うまくいかなかった時の人への魔

うまくいかなかった時期に会った人に、その当時、迷惑をかけたとしよう。
期間が空くと、相手に対して、何か良いメッセージを送れなくなる魔がある。
頭では、送った方がいいと思っても、なかなか送るのには勇気がいる。送って良いのかも悩むからだ。たまたま見かけたということは、何かしら意味があるのだ。私は、何とか魂に従えたのだった。少しだけ頭頭から抜け出せたようだった。ごめんなさい。魂にありがとう。甘えてばかりでした。ごめんなさい。ありがとう。またまた自分を甘やかすのだった。
何か当時を思い浮かべると、嫌な気持ちになる過去の記憶層を取り出す脳の仕組みと魔なのだ。
今は、もう違う自分なのに、昔のイメージに操られているという事だ。ただ、それは水に流せれば良いのだ。お互い様なのだ。
勿論、人は過去の記憶層に操られている人が大半だが、頭で考え、違う選択肢を取れる存在なのだ。
人間は、大自由なのだ。一つでも一日に勇気を出せれば、一年間でとても変わるのだ。この状況を作ってくれた全てのモノ、、、に感謝したい。感動なのだ。人間は、分かり合えるのだ。ごめんなさい。ありがとう。「ともちゃんありがとう。」貴方が夢に出てきてくれたおかげだ。色々な魔に勝ってほしいのだ。昔の人に会う魔には、どうも頭で考えても難しいものだ。何も情報がないと、迷惑かもしれないと思うからだ。だから、頭で考えるよりも、魂で頭を変えるのだ。頭でっかちを変えるのは、魂を強くするのだ。明日は、朝五時に必ず起きよう。頭で考えても頭で考えても、頭で考えてもわからないものはあるのだ。だから、魂があるのだ。まだまだこれからなのだ。病魔に負けた経験というのも大きい財産なのだと教えてくれた。どんな人にも一生に一回は病魔がくるのだ。受け入れることだ。当時のお世話してくれた人に愛のエネルギーを送りたい。
魂は、万能か?という質問に。私は、まだ何とも言えないのだ。万能か万能じゃないかは、見方によるからだ。万能という見方で言えば、魂は純粋フラットな機能を擁している。これは、この世界の仕組みと同じなのだ。
が、万能でないという見方で言えば、やはり人間にとって、嫌なことは起こるのだ。ただ、どれだけ忠実かによって、頭だけの生活より、幸せになれるのだ。幸せというのは、感動の事なのだ。感動が起きたということは、幸せなのだ。物理的現象に対して、魂が守ってくれるわけではないのだ。頭で考える事も必要なのだ。仮に戦争になったら、魂が守ってくれるわけではないのだ。ここを、私は、間違えていたかもしれない。魂は、幸せには直結しているが、物理的現象には直結していないのだ。だから、自分の身は、頭で防ぐ必要があるのだ。電通の若手社員が過労死したが、それは、魂では防げないのだ。魂は、大きな役割を果たしてくれるだけなのだ。だからこそ、人間同士で、世の中を純粋フラットにしていく必要があるのだ。私は、過去に過労だった時期があったが、やはりそれは、魂では防げないのだ。頭で防ぐ必要があるのだ。神も、魂も、一緒なのだ。認識している世界を変えているのだ。神も、頭が痛いところなのだ。どうも人間は、頭頭とばかり考えるのだ。魂の声も、しっかり聞く必要があるのだ。やはり、物理的に当たり前の状況は、魂では、どうしようもないのだ。まだあまり教えたくない事ではある。なかなか頭だけで捉えるから、ヒントを教えよう。頭が魂だ。
純粋な人だからといって、神が、それ以外の人のお札をテレポートすることはないのだ。されたことがある人はいないだろう。が、何かしらお金が振ってくる事があるという事なのだ。臨時収入のようなものである。これが、進むと宝くじも当たるのだが、そこまで行けている人は皆無に近い。何かしら、不純な思いがあるからだ。例えば、その金で楽をしようとしたりだ。それがあると、当たらないのだ。神は、そのようなことを望んでいない。あたる必要がないとも言える。そうしなくても、いくらでもお金というのは、作れるからだ。成長に繋がる事をするのだ。むしろ、ご神徳で、宝くじがあたると、しきりに言う人には注意が必要なのだ。
昔の人にも、メッセージを送ってみると、また変わるのだ。自分の感謝状態で、取り出す記憶層のイメージは、善悪変わるのだろう。