verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

理想的な三角関係とは

理想的な三角関係
理想的な三角関係というのは、とても人類に残された課題なのだ。が、行き着くところは、本当に悟った人同士が、男女3人組で、子供を育て合う社会なのだ。これは、今の体制では至極無理なものだ。が、乳母と生みの親が子供を育て合うは、とてもエネルギー交換とカルマの解消の点で、とても理にかなっているのだ。また二人の夫が、一人の妻を支えるのもいいのだ。誰の子供というのも、越えるものなのだ。DNA鑑定をしないというのもできるのだ。どちらとセックスして、生殖活動をするかも、悟りの観点でできる最善を取れるかどうかだ。ただ、タイミングというものも、物理的に有るのだ。女性も高齢出産できるようになったが、やはり若い方が、流産や苦痛やお産関係が楽なのだ。この三者関係が、ばっちり合うとも限らないのだ。子供を敢えて生まないというのも手なのだ。確かに、子供は、かすがい、孫は、蝶番というのもある。
が、生まないというのも選択肢なのだ。家の事情もあるものだ。シングルふぁざーやシングルマザーも多い。社会的に妻と子供を持っていると、良い目で見られるのだ。子供関係の付き合いもあるものだ。リアルに育てたいという気持ちもあるものだ。教育をしているものとしては、その実証と夫婦円満ができるからだ。あの夫婦の仲の良さの秘訣を知りたいと思うかも知れない。その方が、処方亘になるかもしれない。養子という手もある。結構俺としては、5歳ぐらいの孤児院の子を引き取ると、カルマの解消になるし、伯母のカルマの解消にもなる。養子援助制度もある。血を気にしないというのもある。社会ステータス的な扶養能力もある。相性もある。現実的な稼ぎが必要だ。認可が降りるかというもんだいもある。
肉体の限界を越えればできるものなのだ。性に関する微差を埋める事と自己保身欲求を完封し、最善の手を取れるかどうかなのだ。両親と子供預かり一人と子供というのは、機能するのだ。子供は、多くの大人に育てられた方が、バランスが取れるようになっているのだ。それは、多くの友達に囲まれるとバランスが取れるようになっているのと同じだ。今は、一夫一妻制が日本の制度だが、江戸時代は、一夫多妻(多妻一夫)や、稀に一妻多夫のような、状態だったのだ。また、イスラム圏では、一夫多妻なのだ。思ったよりも、子供というのは、多くの大人に囲まれる方がいいのだ。シェアハウス的に何人かの大人に囲まれると、子供はスクスク成長するのだ。ただ、居住の固定化により、弊害が起きるのだ。なので、単身赴任という会社の制度はとても良い場合もあるのだ。なかなか個人同士が、結婚せずに、特技を発揮し合う理想的な関係になるのも難しいのだ。やはりどちらも食うのに困らない特技がないと、格差婚のようになり、エネルギー交換とカルマの解消のバランスが狂うのだ。私は、執筆でモノを食いたいと思う肉体としての俺と、どうしても疑似科学に関しては、無料で提供したいという魂体としての私との葛藤があるのだ。このブログも、疑似科学に関する事が多いので、それを課金制にするわけにもいかないのだ。また、通常のマーケティングとしての餌巻きとしても、純粋に考え抜くと、難しいのだ。神に関することというのは、課金するには、忍びないのだ。それだけ濃い内容にはなっていると神から教えていただいている。それは、この世界の真相を的確にできるかぎり正確に表現できる限界として、表現しているからだ。俺という存在にとって、今までの勉強の成果を試したい欲求があるのだが、なかなかそうもいかないのだ。また、周囲の人にとっては、それで飯を食べているというレッテルを張りたい願望に応えられるのだ。
しかしながら、実は、お金にすると、貯めた徳が逃げてしまうのだ。なので、食えている分としては、やはりまだ課金にする気にはなれない。
また商業出版というのも、作家としてのアイデンティティの確立としてはいいのだが、それもエッセイ作家として、疑似科学以外の日常を、読者に楽しく読ませる技量があるのだが、現時点ではそのような表現技量とやる気と獲得活動、その他もろもろを含めると、難しいのだ。よって、やはりこのブログを課金する方向には行かないのだ。ここは、俺個人としては、非常に苦しい所なのだ。どうしてもまだまだ人は、「そんな純粋な活動してると言っているのに、金取るの?」という訳の分からない道理を知らない人が沢山いるのだ。ただ、その人達のためにも、私は愛を送る必要があるのだ。俺個人としては、今までの勉強と未来のキャリアのために、課金ブログや集客HPや集客活動に、当てたい気持ちは山々なのだ。が、それでは、全ての人を愛する事にならないのだ。ただ、俺も肉体があるので、未来はわからない。ただ、今は、課金に走る事はしない。なので、表現の練習という程度に止めておく。今後は、頻繁に更新するように努めたい。それで俺自身の成長と読者の成長を楽しみにしたいからだ。そして、居住の固定により、家族というのは固まってしまうのだ。それで、行けないルートができるのだ。シングルの立場同士で、悟り連帯するのはとても有効なのだ。俺個人としては、人と和やかにいるのもいいのだが、どうしても表現活動に空きができるのだ。多くに人と連帯したい俺と、やはり究極的に中立でいたい私と神が、右往左往しているのだ。経験がダブるというのもあるのあ。ただ、実社会の今世でのキャリアとしては、未経験の分野を獲得し続けたい俺と周囲の人の顕在意識層がいるのだ。どの人も葛藤しているのだ。俺のように意識化で捕らえているか、貴方のように無意識化で進行しているかどうかの違いなのだ。進行して、ギャップがあるには違いないという純粋フラットの視点も大切だ。それを謙虚と譲歩と呼ぶのだ。それは、自分を苦しめずに済むのだ。ただ、どの人も意識化で捕らえられるようになりたいのだ。そのように時代は動いている。俺は、未経験の分野が大好きで、それは多量の読書経験と野心の大きさととてつもなく不安症と途方もない成長欲求承認欲求の現れなのだ。これは、どんどん加速するものなのだ。読書をすると、自分の宇宙が広がるので、それに合わせようというメカニズムが働くのだ。これにより、色々な特化されたモノができたのだ。ただ、ブレーキも時には必要なのだ。虎視眈々という時期も必要なのだ。晴耕雨読も必要なのだ。これにより、物事を落ち着いて着実に進める事ができるのだ。ただ、これからは、上昇パラダイムをどんどん入れていくフェーズに突入するのだ。ただ、それも純粋意識を活用したものだ。トチ狂ってはいけないのだ。諦める所は諦めるのだ。花より団子の牧野筑紫はどこにいるのだろうか。俺は、牧野筑紫がいない自分も牧野筑紫がいる時分も両方認めたい。未来がどうなるかわからないワクワクする時分も認めたい。俺は、顕在意識を極力封印したが、そろそろ顕在意識もドンドン使いながら、積極的に行動していきたい。時分の純粋フラットを信じぬ期待の織田。俺には、心の整理が必要なのだ。いや、必要だったのだ。自分で判断する自分も認めたい。なぜなら、俺の人生でもあるからだ。

 

 

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