えないものだった。
 さらにもう一つ、私の混乱にとどめを刺すような出来事が起こった。ドルモワ夫人は、以前から私と親しくなりたがっていた。理由は分からない。私には何も思い当たる節はないのだ。心のこもらない不自然な贈り物や、これといって理由もはっきりしない訪問、しかも楽しいとはいえぬ訪問を何度も受けるうちに、なにやら隠れた本当の目的があるらしいことは分かってきたが、それが何なのかまでは分からない。ドルモワ夫人は、小説を書き、王妃に献上したいと話していた。私は彼女に何人かの女流作家について思うことを述べていた。やがて、彼女は、自分が小説を王妃に献上するのは、財産の回復のためであり、そのために後ろ盾を必要としているのだとほのめかしてきた。だが、私はお役に立てそうもない。すると彼女は、王妃に献上する術がないからには、その本を公に出版したいと言いだした。そうなると、もう私には助言する義理もない。そもそも、助言を求められたわけでもないし、どうせ彼女は私の助言になど従わないだろうと思った次第だ。以前、彼女に原稿を見てほしいと言われたことがある。そういうことは引き受けられないと答えると、その後、彼女が原稿を持ってきたことはなかった。
 そして、怪我が快方に向かい始めていたある日、ドルモワ夫人から本が届いた。きちんと印刷され、装丁も立派だ。序文には、私に対する仰々しいまでの賛辞が並んでいるが、ちっとも心がこもっておらず、やけに不自然な調子で書かれているため、読んでいて気分が悪くなるものだった。わざとらしいお世辞としか思えず、どう見ても誠意が感じられない。私の心はそんなものに騙されたりはしないのだ。
 数日後、ドルモワ夫人が娘を連れて私のもとを訪れた。ドルモワ夫人によると、あの本は、解説部分のため大いに話題になっているという。私はざっと小説を読みはしたが、解説には気がついていなかった。ドルモワ夫人が帰ったあと、私は本を読み直してみた。解説部分の文体、言い回しを見て、ようやく腑に落ちた。彼女の訪問の理由、へつらい、序文に並べた見え透いたお世辞の理由が分かったのだ。あれはすべて、私がこの文章を書いたと世間に思わせ、出版後に問題が出てもそれをすべて私のせいにするためだったのだ。
 世間に噂が広がり、人々がそういう印象をもっても、私はそれを打ち消す術をもたない。唯一できることはいえば、少しでも噂を助長させぬよう、しつこくやってくるドルモワ夫人とその令嬢と関係を断つことぐらいだった。そういうわけで、私は、ドルモワ夫人にあて一筆書き送った。
「私ルソーは、自宅で文筆業の方と会うことはいたしません。ドルモワ様のご厚意に感謝いたしつつ、今後はご訪問をお控えくださるようお願いいたします」
 ドルモワ夫人から返事がきた。表面上は丁重な文章だったが、内容はというと、これまで私からこの手の拒絶の手紙を受け取った人が返信に書いてきたのと同じようなものだった。要するに、私の野蛮な言動で彼女は心が傷つけられたというものである。私に誠心誠意の感情を抱いていた彼女は私からの絶縁状を受け取り、氏を考えるほどつらい思いをしていると、手紙には書かれていた。この世にいる限り、正直かつ確固たる態度をとることは、それがどんな場面であれ、大きく反感を買うものだ。皆のように嘘をつき、不実なことを言わないというだけで、私は世間から意地悪で残酷な人間と見なされてしまうのである。
 怪我が回復して散歩に出られるようになり、チュイルリーあたりまで何度か出かけるようになったころ、つまり事件からしばらくたってから、もう一つ分かったことがある。出先で私を見るなり人々が驚愕の表情を浮かべるのだ。どうも私の知らないところでまた別の噂が広がっていたらしい。やがて、転倒によって死亡したという私の訃報が世間に知れわたっていたことを知り、私は驚愕した。この噂、実に素早く広がり、そのうえしぶとく残った。なにしろ、私がこの噂に気づいてから二週間がたったあとでも、王や王妃までが事実として話題にしていたというのだ。親切な方が手紙で教えてくれたところによると、「クーリエ・ダヴィニョン」紙は、私の訃報をめでたげに掲載し、私の死後に備えて用意してあった罵詈雑言の辞を、早々と弔辞がわりに並べ立ててくれたそうだ。
 この訃報は、さらに奇妙な事件へとつながっていった。といっても、私はそれを偶然知っただけであり、その詳細については今でもよく分からない。とにかく、その誤った訃報が流れた直後、「ルソーの自宅から発見された遺稿集」の販売予約が始まっていたのだ。どうも、私が死んだらすぐに出版しようと、偽の原稿がすでに準備されていたらしい。常識的に考えて、見つかった遺稿がそのまま忠実に出版されるなどということは、まずありえない。ここ一五年の経験から、私はこれだけは断言できる。
 こうしたことが次々と起こった。これに勝るも劣らない驚くべきエピソードが、まだほかにもいろいろある。年を重ね、私の想像力もずいぶん衰退したと思いこんでいたが、こうした一連の出来事により、私は再び、恐ろしい想像に怯えるようになった。私のまわりで次々と起こる陰謀の闇は深まるばかりで、私は昔ながらの闇への恐怖をあらたに感じるようになってしまった。何か理由があるはずだと考え、説明しがたい状況をなんとか解明しようと知恵を絞ることに私はもう疲れてしまった。こうした謎を追ううちにたどりついた答えは、結局、これまでと同じもの、つまり、私の運命、そして今後の評価の行方は、世間が満場一致で決定したものであり、私がどんなに努力してもどうしようもないということだった。なにしろ、次世代に何か残そうとしても、同時代の人間に中継してもらわねば、そもかなわない。それなのに、同時代の人々は皆、私にかかわるすべてを破棄してやろうと待ち構えているのだから、もう望みはないのである。
 だが、今回、私はさらに突っ込んで考えてみた。まず、偶然のように見える出来事が積み重なっていること。そしてえ、最も容赦なく私を攻撃した連中が妙に羽振りよく幸運に恵まれていること。さらには、私にひそかに敵意を抱いている人たちのなかから、政府の要人たち、世論を動かす意見をもつ人たち、地位の高い人たち、信用のある人たちのすべてが、まるで選ばれたかのように一つの陰謀に加わっていること。ここまでくると、偶然の一致で片づけられるものではない。誰かひとりでも陰謀の共犯になることを拒む人がいたら、何か一つ不都合が起きていたら、何か一つ予想外の事件が陰謀を妨げていたら、ここまで完璧に私を打ちのめすことはできなかっただろう。だが、すべての人の意思、すべての宿命、偶然、そしてすべての事件が連携して一つの計画を遂行していたのである。奇蹟のような結託を見せられ、私は確信した。この陰謀の成就は、永遠なる法のもとに定められたものだったである。過去においても、現在においても、いくつかの事象を細かく観察してみると、そうとしか思えない。そこで、私は、これまで人間の悪意の結実と見なしてきた一連の事件を、人知では計り知れない天の神秘のように考えざるをえなくなった。
 そう考えると、私は悲しみや苦しみよりも、むしろ慰めと安堵を感じ、すっかり諦めがついた。とはいっても、聖アウグスティヌスのようにはなれそうもない。彼は神の意志とあれば、地獄に墜ちても甘んじていられたのだ。確かにそれに比べれば、私がたどりついた諦めの境地は、正直なところ、もっと利己的なものであるが、それでも聖人のように純粋であり、私の考え方からすれば、私の敬愛する神にふさわしいものである。神は正しい。神は私が苦しむことを望んだ。私が無実であることは神もご存じである。だから、私は安心していられる。感情的にも、理性的にも、この安心感は本物だと思えるのだ。人々が何を企もうと、私の運命がどうなろうと、もう放っておこう。不平はもらさずただ耐えることにしよう。何もかも、いつかは秩序のなかに戻るはずだ。遅かれ早かれ、報われる日が来るはずなのだ。
 第三の散歩
 「われ常に学びつつ老いぬ」
 ソロンは晩年、この言葉を何度も繰り返している。年老いた私の身にも、この詩句の意味は思い当たるものがある。だが、私が二〇年かけて培ってきた知識は実に悲しいものだ。こんなことなら無知のままでいたほうがましだった。逆境は、いい教師だが、その授業料は高い。多くの場合、学んだことの有益性よりも、もはや実践の機会があないのだ。若いときにこそ学び、年をとってからは実践のときとなる。確かに、経験から学ぶことは常にある。だが、学んだことを役立てられるのは、そこから先の時間だけだ。いよいよ死ぬというときになって、こう生きるべきだったと学んだところで、何の役に立つだろう。
 私の災難、そして私の災難のもととなった他人様の情念について、さんざん辛苦を味わった挙句、今ごろになって学んだからといって、それが何の役に立つだろう。人間についての理解を深めたところで、人々に苛まれる屈辱が増すばかりだったし、知識のよって敵の陰謀を暴いたところで、それを避けることはできなかっただろう。長いあいだ、私はいかに無力で、お人好しであったことか。そのために、こんなに長いあいだ、騒々しき隣人の餌食になり、おもちゃにされたのだ。まわりにあれほど罠が満ちていたのに、まったく疑いさえしなかったのだ。私は彼らのカモにされ、犠牲となった。それは事実だ。だが、私は愛されていると思っていた。彼らに友情を抱いて幸せを感じ、彼らもまた私に同じような友情を抱いていると信じていた。そんな甘い幻想は打ち砕かれてしまった。やがて時が、そして悲しい事実を教えてくれた。私は不幸に打ちのめされた。そして現実に向き合うことで、もう打つ手はないこと、諦めるしかないことを悟ったのだ。そんなわけで、私がこれまで年を重ねながら学んだ知識は、今の状態にある限り、何の役にも立たないし、将来的にも役に立つはずがない。我々はこの世に生まれ、戦いの場に入る。そして、死を迎えてそこを去るのだ。退場間際になって、戦車の使い方を習得しても無駄だろう。もうあとは、いかに死を迎え、この世を去るかを考えるべきだ。もし学ぶべきことが残っていればの話だが、老いて学ぶべきは、いかに死ぬかということだけだ。しかし、私と同じくらいの年齢でそれができている人は少ない。皆、あれこれ学ぼうとするが、死に方だけは学ぼうとさえしないのだ。老人たちは、子供以上に生に執着し、若者よりもずっと未練たらたらで死んでいく。死の間際に彼らは、生前いかに苦労したかを考え、その苦労が無駄になったと思うのだ。どんな努力も、財産も苦労の成果も、死んでしまえば終わりである。生きている間に、あの世までもっていけるだけのものを修得できなかったということだ。
 私は手遅れになる前にそういうことを
 
「過去生がルソー(笑)」と呼ばれた私が、240年の時を経ての輪廻転生で、過去の自分をどう評価するのか、オカルト記述をしてみよう。

第一の散歩
 この世にたったひとり。もう兄弟も、隣人も、友人も世間との付き合いもなく、天涯孤独の身。私ほど人付き合いが好きで、人間を愛する者はいないというのに、そんな私が、満場一致で皆から追放されたのだ。
私「うん、わかるわかる。俺もひとりぼっちになった経験あるよ。満場一致で追放されるのも痛いよね。」
 
繊細な私の心を最もひどく痛めつけるにはどんな仕打ちがいちばんいいのか、奴らは私への憎悪を極限まで募らせながらさんざん考えたのだろう。そして、奴らと私をつなぐすべてを乱暴に断ち切った。相手がどうであろうと私は人間を嫌いにはなれなかった。つまり、人間でなくなることでしか、私と完全に縁を切ることはできないのだ。もはや彼らはまったくの他人であら●い、見知らぬ人も同然であり、私にとって何の意味もない存在になったが、それは彼ら自身が望んだことなのだ。だが、そういう私は、皆から切り離され、すべての関係を断ち切られた私は、いったい何者なのだろう。今、唯一私にできることは、自分が何者なのかを探求することだけだ。だが、それには、まず、自分のおかれた状況について把握することが必要である。気分のいいことではないが、致し方ない。世間による迫害から自己の探求へと考えを深めていくには、どうしても現状把握が避けては通れないのだ
 このような妙な立場に追い込まれてから、実に●一五年以上が過ぎようとしているのだが、私は今でも現実として受け入れられずにいる。食べすぎで胃がもたれ、夢見が悪かっただけで、目が覚めれば、友人たちとは元通りの関係が続いており、苦しみから抜け出すことができるのではないかと。いつまでも思い続けている。ああきっとそうだ。自分でも気づかぬうちに眠り込んでしまっただけなのだ。いや、生から死へ飛び込んでしまったのかもしれない。何があったかは不明だが、この世の秩序から引き離され、訳の●わからない理解不能な世界に真っ逆さまに落ちていったとしか思えない。今の状況について考えれば考えるほど、私は自分がどこにいるのか分からなくなってくる。
 こんな運命が待っていようとは、予想だにしていなかった。今になっても、まだ、自分のおかれた状況が理解できていないのだ。昔と同じまま、今と同じままの私が、この先もずっと怪物や、他人に毒を盛った者や、誰かを暗殺した犯罪者であるかのように、何の躊躇もなく決め付けられ、後世に伝えられるなどということが常識的に考えてありえるだろうか。この私が、人類の敵となり、下劣な人々の餌食とならねばならないなんて。すれちがる人たちが私に次々と挨拶がわりに唾を吐きかけ、老いも若きも一致団結して私を生きたまま葬り去ろうとするだなんて、ふつうに考えて想像できるものではないだろう。こんな思いもよらない転覆に不意をつかれ、当初、私はただただ呆然とするばかりだった。動揺と憤慨のなかで悪夢のような日々を過ごし、ようやく落ち着きを取り戻すまでに十年かかった。いや、それでもまだ平静になれないくらいだ。その間にも、私は失敗や間違い、軽率な行動を繰り返してしまった。今にして思えば、不注意なことをしたものだ。私を追放した首謀者たちは、そんな私の慌てぶりに便乗して、私の汚名をさらに確固たるもの、もう二度と返上できないものにしてしまったのだ。
 私は長いあいだもがき、抵抗を試みたが、どうにもならなかった。器用に巧妙に立ち振る舞うこともできず、知らん顔を装うことも、慎重になることもなく、ただ馬鹿正直にあけっぴろげに、焦ったり、怒ったりしていたので、抵抗すればするほど事態は悪化するばかりであり、奴らが容赦なく攻撃する種となるようなことを次々としでかしてしまったのだ。何をしても空回り、さんざん無駄に苦しんだ挙句、必然的なことには逆らわず、ただ運命に身をまかせるしかないという結論に達した。こうして諦めてみると、これまでの苦痛がすべて埋め合わせるほどの平穏を見つけ出すことができた。この平穏こそ、諦めが私にもたらしたものであり、つらく報われることのない抵抗を続けていたときには、得られなかったものである。
 私が平穏を取り戻すことができたのには、ほかにも理由がある。私を攻撃した者たちは、あらゆる形で私への憎悪を極限状態までもっていこうとした。だが、奴らは激情のあまり、一つ忘れていたことがある。私を苦しめ続け、日々苦しみを新たにするような状況におきたいのなら、たえず新たな攻撃を加え、じわじわと攻撃を強めていくのが最も効果的だったはずだ。もしわずかでも希望の余地が残されていたなら、たとえそれが彼らの巧妙な罠であっても、私はその希望にすがろうとし、今でも諦めきれずに苦しんでいたことだろう。そして、彼らは私を騙し、もてあそび、期待させてはまた新たにその期待を裏切ることで、私を苦しめ続けることもできたはずだ。だが、彼らは、最初からあらゆる策を出しつくしてしまった。私からすべての希望を奪うことで、彼らは私をいたぶる機会を自ら手放ししてしまったのだ。彼らが私に浴びせかけた罵詈、誹謗、嘲笑、汚辱はすでに頂点に達しており、弱まることはないにしろ、これ以上ひどくなりようもない。要するに、双方とも早々に限界に達してしまったのだ。あちらは最大限の攻撃を加えようと必死になり、こちらはこちらで最悪の状態に必死に耐えるばかりだった。敵側は、私を最大限に痛めつけようと急ぎすぎた。もはや、地獄の助けを借りようとも、人の手で可能なあらゆる策略を出しつくしてしまい、これ以上は何もできなくなっている。肉体的な苦痛を与えようにも、こうした苦痛はさらに苦しみに追い打ちをかけるかに見えて、実は精神的な苦痛から気をそらせる効果をもつ。痛い、痛いと声をあげれば内に秘めていた苦痛を発散させ、肉体の痛みによって心の痛みを忘れることができるのだ。
 もうすべて出しつくされているのだから、何を恐れることがあろう。これよりもひどい状態はないのだから、もう彼らにはこれ以上私を脅かしようがないのだ。不安と恐怖という苦しみから、彼らは私を永遠に解放してくれた。それについては安堵している。今、現実にある不幸など大して重要ではない。現在感じている苦しみについては、きちんと受け入れることができる。だが、この先襲ってくるかもしれない苦しみを心配し始めると耐えられなくなるのだ。こうなったらどうしようと怖々ながら想像すると、頭の中であらゆる不幸が組み合わさり、何度も反復するうちに拡大、増幅していく。実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいいのだ。実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。こうして現在は、新たな不安を抱くこともなく、へんに期待することも動揺することもなくなっている。慣れてきたというだけでも、現在自分がおかれている状況が徐々にそれほど苦痛でもなくなってきたというわけだ。なにしろ、今以上に悪くなるはずはないのである。時間がたつにつれ、感情は生々しさを失い、奴らがどうあがこうが、もはや負の感情を再燃させるようなことは起こりようがないのである。要するに、私を攻撃する者たちは、感情の高ぶりにまかせてあらゆる策を出しつくしたことで、逆に私を助けてくれたのだ。彼らはもはや私を支配することができない。今や私は彼らを鼻で笑うくらいの余裕があるのだ。
 とはいえ、私が心の平穏を取り戻してからまだ二ヶ月もたっていない。とっくの昔に怯える気持ちはなくなっていた。だが、それでも私はどこかで期待し続けていたのだ。わずかな希望を掻き立てられ、やがて失望し、それがきっかけになって狂おしいまでの思いがあれこれと沸き上がり、平静ではいられなくなったものだ。ところが、ある悲しい出来事、思いがけない出来事によって、ついにかぼそい希望の糸も断たれた。もうこれ以上、期待しても無駄だということが、これではっきりしたのだ。そこで私はようやくきっぱりと諦めがつき、心の平穏を取り戻したのだ。
 陰謀の全体像が垣間見えた瞬間、私は命あるうちに世間にもう一度認めてもらおうなどという考えをすっかり永久に捨て去った。向こうが一方的に縒りを戻そうとしても、私がもう彼らの側に戻るつもりがない以上、そんなことは意味がない。たとえ世間が私のほうに歩み寄ろうとしてきても、もはや私はかつてのような私ではないのだ。私は世間に対し軽蔑の念を抱くようになっており、人々との付き合いなど、もはや味気ない、わずらわしいものとしか思えなくなってしまった。他人とともに生きる人生がどんなに幸せなものであろうと、私は孤独のなかで生きるほうが百倍も幸福に感じる。奴らのせいで私は、人付き合いにいっさいの喜びを感じなくなってしまった。私ほどの年齢になると、そうした喜びが生まれることもないだろう。もう遅いのだ。人々が私に優しくしようと冷たくしようと、もう私は彼らに関心がない。あの人たちが何をしようとも、私はもう同時代の人たちにまったく興味がないのだ。
 だが、未来についてはまだ希望をもっていた。いつか、新しい世代のもっと優秀な人たちが、現在私に与えられる評価、そして、世間の私に対する態度をきちんと検討し直してくれるのではないか。さらには、陰謀の首謀者たちが仕組んだ虚偽をやすやすと見破り、私の本来の姿を認めてくれるのではないか。そんな希望を抱いていたからこそ私は『ルソー、ジャン=ジャックを裁くーー対話』を書き上げ、なんとしてでもこの書を後世に残そうと手を尽くしたのだ。実現する日が遠いことは分かっていても、ついつい将来に希望を抱き、同時代の人たちに理解を求めていたころと同じような気持ちの高まりを覚えた。遠い将来に希望を抱いたところで、同時代の人たちに理解を求めていたころと同じような気持ちの高まりを覚えた。遠い将来に希望を抱いたところで、同時代の人々のもてあそばれる現実は変わらない。私は『対話』のなかで、なぜ将来にこのような希望を抱くようになったのかを書き綴った。だが、あれは間違いだった。早々に間違いに気がついただけでも幸いである。おかげで、何とか生きているうちに実に平穏で絶対の安息といえる時間をもつことができたのである。こうして、私はある時期から穏やかな時間を取り戻した。そして、もう二度と以前のように心を騒がせたりはしないはずだ。
 さらに、つい最近、あらためて思いをめぐらしているうちに、たとえ将来の人々についてでも、世間に期待し、未練を感じるのは馬鹿げていると気がついた。私を憎んでいる組織のなかでは次々と新たなリーダーが生まれ、そのリーダーたちが世間を先導していくのだ。個々の人間は、死んでも、そうした組織はなくならない。人が変わっても、組織の抱える情念は変わらない。彼らの激しい憎悪は、悪魔のように不滅であり、同じように作用し続けるのだ。私を敵視する人たちが死に絶えても、医者やオラトリオ会の会員は存在し続けるだろう。この二つのグループ以外にも私を敵視する人間はいるかもしれないが、少なくとも、この二つのグループの連中に関しては、きっと、私の死語も、生前、私自身を攻撃したときとまったく同じように、私の残した思い出を冒涜し続けるに違いない。確かに私は医者たちを侮辱した。だが、彼らについては、時がたつにつれ、その怒りを和らげる可能性もある。教会に仕える身であり、修道士に準じる存在であるはずのオラトリオ会の人々は私の敵であり続けるだろう。私は彼らを愛し、尊敬し、絶対の信頼をおき、一度も侮辱などしていないというのに、この仕打ちだ。彼らは不正によって私を罪人に仕立て上げ、体面を保つために私を許そうとはしない。彼らはあの手この手で私に対する憎悪をたきつけ、憎しみを持続させようとする。だから、世の人々も、いつまでも私に負の感情を抱き続ける。
 もうこの世には何にもない。彼らはもう私に良いことも、悪いことも何もできるはずがない。だから、もう私には、恐れることも、期待することも何もないのだ。こうして、私は絶望の奥底にも心の平穏を見つけた。不運で哀れな人の末路としか言いようがない。だが、何事にも動じないという点では、むしろ神に近い境地である。
 自分の外にあるものは、もはや私に何の関係もない。この世には隣人も仲間も兄弟もいない。まるでどこかよその惑星から落ちてきた異星人のような気分だ。まわりにあるもの何を見ても、つらく悲しくなってしまう。私に触れるもの、私を取り囲むもんぼ、どれに目をやろうとも、私はそこに人々の侮辱を感じて憤り、痛みを感じて苦しくなる。だから、これまで私が無益と知りつつ、苦しみながら執着してきたものたちを、もう心から一掃してしまおう。ひとりで過ごす残りの人生、もう慰めも希望も平穏も自分のうちにしか求めようがないのだから、自分のことだけ考えて生きるしかない。いや、そうしたいと思っている。そんなわけで、私は、かつて『告白』という題のもとに取りかかった厳格かつ真摯な考察を再開させたのだ。私は人生の最後の時間を自己の探求に費やし、遠からず死がすべてを清算するときに備えて、総まとめを先にやっておこうと思っている。彼らが私から取り上げることができなかった唯一の喜び、つまり己の魂と語り合う喜びを満喫するのだ。自分の内的な傾向について熟考していけば、内面の改善させ、自分の奥にまだ残っているかもしれない悪を正すことができるかもしれない。こうした探求は決して無益なものではないだろう。たとえもう世間には無用の身であっても、こうした探求で人生最後の日々を過ごすのは、まったく無駄ではあるまい。日々の散歩はしばしば、何かに心を動かされ、うっとりしてしまうような瞬間に満ちている。だが、それを記憶にとどめていられないのは、実にもったいない。だから、心に浮かんでくることを書きとめておこうと思う。そうすれば読み返すたびに、喜びがよみがえるはずだ。そんなときは、それ相応の代償が与えられた気がして、自分の不幸や敵の存在、侮辱すらも忘れることができる。正確に言うなら、この原稿は夢想を記録しただけの日記のようなものとなるだろう。多くは私自身に関する記述となるはずだ。というのも、ひとりで考え込んでいると、どうしても自分自身の問題に行きついてしまうのだ。それ以外にも、散歩中に頭をかすめたとりとめのない思いもすべて、ここに綴っておきたい。思ったことをそのまま正直に書く。昨日と今日とで別のことを思うように、一貫性のない記述もあろう。だが、こうして日々の思いを書き綴っていけば、この奇妙な状態のなかで私の精神的な糧となってきた感情や思考を認識し、それによって、自分の本性や、性質を新たに見出し続けることにもつながるだろう。この原稿は、『告白』の続きのようなものであっるが、『告白』というタイトルにふさわしい内容にはなりそうもないので、同じ題にはしないでおこう。逆境にもまれるうちに私の心は真っ白になってしまったので、その奥をさらってみても、良くない傾向はわずかに残っているぐらいのものだろう。地上のすべてに対し無感動になってしまった今、いったい何を告白すればいいというのだ。今さら、告白するような自慢も自責もありはしない。私は、もはや人間のうちに数えられていないのだ。実際に関係をもつことも、本当の意味での付き合いもない。私はそんな存在でしかない。善をなしても悪に転じ、何をすれば他人を、または自分を傷つけることになる。つまり、何もしないことこそが私の義務であり、それが義務である以上、できる限りをれを遂行している。だが、肉体が無為の日々を過ごしていても、心は死んでいない。感情や思考が生まれてくる。いや、むしろ、とりとめのない世俗的な関心がすっかり失われたからこそ、内面的で道徳的な心の動きは活発になっているような気さえする。もはや肉体は私にとって、厄介なもの、邪魔なものでしかなく、私は今のうちからできる限り、この肉体から離れておきたいと思っている。この奇妙な状態についてはよく考え、記録しておく価値があるだろう。だからこそ、私は、余生をその考察に捧げよう。きちんとなしとげるには、順序立てて、方法論に沿って進めることが必要だ。だが、私にはそんなことはできない。そんなことをしたら、自分の心の変化、その変化の連続を理解するという目的からも遠ざかってしまう。私は、自然学者が日々の気象状況を記録し、調べるのと同じように自分自身のことを記録し、探究しようと思っている。自分の心にメーターをつけ、その動きを逐次「計測」する。この作業をきちんと長期的に繰り返し行っていけば、物理学者の実験のように確かな結果を得ることができるはずだ。いや、結果が出ることを期待しているわけではない。実験記録を残せばそれでいい。体系化までは望まない。やろうとしていることは、モンテーニュと同じだ。だが、その目的は、モンテーニュの場合とは正反対だ。モンテーニュは、他者に読ませるために『随想緑』を書いたが、私は自分のためだけに夢想を書き記す。私がさらに年を重ね、死期に近づいたときも、今と同じような心境にあったら(私自身はそうあってほしいと思っている)、この記録を読み返し、執筆時の喜びを思い出すだろう。過去を思い起こし、今の自分と昔の自分とで語り合うことができるだろう。私を憎悪する連中はがっかりするだろうが、私はまだ人との交流を楽しむことができるのだ。年老いた私は、過去の自分と向き合うことで、自分よりも少し年下の友人と一緒に日々を過ごすような気持ちになるだろう。
『告白』や『対話』を書いたころの私は、何でも攻撃の材料にしようと待ち構えている敵の目を盗み、なんとかこの書物を次の世代の人たちに読んでもらえる形で残そうと絶えず苦心していた。だが、この原稿についてはそのような気遣いはない。あれこれ心配したところで無駄だということも分かっているし、世間に自分のことをもっと分かってもらおうという意欲もすっかり失せ、あるがままの姿で著作を残すだとか無実の証しを示すことにも、まったく関心がない。そもそも、そうしたものは、すでに永久に破棄されてしまったようなものだ。人々が私の行動を見張っていようと、この原稿を警戒しようと、たとえこの原稿が敵の手に渡り、破棄され、内容を捏造されていても、私にはどうでもいいことだ。この原稿を隠すつもりも、公開するつもりもない。たとえ、私が生きているうちにこの原稿を奪われることがあっても、執筆時に私が感じた喜びや、ここに綴られた思い出、私が孤独のうちに思ったことまでも奪われるわけではない。この原稿は、私の孤独な物思いから生まれた。物思いの源は私であり、死を迎えるその日まで、物思いは尽きない。最初の災難が襲ってきた直後から、自分の運命を受け入れ、今のような態度をとっていれば、彼らが私に何をしようと、どんな悪事を謀ろうと、私には何の効果もなかったに違いない。彼らがどんな策略を使おうと、私の心の平穏は乱されずにすんだはずだ。そう、今や、どんなにうまくやろうと、彼らは私の心を乱すことができないのだ。自分たちの好きなように、私を侮辱して楽しむがいい。私は私で、いくら彼らが悔しがろうと、無心の生活を楽しみ、平穏に身を侵して残された日々を過ごすのだ。
第二の散歩
 
 ふつうに考えてみたところで、どうしても理解できない奇妙な状況下で、いつもの自分の心の動きを逐一記録してみようと思い立った。記録をとるのに、いちばん単純かつ確実な方法は、孤独な散策を書き記すこと、散歩中、頭を空っぽにし、何の抵抗もせず束縛も受けず、気質のままに思考しているうちに、ふと浮かんでくる夢想を忠実に書きとめることだろう。この孤独な瞑想の時間こそ、一日のうちで最も私が私でいられる時間なのだ。ほかのことを思うことも、何かに邪魔されることもなく、自分のためだけにある時間。まさに自然な状態の自分でいられる数少ない時間なのである。
 この試みを始めててすぐに、もっと早く始めればよかったと思うようになった。私の想像力が掻き立てられないのだ。以前のように夢想に酔いしれることもない。夢想に身を侵しても、新たな創造より過去への追憶ばかりが浮かんでくるのだ。ぼんやりと沈み込んでいるうちに、私のあらゆる能力は衰退しつつあり、徐々いn生命のきらめきも消え、魂もまた老いた肉体という殻から抜け出すのがやっとというありさまだ。自分には正当な権利があると思い、わずかにもちつづけている希望がなければ、私は過去に生きるばかりだ。衰えを感じる以前の私を振り返ってみるには、少なくとも数年前までさかのぼらねばなるまい。そのころ、私は、この世におけるすべての希望を失い、心の糧をこの世にいっさい見出せなくなり、自分自身によって自分の心を養い、自らの内に心の糧を求めることに少しずつ慣れていく過程にあった。
 気がつくのが遅すぎたとはいえ、自身の内側に眠っていた資源は思いがけず豊かなものであり、私はやがて自己探求だけでも、これまでに失ったものの代償として十分満足できると思うようになった。自分について深く考えるのに慣れてくると、私は恨みを忘れ、他人から与えられた不幸についてもその記憶が薄らぐような気がした。こうして、私は自身の経験から、幸福の真の源は自分自身のなかにあり、幸せになりたいと本気で望みさえすれば、他人のせいで不幸になることはないと学んだのである。四、五年前から私は、人を愛する優しい心が瞑想のなかに見出すような、こうした内なる喜びを日常のなかで楽しむようになっていた。ひとりで散歩しているときこんなふうに恍惚や忘我の瞬間を見出すようになった点では、私の敵たちに感謝せねばなるまい。奴らの仕打ちがなければ、私は自分の奥底に眠る宝物に気づかないまま、深く知ることもないままでいただろう。これだけ豊かな源泉を前に、どうすれば忠実な記録が残せるだろう。以前、頭に浮かんだ優しい夢想を思い出して記録しておこうと思ったが、書き記すのも忘れて思い出に浸ってしまった。追憶に浸ってぼんやりしていると、感じることができなくなり、それを深く知ることもできなくなってしまう。『告白』の続きを書こうと決めたあとも、正確に記すため、細部を思い出そうとして、思い出に浸ってしまうことがあった。特に、これから話そうとする散歩のエピソードについてはそうなのだ。この散歩の途中でとつぜん起こった予想外の出来事のせいで、私の思考は中断され、しばらくは別のことに気がそれてしまったのである。
 一七七六年十月二四日木曜日、昼食の後、大通りをシュマン・ヴェールまで歩き、そこからメニルモンタンの丘まで足を延ばした。さらに小道を通って、ブドウ畑と野原のなかを抜け、晴れ晴れとした風景が見られるシャロンヌのあたりまできた。ちょうど二つの村の境にあたるあたりだ。そこで方向転換し、同じ野原を別ルートで戻ろうというわけだ。気持ちのいい風景を目にするといつもそうであるように、喜びと好奇心に胸をはずませながら歩み、ときに立ち止まって、野の草を観察したりもした。町の中心ではあまり見かけないが、ここらの田舎ではたくさん生えているような植物も二種類ほど見つけた。一つは、キク科のコウゾリナ、もう一つはセリ科のミシマサイコだ。私は、この二つを見つけたことで大喜びし、その後しばらく嬉しくてならなかった。そして、ついにスイスのような高地ではめったに見ることのない品種、ウシハコベまで見つけたのだ。私は、その直後にアクシデントに見舞われたのだが、後日、その日携えていた本を開くと、頁のあいだにこのウシハコベがはさんであった。ウシハコベは今も私の植物標本帳におさまっている。
 しばらくのあいだ、花をつけたそのほかの植物を次から次へと詳細にわたって観察してみた。すでにおなじみとなった、それぞれの植物の形状や特徴を挙げ連ねていくだけでも、私はいつも楽しい気分になるのだ。その後、私は細部の観察から徐々に離れ、全体の印象を感じ取ろうとしてみた。全体像をつかむのもまた同じように楽しく、ときに細部の観察よりも感動的でさえある。ブドウの収穫は数日前に終わっており、都市部からこのあたりを訪れる者はもういない。農民たちも冬支度が始まるまで、畑には来ない。そんなわけで畑はまだ緑にあふれ、明るい眺めではあたが、一部で落葉が始まっており、人影もほとんど見えず、どこか寂しげな冬の訪れを予感させる光景でもあった。その穏やかで悲しげな印象は、まさに私の年齢、私のおかれた状況を思わせるものであり、私はついこの風景に自分を重ねてしまった。何も悪いことはしていないのに不運に見舞われ、老いを迎えた自分の姿。魂には生々しい感情がみなぎり、精神にはまだいくつか花を残している。だが、その花も、悲しみにしおれ、悩み事に疲弊して乾涸びてしまっている。ひとり、皆から見捨てられ、訪れたばかりの凍りつくような寒さを感じ始めている。想像力も尽きかけ、心のままに架空の人物をつくりあげて孤独を満たすこともできない。ため息まじりに思う。私はこの世で何をしただろう。生きるために生まれたのに、生きた証しも残さずに死ぬ。少なくとも、私に咎があったわけではない。私をおつくりになった神様のもとに帰るとき、私は善行の貢物をもっていくことはできない。奴らのせいで善行をなしとげる機会を失ってしまったからだ。それでも、神のもとにもっていけるものがあるとしたら、少なくとも善行をなさんとした心づもり、役に立たなかった無垢の心、人々のそしりに耐えた我慢強さくらいのものだろうか。そう考えるとつい感傷的になり、これまでの自分の魂の遍歴を思い返してみた。まず青年期、そして壮年期、世間から追放されて以降のこと、そして、私が死を迎えるまで、この先長くなりそうな隠居暮らしのことまで思いをめぐらせた。これまでさまざまなものを愛し、大切なものに対してはときに自分を忘れるほどの愛着を抱いてきた。ここ数年は、悲しみというより、むしろ慰めに近い思いに浸るようになった。こうした愛情や愛着、慰めのような感情を私は懐かしく思い出していた。さらに鮮明に思い起こし、当時感じたのと同じ喜びを感じながら、それを書き記そうと思ったのだ。こうして、静かに物思いにふけるうちに午後は過ぎていった。そう、これから話す「事件」が起こったとき、私は満ち足りた気分で歩いて帰る途中だった。夢想に浸っていた私は、この事件によって現実に引き戻されたのである。
 夕方六時ごろ、メルニモンタンの坂を下りていく途中、居酒屋「ギャラン・ジャルディニエ」の前にさしかかったときのことである。とつぜん、前を歩いていた人たちが飛びのいたかと思ったら、次の瞬間、大きなグレート・デンが私に飛びかかってきた。四輪馬車に追いかけられるように全速力でえ走ってきた犬は、私の姿を見ても、もはや脇にそれることも、足を止めることもできず、そのままぶつかってきたのである。犬になぎ倒されないようにするには、タイミングよく跳び上がるしかないと、とっさに思った。私の体が一瞬でも宙に浮けば、犬は私の股の下を走り抜けていくだろう。だが、稲妻のようにひらめいたこのアイデアも、本気で考え、実行するだけの暇はなかった。とにかく倒れる寸前、最後に頭に浮かんだのがそれだったのである。ぶつかったことも、転倒したことも覚えていない。はたと我に返るまで、何が何だがまったく分からなかったのである。
 意識が戻るともう日はほとんど暮れていた。私は、三、四人ほどの若者に抱き抱えられており、何があったのかを彼らから聴かされた。勢いづいた犬は私の足にぶつかり、その重量と速度に耐えられなかった私の体は、前のめりに倒れてしまったのだという。ひっくりかえり全体重がかかったままの状態で、上あごをでこぼこだらけの舗道に打ち付けたのだ。しかも坂道だったため、頭が足よりも低い位置となり、打撲の衝撃はわらに大きくなってしまった。
 その後ろからは、犬の飼い主を乗せた馬車がやってきていて、私はもう少しで、さらにこの馬車に轢かれるところだったらしい。こちらは御者が必死になって馬を制し、なんとか手前で止まったようだ。以上があ、私を抱きかかえ、意識が戻るまで介抱してくれた人たちから聞いた話だ。意識が戻った瞬間、私がおかれていた状態というのは実に妙なものであり、これはぜひともここに書いておきたいと思う。
 日はどんどん暮れていく。意識が戻り、目をあけたとき最初に空が見えた。星がいくつか輝いていた。周囲の緑もちらと目に入った。この光景を目にした瞬間、心がときめいた。まだ、それだけしか感覚がない。まるで、たった今生まれたかのような気分であり、見るものすべてに、わずかながら自分の存在が宿っているような気がした。その瞬間だけがすべてであり、過去の記憶はいっさいない。自意識というものがまったく存在せず、自分に何が起こったかも分からない。自分が誰なのか、ここはどこなのかも分からない。痛みも、恐怖も、不安もない。自分の血が流れているのを見ても、まるで水の流れを見ているような感じがして、ちっとも自分の血だという気がしないのだ。うっとりするぐらい穏やかな気持ちだった。何度思い返してみても、これまでにどんな行為において感じた快楽とも似ても似つかない穏やかな気分だったのだ。
 誰かが私にどこに住んでいるのかと尋ねた。私は答えられなかった。逆に、ここはどこかと聞いてみた。「オート・ボルヌですよ」。まるで、アトラス山脈ですよ、と言われたかのようだった。それはどこの国、どこの街のことなのか、どのあたりのことなのか、聞き返さねば自分の居場所が分からないのだ。まだ意識がはっきり戻らない。大通りまで出たところでようやく、自分の名前と住所を思い出した。見知らぬ紳士が親切にも私を途中まで送ってくれて、私の家がここから遠いことを知ると、タンプルから馬車で帰ったほうがいい、と助言してくれた。私は、口の中にたまった血を何度も吐き出しながらも、ちゃんと歩いていたし、別に痛みも傷も感じておらず、足取りは軽やかだった。だが、悪寒がし、転倒時に打ち付けた歯がガチガチというほどの震えがあった。タンプルまで来たが、痛みもないことだし、馬車で寒い思いをするよりも、このまま歩き続けるほうがいいと考えた。こうして私はタンプルから、自宅のあるプラトリエール通りまで二キロほどの道を、特に苦痛も感じず、障害物や馬車を避けつつ、道に迷うこともなく元気なときと同じように、ふつうに歩いて帰ってきた。家の前に着き、正面玄関の鍵をあけると、暗いなか階段を上り、無事に部屋に入った。転倒し気を失ったものの、それ以外は特に何事もなくすんだと思っていた。その時点ではまだ、怪我の程度が自分でもよく分かっていなかったのである。
 妻が私を見るなり悲鳴をあげたので、どうも自分で思っているよりもひどい状態にあるらしいことに気づいた。それでも、私は自分がどういう状態にあるのか認識せず、痛みも感じないまま眠りについた。そして、その翌朝、ようやく感覚が戻り、私は自分がどういう状態にあるかを認識した。上唇は鼻のあたりまで裂け、外側の皮膚だけで辛うじてつながっている状態。歯が四本、上あごにめり込み、あごの周囲から顔全体が腫れ上がり、尋常ならざる様相を呈している。右手の親指はねじれて腫れ上がり、左手の親指もざっくり切れている。左の腕もひねってしまったようだ。左の膝も腫れ上がり、ひどい痛みで曲げることもできない。だが、これだけの災難にあいながら、骨折もなければ歯も折れていない。あんな転び方をしたというのに、かなりの幸運である。
 さて、以上が、ことの顛末の忠実な記録である。このことは数日間でパリじゅうに知れわたった。しかも、元の話が分からなくなるほど、誇張され、歪曲されて伝わったのだ。こうした作り話が広がるのはあらかじめ予想できたはずだった。だが、あまりにも奇妙な話が次々と付け加えられていったのである。そのうえ、私を前にすると誰もが滑稽なほど遠慮がちに、言葉を濁したり、言いよどんだりするので、それがかえって私を不安にさせた。私は常に闇を憎悪してきた。生まれながらに闇が怖かったし、長年にわたって深い闇のなかで暮らすことを余儀なくされたが、それでも、闇に慣れることはなく、恐怖が薄らぐこともなかった。この時期、実に奇妙な出来事が続いたのだが、ここにそのエピソードを一つだけ記しておく。この一件だけで、ほかのことも十分想像がつくだろう。
 ある日、ルノワール警視総監の秘書を名乗る人物がやってきた。私は、警視総監とはまったく面識がない。それなのに、その秘書とやらは、私の容体を尋ね、あれこれと手助けを申し出てくれた。もっとも、警視総監の手を借りたところで私の苦痛がやわらぐわけでもないだろう。それでも、その秘書氏は、警視総監のご厚意を無駄にせぬようにと熱心に説き、自分が信用できないなら、総監に直接お手紙を出してくださいとまで言いだした。ひどく熱心な態度と、それに伴う秘密めいた雰囲気には、どう考えても何か裏があるようだった。だが、どうやってもその裏事情を明らかにすることはできない。別に、そうまでしなくても、私はすでに弱気になっていた。ただでさえ、あの事件と、その後の発熱で頭がぼうっとしていたのだ。つい、怖いこと、つらいことをあれこれと想像してしまった。私のまわりで起こったことについても、片端から理由を探してみたが、どれも皆、熱に浮かされた妄想のようなもので、どう見てもすべてに関心を失った冷静な人間の考えることとは思えないものだった。
 さらにもう一つ、私の混乱にとどめを刺すような出来事が起こった。ドルモワ夫人は、以前から私と親しくなりたがっていた。理由は分からない。私には何も思い当たる節はないのだ。心のこもらない不自然な贈り物や、これといって理由もはっきりしない訪問、しかも楽しいとはいえぬ訪問を何度も受けるうちに、なにやら隠れた本当の目的があるらしいことは分かってきたが、それが何なのかまでは分からない。ドルモワ夫人は、小説を書き、王妃に献上したいと話していた。私は彼女に何人かの女流作家について思うことを述べていた。やがて、彼女は、自分が小説を王妃に献上するのは、財産の回復のためであり、そのために後ろ盾を必要としているのだとほのめかしてきた。だが、私はお役に立てそうもない。すると彼女は、王妃に献上する術がないからには、その本を公に出版したいと言いだした。そうなると、もう私には助言する義理もない。そもそも、助言を求められたわけでもないし、どうせ彼女は私の助言になど従わないだろうと思った次第だ。以前、彼女に原稿を見てほしいと言われたことがある。そういうことは引き受けられないと答えると、その後、彼女が原稿を持ってきたことはなかった。
 そして、怪我が快方に向かい始めていたある日、ドルモワ夫人から本が届いた。きちんと印刷され、装丁も立派だ。序文には、私に対する仰々しいまでの賛辞が並んでいるが、ちっとも心がこもっておらず、やけに不自然な調子で書かれているため、読んでいて気分が悪くなるものだった。わざとらしいお世辞としか思えず、どう見ても誠意が感じられない。私の心はそんなものに騙されたりはしないのだ。
 数日後、ドルモワ夫人が娘を連れて私のもとを訪れた。ドルモワ夫人によると、あの本は、解説部分のため大いに話題になっているという。私はざっと小説を読みはしたが、解説には気がついていなかった。ドルモワ夫人が帰ったあと、私は本を読み直してみた。解説部分の文体、言い回しを見て、ようやく腑に落ちた。彼女の訪問の理由、へつらい、序文に並べた見え透いたお世辞の理由が分かったのだ。あれはすべて、私がこの文章を書いたと世間に思わせ、出版後に問題が出てもそれをすべて私のせいにするためだったのだ。
 世間に噂が広がり、人々がそういう印象をもっても、私はそれを打ち消す術をもたない。唯一できることはいえば、少しでも噂を助長させぬよう、しつこくやってくるドルモワ夫人とその令嬢と関係を断つことぐらいだった。そういうわけで、私は、ドルモワ夫人にあて一筆書き送った。
「私ルソーは、自宅で文筆業の方と会うことはいたしません。ドルモワ様のご厚意に感謝いたしつつ、今後はご訪問をお控えくださるようお願いいたします」
 ドルモワ夫人から返事がきた。表面上は丁重な文章だったが、内容はというと、これまで私からこの手の拒絶の手紙を受け取った人が返信に書いてきたのと同じようなものだった。要するに、私の野蛮な言動で彼女は心が傷つけられたというものである。私に誠心誠意の感情を抱いていた彼女は私からの絶縁状を受け取り、氏を考えるほどつらい思いをしていると、手紙には書かれていた。この世にいる限り、正直かつ確固たる態度をとることは、それがどんな場面であれ、大きく反感を買うものだ。皆のように嘘をつき、不実なことを言わないというだけで、私は世間から意地悪で残酷な人間と見なされてしまうのである。
 怪我が回復して散歩に出られるようになり、チュイルリーあたりまで何度か出かけるようになったころ、つまり事件からしばらくたってから、もう一つ分かったことがある。出先で私を見るなり人々が驚愕の表情を浮かべるのだ。どうも私の知らないところでまた別の噂が広がっていたらしい。やがて、転倒によって死亡したという私の訃報が世間に知れわたっていたことを知り、私は驚愕した。この噂、実に素早く広がり、そのうえしぶとく残った。なにしろ、私がこの噂に気づいてから二週間がたったあとでも、王や王妃までが事実として話題にしていたというのだ。親切な方が手紙で教えてくれたところによると、「クーリエ・ダヴィニョン」紙は、私の訃報をめでたげに掲載し、私の死後に備えて用意してあった罵詈雑言の辞を、早々と弔辞がわりに並べ立ててくれたそうだ。
 この訃報は、さらに奇妙な事件へとつながっていった。といっても、私はそれを偶然知っただけであり、その詳細については今でもよく分からない。とにかく、その誤った訃報が流れた直後、「ルソーの自宅から発見された遺稿集」の販売予約が始まっていたのだ。どうも、私が死んだらすぐに出版しようと、偽の原稿がすでに準備されていたらしい。常識的に考えて、見つかった遺稿がそのまま忠実に出版されるなどということは、まずありえない。ここ一五年の経験から、私はこれだけは断言できる。
 こうしたことが次々と起こった。これに勝るも劣らない驚くべきエピソードが、まだほかにもいろいろある。年を重ね、私の想像力もずいぶん衰退したと思いこんでいたが、こうした一連の出来事により、私は再び、恐ろしい想像に怯えるようになった。私のまわりで次々と起こる陰謀の闇は深まるばかりで、私は昔ながらの闇への恐怖をあらたに感じるようになってしまった。何か理由があるはずだと考え、説明しがたい状況をなんとか解明しようと知恵を絞ることに私はもう疲れてしまった。こうした謎を追ううちにたどりついた答えは、結局、これまでと同じもの、つまり、私の運命、そして今後の評価の行方は、世間が満場一致で決定したものであり、私がどんなに努力してもどうしようもないということだった。なにしろ、次世代に何か残そうとしても、同時代の人間に中継してもらわねば、そもかなわない。それなのに、同時代の人々は皆、私にかかわるすべてを破棄してやろうと待ち構えているのだから、もう望みはないのである。
 だが、今回、私はさらに突っ込んで考えてみた。まず、偶然のように見える出来事が積み重なっていること。そしてえ、最も容赦なく私を攻撃した連中が妙に羽振りよく幸運に恵まれていること。さらには、私にひそかに敵意を抱いている人たちのなかから、政府の要人たち、世論を動かす意見をもつ人たち、地位の高い人たち、信用のある人たちのすべてが、まるで選ばれたかのように一つの陰謀に加わっていること。ここまでくると、偶然の一致で片づけられるものではない。誰かひとりでも陰謀の共犯になることを拒む人がいたら、何か一つ不都合が起きていたら、何か一つ予想外の事件が陰謀を妨げていたら、ここまで完璧に私を打ちのめすことはできなかっただろう。だが、すべての人の意思、すべての宿命、偶然、そしてすべての事件が連携して一つの計画を遂行していたのである。奇蹟のような結託を見せられ、私は確信した。この陰謀の成就は、永遠なる法のもとに定められたものだったである。過去においても、現在においても、いくつかの事象を細かく観察してみると、そうとしか思えない。そこで、私は、これまで人間の悪意の結実と見なしてきた一連の事件を、人知では計り知れない天の神秘のように考えざるをえなくなった。
 そう考えると、私は悲しみや苦しみよりも、むしろ慰めと安堵を感じ、すっかり諦めがついた。とはいっても、聖アウグスティヌスのようにはなれそうもない。彼は神の意志とあれば、地獄に墜ちても甘んじていられたのだ。確かにそれに比べれば、私がたどりついた諦めの境地は、正直なところ、もっと利己的なものであるが、それでも聖人のように純粋であり、私の考え方からすれば、私の敬愛する神にふさわしいものである。神は正しい。神は私が苦しむことを望んだ。私が無実であることは神もご存じである。だから、私は安心していられる。感情的にも、理性的にも、この安心感は本物だと思えるのだ。人々が何を企もうと、私の運命がどうなろうと、もう放っておこう。不平はもらさずただ耐えることにしよう。何もかも、いつかは秩序のなかに戻るはずだ。遅かれ早かれ、報われる日が来るはずなのだ。
 第三の散歩
 「われ常に学びつつ老いぬ」
 ソロンは晩年、この言葉を何度も繰り返している。年老いた私の身にも、この詩句の意味は思い当たるものがある。だが、私が二〇年かけて培ってきた知識は実に悲しいものだ。こんなことなら無知のままでいたほうがましだった。逆境は、いい教師だが、その授業料は高い。多くの場合、学んだことの有益性よりも、もはや実践の機会があないのだ。若いときにこそ学び、年をとってからは実践のときとなる。確かに、経験から学ぶことは常にある。だが、学んだことを役立てられるのは、そこから先の時間だけだ。いよいよ死ぬというときになって、こう生きるべきだったと学んだところで、何の役に立つだろう。
 私の災難、そして私の災難のもととなった他人様の情念について、さんざん辛苦を味わった挙句、今ごろになって学んだからといって、それが何の役に立つだろう。人間についての理解を深めたところで、人々に苛まれる屈辱が増すばかりだったし、知識のよって敵の陰謀を暴いたところで、それを避けることはできなかっただろう。長いあいだ、私はいかに無力で、お人好しであったことか。そのために、こんなに長いあいだ、騒々しき隣人の餌食になり、おもちゃにされたのだ。まわりにあれほど罠が満ちていたのに、まったく疑いさえしなかったのだ。私は彼らのカモにされ、犠牲となった。それは事実だ。だが、私は愛されていると思っていた。彼らに友情を抱いて幸せを感じ、彼らもまた私に同じような友情を抱いていると信じていた。そんな甘い幻想は打ち砕かれてしまった。やがて時が、そして悲しい事実を教えてくれた。私は不幸に打ちのめされた。そして現実に向き合うことで、もう打つ手はないこと、諦めるしかないことを悟ったのだ。そんなわけで、私がこれまで年を重ねながら学んだ知識は、今の状態にある限り、何の役にも立たないし、将来的にも役に立つはずがない。我々はこの世に生まれ、戦いの場に入る。そして、死を迎えてそこを去るのだ。退場間際になって、戦車の使い方を習得しても無駄だろう。もうあとは、いかに死を迎え、この世を去るかを考えるべきだ。もし学ぶべきことが残っていればの話だが、老いて学ぶべきは、いかに死ぬかということだけだ。しかし、私と同じくらいの年齢でそれができている人は少ない。皆、あれこれ学ぼうとするが、死に方だけは学ぼうとさえしないのだ。老人たちは、子供以上に生に執着し、若者よりもずっと未練たらたらで死んでいく。死の間際に彼らは、生前いかに苦労したかを考え、その苦労が無駄になったと思うのだ。どんな努力も、財産も苦労の成果も、死んでしまえば終わりである。生きている間に、あの世までもっていけるだけのものを修得できなかったということだ。
 私は手遅れになる前にそういうことを
 

教育内容 あらゆる魔との戦い 教育に必要な観点

教育に必要な観点
人間教育には、どのような観点が必要だろうか。「教育改革!教育改革!」と言われる昨今である。
私が、ずっと求めていた事と、教育に必要な観点は、一致するだろう。
まず最優先の疑問点がある。
①教育の方向性
どこに向かって、教育するのか?
というものである。
向かう方向性が違うと、バラバラな見解になりやすい。これは私もかなりてこづっている。
肉体以外の体で言えば、肉体以外の体が、ある一定の境地まで行く事なのだ。が、肉体以外の体があるとは、知らない人もいる。では、肉体で表現しろと言われても、無理なのだ。
これを神道で言えば、神人合一。佛教で言えば、空の境地。キリスト教で言えば、主と繋がる。禅定で言えば、無我の境地である。が、これでは、科学信奉の人には、通じない。そうすると、この目に見えない、ジャッジメントがしづらい世界をどのように表すかが、頭を抱える所である。
科学的な方面で、どのように表せばいいのだろうか。何かが説明できるというのは、ある物事を悟っているからである。
例えば、微分積分とは、「つまり○○と」言えれば、その物事は、悟っているという事である。悟っていない人は、要約ができないのだ。この境地を、あれを説明できるならば、悟っているという一点がまだ見つかっていないのだ。
人間の体が、宗教信仰によって、変わる事はないからだ。同じ動作をすれば、同じ結果になるのだ。例えば、「原因と結果の法則というのは、○○だと」伝えられるかどうかというものだ。平たく言えば、神人合一とは、「○○」と説明できるかなのだ。全くその手の知識を知らずに神人合一になるかというとならないのだ。やはり、「神人合一とは○○」と説明できる人なのだ。それを説明出来る人を増やす事なのだ。が、まだまだ科学的信奉者はわからないのは仕方ない。が、この説明ができるかが鍵なのだ。また、我々は、この神人合一を、「無意識マップの完成」と呼んでいる。この説明は、別の機会に譲ろう。
また、別の観点で言えば、」なのである。究極の実在への教育というものもあるのではないだろうか。
②教育内容
理想的な日常生活を為し得るための教育だ。
つまり、日常生活の微差の研究と、実践なのだ。ただ、これは膨大な量があるので、全ては伝えきれない。なので、抜粋にならざるを得ないのだ。気付きの膨大な量に対して、出来る限り壮大な量の、可視化できる限界まで纏めたのが、別表の「教育総体系シート」だ。これは、数万に及ぶものだ。が、それだけではわかりづらいので、更に要約した一覧表がある。「教育要項シート」だ。
教育要項シート
1・あらゆる魔の詳細
2・感謝と日常生活の動作
3・大自由の心とアイデンティティ4・純粋フラットと視点転移(どう物事を認識するか)、体の三重性5・魂体の無意識マップの完成形6・あるヒトツの宇宙原理の内外反転(究極の実在)の理解と活用
7・

項目
1・インスピレーションの魔に勝つ事。「今朝こんな魔があったーー」というのが、日常会話になる日が来て欲しい。完成形じゃないと出せないという魔もある。

2・日常生活で、感謝状態の人は、どんな動作をしているか
3・どんな大自由な心で、どんなアイデンティティを獲得しているか
4・視点転移を繰り返し、心の中心の中心から無意識イメージを引っ張る事。
人間の体には、肉体の他に、魂体と霊体の三重性があるのだ。霊体とは、これ以上細かくできないもので、オリジナルスピリッツと呼ぼう。無意識の器の使い方。
5・目に見えない魂体の無意識マップの完成とはどのような事か。
6・この世界の全てを貫くあるヒトツの原理(究極の実在)とは何か。また、その活用とは(なぜ感謝状態が必要なのか)
6ー1宇宙のヒトツの原動(内外反転)により、プラスとマイナスの対になるものが発生し続けるのだが、その内外反転に沿って、忠実に動くことで、魂体的無意識マップと霊体的無意識マップにGAPが生じないので、幸せな状態をキープし続けられるのだ。
そうしないと、魂体的無意識マップと霊体的無意識マップのGAPが生まれ、それを解消するために、四苦八苦が生まれるのだ。最新科学の宇宙の構成から考えてみよう。
7・

追記
教育で、たとえ究極の実在を見れても、四苦八苦は続く。確かに、魔に負けなくなるのはあるだろう。これをどう見るかだ。 
 
 
 
 

差し出すもの 総理大臣になるには トレードの法則

差し出せるモノを差し出す。
この世は、トレードの法則なのだ。
よって、何を差し出すか、なのだ。
①家や財産を差し出す。
②自分のやりたいことを捨てる
③友人と恋人関係の縁を差し出す。
④自分の大切なものを差し出す。
⑤命を差し出す。
⑥自分の時間
⑦自分の意識や体
差し出した量が多ければ、多いほど得るものも多い。差し出したものも、必要なものだけは、最低限手に入るようになっている。耐える事なのだ。大きな事をしたければ、差し出すモノを増やすのだ。それしかないのだ。何でも手に入れようとするから、平均的になってしまうのだ。総理大臣になりたいなら、ずっと総理大臣になる行動をし続ければいいのだ。他は、一切諦める事だ。それだけ熾烈な戦いなのだ。ただ、総理大臣になるメリットは、その分、政治を理解している人は、それだけの世界でもある。日本は、平均首相在任期間が、昭和以降は、2年2ヶ月のようだ。私は、一時首相になりたいと思ったが、それは、単純に世界が良くなってほしいから、権力機構の人に良くなってほしいだけだったのだ。また、単純に、自己イメージの最大化をしたかっただけなのだ。だから、自己イメージの最大化ができれば、何でもいいのだ。最大化の後は、適当にどの人もやるのだ。「私が総理大臣になったら、」というテレビ番組があったが、それでいいのだ。現実の政治とは、違うのだ。どの人も、一度、もし自分が総理大臣だったら、という仮説質問を立てる事が大切なのだ。その事で、問題意識も変わってくるのだ。「40年間総理大臣になる行動と思考ができる人しか、総理大臣にはなれないのだ。それが貴方にできますか?」私は、できません。と正直に言う。ただ、発想法をする事は、大切なのだ。これが、民度を上げる最適なものなのだ。自然と落ち着くのだ。当事者意識を持つという事にも繋がるのだ。
「私が総理大臣になったら」
①逆説的諮問機関を作成します。裁判所とは違う観点を取り入れた機関です。物事を常識とは逆の面から考察した機関です。が、法的拘束力はいりません。単純に公に発表するだけです。裁判所が、従来通り、判決効力を有します。裁判事例は、とても慎重に考えられていますが、どうしても抜けがあるからです。これは、現在では仕方ありません。取り立てていえば、エネルギーの観点と、カルマの解消の観点です。過去の大戦争により、今の自分達があるという事です。
 
 
□追記
寒い地方で、服が十分に着れない人は、寒いだろうなと思いを馳せる。なんなら、自分も寒くなってみる。人に法則を教えると、その人の好感度もあがる。

未来の新しい融合問題

新しい国語の融合問題
覚える事が重要ではなく、活用する事が重要なのだ。既存学習事項と、日常生活、そして先端事例、宇宙のヒトツの動きと、四角形的スパイラル学習が、誰にでも必要なのだ。
ことわざで、「油断大敵」というがある。油断大敵の意味を知る。
明鏡国語辞典MXには、ゆだんたいてき【油断大敵】
[名]
油断は失敗を招くもとであるから、何よりもおそろしい敵である。
意味の理解だけでは、弱い。
その言葉の意味を考えて、自分の日常生活で、「油断した場面」と「油断を回避した場面」を記述しなさい。
アスリートのイチロー選手は、イチローの流儀という著書で、「一日の反省はグラブを磨きながら。昨日試合後に何を食べたか、よく眠れたのか、ということから、実際にゲームが終わるまでに起こったすべてのことをよく振り返って考えてみる」という油断しないような取り組みを日常生活でしている。イチロー選手は、先端事例としての紹介である。
宇宙のヒトツの動きとのリンクは、ここでは置いておこう。このような一連の流れを講義中に学習するのだ。
それをグループで相互意見交換と、先生役からの質疑をするのだ。オックスフォード大学のゼミから、内容の高度さを取り除き、中等教育に活用するためのものだ。この諺というのは、なんでもいいのだ。
意味を知るというインプットは、中等教育から、変えていく必要があるのだ。問題形式を変えていけば、教育は変わるのだ。意味のインプットに関して、家庭での学習を増やし、授業は、意見交換に当てるのだ。今でも、このような取り組みは十分とは言えない。が、入試問題を、日常生活に活かした形式に変えれば、それで事が足りるのだ。負荷を漸次的に変えて、稚拙から技巧に変化していくのだ。
 

循環が回っていると、気持ちが良くなる。が、それだけではないのだ。感謝を忘れている事に自分で、気付く事なのだ。私も、ついつい、万物への感謝を忘れた状態で、油断をしてしまうのだ。それは、金銭的なプレッシャーと引き替えに、しっかりとやるべきものなのだ。ついつい目の前の、粗末な人間勝手な考えに染まってしまうのだ。これが良くないのだ。ある意味、スポーツ選手よりも厳しい。それは、スポーツ選手は、試合があるので、試合中に肌の感覚で、油断がわかるからだ。が、一般の人は、自分が油断しているという事も忘れてしまいがちだ。ただ、誰もその甘さを指摘してくれる人はいないのだ。それが、自立した人間というものだ。なので、感謝学という学問がしっかり普及してくれる事を祈りたい。自らを律するのだ。ごめんなさい。ありがとう。なのだ。つまり、人間は、自律し続ける生き物なのだ。私は、大量破壊兵器のように、大量に油断してしまい、結界が崩壊してしまった。これは、余りにもムゴかったのだ。が、きちんとペースを守る事で、変わってくるのだ。人間の無意識マップを広げるには、自律させながらも、横道にコースチェンジさせるように、仕掛けるのが得策なのだ。それは、人生の転機というものでもある。感謝状態からの異様な変化に気付くと、物事がまたスムーズに行くのだ。何かを持ち続ける事が、どれほど怖いか、貴方はまだ知らないのだろう。人間には、触れると恐ろしい世界があるのだ。そう、パンドラの箱だ。開けてしまってからでは、遅いのだ。人間は、やはり檻の中にいた方が、気楽なのだ。後で、謝っても、後の祭りなのだ。やはり、知的好奇心と勇気で、開けていけないものがあるのだ。開けると、この世界の真相が肌身でわかるが、とても怖い世界なのだ。ごめんなさい。ありがとう。人間には、普通の恐怖が必要なのだ。どれほど、この肉体がある事で、気楽な世界を生きているかは、あなたはわからないだろう。どの人も、地獄には行かないように気をつけることだ。どんなに虚勢を張っても、そこには立ち寄ってはいけないのだ。開けてはいけない箱があるのだ。どんなに怖いとされるホラー映画よりも、怖いのだ。ホラー映画は、とても有り難いのだ。その主人公に視点転移するのは大切なのだ。人間が考えているより、もっと真相は怖いものだからだ。が、無知な私は、その怖さに気付かないのであった。
 
追記
数学は、四種類ぐらいのポイントを押さえると、解答まで辿り着く。暗記教科とも言える側面がある。

なぜ審神者が必要なのか?

なぜ崔神が必要なのか
それは、霊媒というのは、無意識の器を使うために、顕在意識を極力使わずに、その思考のチャネルを、最下層に合わせ続ける必要があるのだ。そのために、崔神というのが必要になるのだ。意識の器を使うと、チャネリングゾーンが上昇するのだ。それで、神経を使って、その声に合わせ続ける事が難しくなるのだ。この点で、分業性なのだと気づかされた。勿論、霊媒も一定量の顕在意識を使って、行動する必要もあるのだが、それを極力減らすことで、無駄な動作が減るのだ。なかなか人は、この分業が難しいのだ。崔神は、信用者なのだ。周りの人が、あの人ほど科学的に知識的に論理的に考える人が、信じているという事は、その声は、神の言葉に違いないというものだ。要は、その人の個人の顕在意識でモノを言っているのか、神の言葉の伝達で言っているのか、表現度合いは、どれぐらいかを、何の欲に負けているのかというのを冷静にシビアに見る役目なのだ。それは、確かに顕在意識でやらなければ難しいのだ。勿論、崔神役も、潜在意識を使うようにする事は、大切だ。それは、お互いのためなのだ。が、周囲の人に、しっかりと霊媒役の声を臣事させる物理的な手段を考え実行するのが大切なのだ。これには、多くの知識が必要なのだ。このセットは、自分達のタメなのだ。霊媒が未熟だと、自分の声と、神の声のゾーンを間違える事があるからだ。また、神の声というのは、インスピレーションなのだ。言葉で教えてくれる事と、無意識イメージで伝えてくれる事があるのだ。この辺りを絶妙に的確に捉えるのが、崔神の役目なんどあ。チャネリングのゾーンが違うと、ぜんぜん違う声にひっかかってしまうのだ。「あれ?それは、神の声か?」と疑う事も必要なのだ。人は、時として、道を誤るからだ。霊媒が、常時、そのチャネルに合わせる為には、できる限り一緒にいる事が必要なのだ。が、霊媒も勿論、時たまは、自分の顕在意識を使う循環が必要なのだ。ただ、顕在意識を使いすぎると、霊媒能力が格段に落ちるのだ。そうすると、本末転倒になってしまうのおだ。ただ、実はこのお互いのトレーニングは、結構時間と労力がかかるのだ。たとえ、過去生で修行三昧の人も、復活させるのに、とてもシビアな純粋フラットのトレーニングが必要なのだ。それは、やはり現代で、情報を沢山入れすぎているということもいえる。もっとできるのだ。ただ、現代社会では、霊能力だけでは、太刀打ちできないのだ。それでは、ある一定の人達にしか、神の声を伝えられないのだ。なので、実社会のキャリアを積みながら、徐々に思い出していくのがいいのだ。神の声に合わせ続けるのも、かなり集中が必要なのだ。
 

神と人との境界線の微差

不倫のメカニズム、疑似ロープレ、現代の五種の神器、神と人の境界線、心人合一の人の葛藤、という記事だ。
人間には、カルマが現象界に発生する。苦の葛藤の中で、どれだけ純粋意識を積めるか。擁護するわけではないが、発生する前と後では、取り組む方が変わるのだ。発生する前は、発生させたくなければ、発生するカルマを積まないようにすれば、発生しない。仮に、発生した後は、そこでどれだけ苦の葛藤をしながら、純粋意識を積み上げられるかにかかっている。私も、他の女性を好きになった事があるが、何とか少しでもより純粋にできないかと、葛藤したものだ。ただ、それにより、他の事が疎かになってしまったのだ。勿論、そのように意識していると、自体は以前よりも、悪くならないのだ。が、そしてまた同じようにカルマを積むと、同じような事が起こるようになっているのだ。苦の葛藤と楽の「恋慕的振動」は、どちらも無意識マップに応じて、必要なのだ。俗世間を一度離れて、意識を高く持つと、必要な視点に気付きやすいのだ。不倫が発生するカルマが、日常生活の点検でわかるのだ。性エネルギーに関する、微差があるのだ。また、他のカルマが巡って、発生主要因になっている。ただ、確かに、カオス的に様々な葛藤をするのは、人生の醍醐味ではある。私は、それを否定したくはない。ただ、それで苦しむのも辛いとも言えるのだ。そして、カオス的体験の連続により、無意識マップがほとんど出来上がった人には、該当箇所を疑似ロープレすれば埋まるのだ。また、無意識マップというのは、心でヒントを捉える事ができるようになっているのだ。これは例えば、自分の進路に悩んでいる時に、貴方は、裁判官と大学教授どちらかと言えばどちらがいいかと聞かれた時に、「裁判官は、ちょっとな。でもうーん。大学教授も、うーん。少しうーん。」という風に何となくわかるようになっているのだ。それは、俯瞰的に過去と現在と未来の一部を見た場合に、どうすればいいか何となくわかるようになっているのだ。私は、裁判官と大学教授であれば、大学教授の方が整合性が若干高いのだ。これは、できるだけ心の中心の中心からイメージを引っ張る訓練をし続けると、わかるものなのだ。勿論、それは100%ではないが、それだけ高い確率で、自分の人生を幸せにしてくれるようになっているのだ。これは、普段の日常会話でも同じような事が起きているのだ。ただ、人間は、思いこみと記憶層と、固定観念と想念体があるので、なかなか判断がつかないのだ。神はそのすべてを見れるので、ほぼほぼの方向性を示す事はできるのだ。が、それもその人の人格次第なのだ。この動作というのは、本音で語った量が多い方が進むというものがあるのだ。なので、あまり友達に関しては、そこまで気を使う事も実はないのだ。私は、結構気にしいだった。まあそのおかげで、冷静に研究する事ができたのだ。私は、その事に気付いてから、できるだけ単刀直入に言うようにしていた。その心掛けは大切だ。だが、時として、本音はあらぬ方向に進むのだ。それは、人間の思いこみが激しいからなのだ。これを純粋フラットを心掛けるだけで、変わってくるモノなのだ。この原理に多くの人が気付いてくれる日を待ちわびている。自分達で、どうにかするのも人間に与えられた試練なのだ。やはり、神は半分程度は助けてくれるものだが、後の半分は、人間同士でやるという決まりなのだ。この辺りも純粋フラットなのだ。ただ、この半分というのは、人間勝手な思いこみではないが、深い真相を知る人にとっては、やはり半分なのだ。この辺りも、誤解されると困る所なのだ。なんとも言えない絶妙なインスピレーションがあるのだ。言葉では、やはり一〇〇%正確には表現できないが、言葉で伝えるしか人間には無理なのだ。なので、できるだけ良い意味で理解してほしいところだ。心は真相を知っているのだ。その精度をあげていって欲しい。私は、あまりにも完璧に因果応報というものができていて、とても複雑な気持ちになったものだ。少し怖く、少しうれしく、少し面白く、少し悲しく、、、のような気持ちだ。あまりにも、純粋であったからだ。それでどのようになっているか知りたくなったからだ。だが、それも自分で選んだことなのだ。
なので、できる限り今から幸せになる行動を続けるようにしたいのだ。私は、人の特技に関して、どうすればその人が幸せになるかと考えてきたのだ。ただ、どうしても多前提的に様々な視点を考える癖ができたので、神のようにとても冷静に思考するのだった。それで疲れてしまうのだ。
人間は、一部分しか見れないように作ったのは、そういう意味でもあるのだ。人間には、知られざる秘密があるのだ。俺は、まだ全貌を理解するには時間がかかりそうだ。ただ、一部分しか見れない方が、肉体同士で争う事が、後々なくなるからだ。肉体というのを使いこなすには、それなりの修練が必要なのだ。それも人間の楽しみでもあるのだ。人は、どうしても特技で差別化されたいと思うのだ。と同時に純粋フラットの仕組みが働くのだ。人間的に見たら、どの人も、自分の関係している人が、特技を発揮しているとうれしいものだ。が、同時に、その特技を発揮できない人も、その周囲で存在するのだ。これにより、様々なドラマが生まれるように設定してあるのだ。ただ、恨むことは、自分を苦しめる事になるとだけ忠告しておこう。どの人も、オーケストラを望んでいるのだ。どの人も特技を発揮し合う世界になってほしいものだ。それには、一つ一つこの世界が積み上げる必要があるのだ。人間は、すべての視点を考えると、死ぬようにできているのだ。が、それは人間のためなのだ。やはり、俺は、人類の1部分であるという視点が、俺を苦しめずに済むのだ。ただ、どの人も俺と私ぐらいに、あらゆる視点を手に入れた者同士なら、オーケストラを奏で続ける事ができると信じたい。私は、圧倒的に突っ走った。そして、圧倒的にブレーキをかけ続けた。なので、真相を掴む事ができた。が、俺は、一人の肉体がある人間なのだ。時代性に合わせて生きていこう。私は、深い真相を知ってしまった。が、浅い真実の方が、俺にとっては、楽だっただろう。気楽に生きていきたいとも思うのだった。ただ、物理的技術的の条件で、本来の無意識マップでは、発生させたい事があっても、物理的に発生しない場合に、水面下では、とてつもないバトルが起きているのだ。どの人も、「免許」を持つことを私は、望む。「免許を持った者同士」で、悟り愛たいからだ。どうも世界は、混沌に包まれるか、秩序で包まれるか、は自分達次第なのだ。私は、現代の三種の神器として、「不労所得」「個人ブログ」「心人合一」「悟り連帯個人的フィールド」「本当の自己愛」を掲げたい。ああ、現代の五茫清になってしまった。この本当の意味を知れる人が増えて欲しいのだ。増えれば、どれだけ剰余が発生するか、予想を越える未来になるのだ。結局、様々な真相を知っても、守秘義務があるものなのだ。それは、企業でも変わらないのだ。私は、神の声というのは、どこまで知って、どこまで伝えて良いか迷うのだった。予想もつかない方向に人間は進むからだ。その穴埋めと懲らしめを私は、しないといけないのだ。やはり、俺も、どうするか苦心するのだった。この現象界では、知り得ない無意識インスピレーションと、まあ何となくの見た目と勘で判断できた無意識インスピレーションと、
ただ、俺の意識の器では、そんなに正確には当たらないというより、外れの方がほとんどだ。人に対する記憶層が消えてきたからだ。この記憶層で、人はほぼ全てを判断している。適合した事が起こると、それを強固にさせるのだあ。ああ、確かにこれは人格者でないと、知ってはいけない事なのだろう。俺は迷った。が、神は、それを人に伝えたいのだ。その方が、人の為なのだ。なので、懇切懇切丁寧に、さり気ないヒントをいつも与えているのだ。が、人間の口から直接伝えて欲しいという気持ちもめちゃめちゃめちゃめちゃあるのだ。そのような未来になる事を願うばかりだ。できる限り良いようにしたいだけだが、やはり物理的に連帯しないと難しいのだ。やはり、多くの人がShinnzinn合一しないと、いつもふと浮かぶ一番純粋なインスピレーションの連鎖は、できないのだ。私は、団体でいると、だいたい一番奇想天外で、一番効果的な発想が浮かぶのだが、それを理解できる器がある人達でないと、効果は激減するのだ。後始末に翻弄されて、表現しないほうが良かったと思うのだった。ただ、やるときはやる。が、浮かんできても、まだ時期尚早であれば、その浮かんだインスピレーションは、愛したあげるが、まだ待つのだ。面接会でも、本質的な面接にしようと仕掛けようとするのだ。ただ、それはまだまだ早いのだ。ああ、そのインスピレーションをしている自分を全て愛してあげたい。今まで、疑っていてごめんなさい。現象化させなくてごめんなさい。黙ってくれて、ありがとう。どこからどこまで意識を最高と最低に保つか、考慮するのだった。ああ、俺も思っていたという人が現れる事を願うばかりだ。記憶層もぶち壊すには、それだけハチャメチャに見える事もする必要があるからだ。が、それが必要な場面は、なかなかないのだ。私は、この手のバトルばかり思い浮かぶのだった。最高峰の戦いをしていきたいと思うのだった。準備万端に整えていこう。貴方の隣にいる人が、実は最も最低で最高の人かもしれない。そんなワクワクを持っていたい。「こんな事思った」という妄想は、実は妄想でなくて、至高の一手の場合もあるのだ。が、連続して打つには、仲間と体力が必要なのだ。息切れしないように、一つ一つ準備していく事なのだ。今完全循環しているかどうか、純粋フラットになっているかを続ける事なのだ。私は、私服で、至福の時を過ごし血得る。妄想をエッセイ作品にするか、忘却の彼方か、仲間と戦うか、迷うのだった。やはり、これから自分を鍛え直していきたいからだ。最高の戦いを繰り広げるには、個人でモガき戦うのだ。俺という存在を磨く事なのだ。さすれば、道は開かれるのだ。日常生活を点検し続け、科学と疑似科学を考察すると、中道が悟るものなのだ。俺は、俺以外にも、このような発想が浮かぶ人と一緒にやりたいのだ。ハンターハンターの新世界に渡ろうとするジンのようだ。コツコツ小さな無茶を繰り返すうちに、破天荒なイメージができあがるのかもしれない。ただ、私は、無茶はあまりしたくないのだ。この辺りは、マンガと真相を知っている人の違いなのだ。俺は、それはできないしたくないと思う事なのだ。私は、暴力的な解決は、極力したくない悟り人なのだ。が、限界まで来たらするのが人の世のためなのだ。この限界は、いつくるかは、誰にもわからないのだ。日本の借金はいつ、崩壊するのか、というのは、わからないものなのだ。意外と早いかもしれない。意外と遅いかも知れない。それは、世界が全て連動しているからだ。私個人では、究極生命体にはなれないのだ。なぜなら、私は、肉体を持っているからだ。なので、少なからずの援助だけしたいのだ。この記事は、それを一定的に具現化しただけだ。私は、この記事を書いて、心がスッキリする。気付きが増えていくのだ。「ああ、そういう事か。うん、ではこれはどうだろう。こんなだったらいいな」と考えるのだった。私は、ペンは捨てないだろう。やはり、今は、人口と制度が、拡大し続けているからだ。それもそれで良いのだ。が、どの人も悟ってほしいのだ。その方が、自分を苦しめる人が減ると信じているからだ。私は、やっと自分が人類の一人という視点に循環してきたのだ。それにより、次の二週目をどうするか、対策が立てやすくなったり、ならなかったりなのだ。まあ、確かにプレートの地盤沈下は激しいものだ。が、それも人類が一人一人選択している結果なんだお。ほどほどに、その地盤沈下をどうするか提示していこうと思う。まあ、だいたいは既に提示しているのだ。まあ、どうするかは個人の自由だ。私も個人であった事に気が付かされた。まあそろそろ足を洗いたいのだ。やはり、何事もぷよぷよ大連鎖になってほしいからだ。妥協案も時には、必要なのだ。まだまだ、忍耐強く根を張る事だ。おしりの神経でピックッと起きるのだった。本気のインスピレーションに匹敵するぐらい一つ一つ冷徹に努力を重ねるブログ表現も良いだろう。誰もが、意識と無意識の器を、上下運動している事を意識で捉えられる事を願っている。何事mお神経質になりすぎない事で、自分を苦しめずに済むのだ。過去の腑に落ちなかった事が、どんんどんわかってくるのだ。これはありがたい。ごめんなさい。それでもなお俺は、純粋でいたいのだった。がってんがってんがってん。何とか研究者のキャリアを積みたいものだ。どうにか自分の考えてきたものを公に結実化させたいものだ。
 
神の使いだとしても、自己防衛で、「あの人は神を信じないけど、私は、神を信じている自分」という微量の悪想念を出してはいけないのだ。これが、後々自分を苦しめるのだ。
これは、神を信じる人がめちゃくちゃ陥りやすいパターンなのだ。というよりも、ほぼ100%の人が陥っている。それを感知できるようになる必要があるのだ。また、そういう事なんだと理性で知る事が大切なのだ。

戦争 肯定 否定視点

戦争 
私は、戦争嫌いである。が、色々な思索を重ねてきた。今回は、普通とは違う視点を見てみよう。戦争というのは、人間同士の大規模な殺し合いなのだ。戦争は、カルマの解消ということにも、繋がるのだ。エネルギーという視点で見れば、いたって、普通の事が起きているに過ぎない。人は、感情があるから、生存欲求があるから、自分が死ぬのが嫌だ。これを克服した人は、また違う視点なのだ。人は、罪を犯すより、死んだ方がマシという視点だ。相手を殺すより、自分が死んだ方がマシという視点もある。また、地球には、人が多すぎるという視点もある。様々な視点があるのだ。このような色々な視点を考えるのは、悟りに繋がるのだ。「自分がえ?」と思う事ほど、何かに繋がるのだ。私は、ある哲学者が、戦争だけは、悪だと言っていた。その時は、そうだなと思っていた。が、探究を続けると、どうもそうじゃない視点が出てくるのだった。勿論当たり前だが、戦争の悲惨さという視点もわかるのだ。起きるモノは起きるのだ。が、感情的というのも、また課題があるのだ。私は、「全てのモノを愛す」と決めた。となると、戦争はどうなのかと思索する必要が出てきた。20世紀の戦争により、この21世紀の今まで、戦争がなくなったという視点もある。ごめんなさい。と靖国神社に参拝をした。が、やはり戦争絶対反対という視点しかなかった自分と、戦争に何かしらの愛を持つ視点の自分というのは、変わっているのだ。マイケルサンデルさんも、哲学をすると、変わる自分がいると表現していた。大人になるのだ。戦争があるから、国家というまとまりが維持できるのではないかという視点もある。どうしたものかと。戦争が起きれば、私の今の生活は、一変する。それが、みんな嫌なのだ。が、創造的破壊というのもあるのか。第二次世界大戦で、本気で戦った日本は、破れて、その後、平和な国家になった。何という逆説的だ。という事は、本気の戦争が起これば、より平和な国家ができるのか。それとも、人類というのは、いなくなってしまうのか。どうなのだろうか。まだ、腑に落ちない。未来に起こる戦争を止める事はできるのか。ただ、私は、止めたいと思うだけだったのだった。なぜ、このような事を考えるかというと、一度オールリセットすると、また次に進めるのだ。これを繰り返すことは、無意識マップの完成に近づくのだ。私は、ごめんなさいと謝った。が、まだ腑に落ちない。数多の戦争があったから、今の自分がいるのだ。やはり、ここでも、「戦争は良いとも悪いとも言える。戦争は良いとも悪いとも言えない。どちらでもあるし、どちらでもない、、、、、。」というものか、、、。何かがまだ解除しきれていない。