verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

目に見えるもの 人間が向かうべき所有概念

目に見えるものは、自分が所有していると思っている。が、本来は、誰のものでもないのだ。
その事を、悟っている人同士は、携帯電話もシャッフルできるし、人も紹介し合えるし、何でもシャッフルできるのだ
実は、その方が、みんなで、問題が少なくなるし、楽しめるのだ
例えば、人を紹介してれば、よく聞いている人も「ああ、あの人ね、」と楽しめるのだ。
また、「あの人と連絡とりたい」という時もできるのだ。
ただ、人間は、分別エゴ意識が強い人は強いので、それが自分を苦しめているのだ。が、それは自業自得なのだ。
私も、この分別エゴ意識にずっと長年やられていた。だから、携帯電話もあまり見せなかった。
が、それは自分の物だと思い込んでいたからだ。勘違いなのだ。
勝手に、自分で紹介したくないケチ臭い魔にやられているだけなのだ。
自分の保身の魔にやられているだけなのだ。
だから、誰でも紹介して良いのだ。別に、繋がるか繋がらないかは、人それぞれなのだ。
私は、アホだった。
例えば、偉い人ほど、自分が紹介したら、どうなるかと思ってしまうのだ。が、それは、自分が脅かされる魔にやられているだけなのだ。
ただ、私も、人の事は言えない。この魔に負け続けたからだ。
「自分で見つけて!」というのは、不親切なのだ。
私は、どの偉いと言われる人にも、誰をも紹介して良いのだ。
それをしないから、うまくいかないのだ。また負けた。また負けた。
の繰り返しなのだ。
魂は、それを知っているのだ。
「誰々があなたに会いたがっている」と伝えてあげるのだ。反応次第なのだ。
魔に負けなければいいのだ。実際に会う場かどうかは、別問題なのだ。負けないことなのだ。
どの人に対しても、茶菓子を持って行く気持ちを持ち続けるかどうかなのだ。
私は、ミネラルウォーターだけは、忘れなかった。これは、自信がある。ミネラルウォーター、が嫌いな人は、滅多にいないからだ。
その人への敬意があるから紹介するのだ。敬意があるから、紹介しないのではないのだ。自分が思っている固まった思い込みなだけなのだ。
携帯電話も好きに見て良いよなのだ、そうすれば、親切な人は、その人の観点で、問題を教えてくれるのだ。私は、シャッフルした友人に助けてもらった。恋人にも見せるかどうかは、別問題だ。あまり、境界線がなくなると、ドキドキミステリアスにならないからだ。ただ、家族や友達には、使わせて良いのだ。