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目に見えるもの 人間が向かうべき所有概念

大自由の心

目に見えるものは、自分が所有していると思っている。が、本来は、誰のものでもないのだ。
その事を、悟っている人同士は、携帯電話もシャッフルできるし、人も紹介し合えるし、何でもシャッフルできるのだ
実は、その方が、みんなで、問題が少なくなるし、楽しめるのだ
例えば、人を紹介してれば、よく聞いている人も「ああ、あの人ね、」と楽しめるのだ。
また、「あの人と連絡とりたい」という時もできるのだ。
ただ、人間は、分別エゴ意識が強い人は強いので、それが自分を苦しめているのだ。が、それは自業自得なのだ。
私も、この分別エゴ意識にずっと長年やられていた。だから、携帯電話もあまり見せなかった。
が、それは自分の物だと思い込んでいたからだ。勘違いなのだ。
勝手に、自分で紹介したくないケチ臭い魔にやられているだけなのだ。
自分の保身の魔にやられているだけなのだ。
だから、誰でも紹介して良いのだ。別に、繋がるか繋がらないかは、人それぞれなのだ。
私は、アホだった。
例えば、偉い人ほど、自分が紹介したら、どうなるかと思ってしまうのだ。が、それは、自分が脅かされる魔にやられているだけなのだ。
ただ、私も、人の事は言えない。この魔に負け続けたからだ。
「自分で見つけて!」というのは、不親切なのだ。
私は、どの偉いと言われる人にも、誰をも紹介して良いのだ。
それをしないから、うまくいかないのだ。また負けた。また負けた。
の繰り返しなのだ。
魂は、それを知っているのだ。
「誰々があなたに会いたがっている」と伝えてあげるのだ。反応次第なのだ。
魔に負けなければいいのだ。実際に会う場かどうかは、別問題なのだ。負けないことなのだ。
どの人に対しても、茶菓子を持って行く気持ちを持ち続けるかどうかなのだ。
私は、ミネラルウォーターだけは、忘れなかった。これは、自信がある。ミネラルウォーター、が嫌いな人は、滅多にいないからだ。
その人への敬意があるから紹介するのだ。敬意があるから、紹介しないのではないのだ。自分が思っている固まった思い込みなだけなのだ。
携帯電話も好きに見て良いよなのだ、そうすれば、親切な人は、その人の観点で、問題を教えてくれるのだ。私は、シャッフルした友人に助けてもらった。恋人にも見せるかどうかは、別問題だ。あまり、境界線がなくなると、ドキドキミステリアスにならないからだ。ただ、家族や友達には、使わせて良いのだ。