verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

感謝とは何か 感謝 やり方

感謝の気持ちを持つには?
http://www.n-assist.com/rikei/have_gratitude.htm

感謝の気持ちを持つには?



頼る段階 頼らない段階
何かトラブルが発生する。私もつい焦ってしまう魔に負ける。私は、ポメラというテキストメモを使っている。が、途中で、わけのわからない入力モードになってしまう。

①キーボードの変換を見てみる。が解決しない。
②ヘルプ機能を使ってみる。が解決しない。
③そろそろネットで見たらどうかと思う。が、解決しない。
④人に頼る。が、適当な人が見あたらない。
⑤お客様センターに電話をかける。そうすると、ほぼ解決する。
が、ここで重要なのは、④か⑤ばかりに囚われていないだろうか。
②が正解の時もある。③が正解の時もある。のだ。
今回は、私は、⑤に電話をかけた時に、直っていた。
そして、自分が昔、⑤のお客様相談センターに対して、感謝が足りないという事に気が付かされたのだった。意識が低いと、相手がお客様相談センターの仕事だからと言って、手短過ぎたり、粗末に対応していないだろうか。
ビジネス中だからと言って、相手への敬意を忘れていないだろうか。
やはり、この電話のやり取りの一時でも、カルマか徳は、発生するのだ。私は、昔よく忙しいビジネス中に、沢山助けられた経験を思い出した。ごめんなさい。と今思ったのだった。
そう、この状態が、感謝ができているという事なのだと気付かされた。感謝というのは、状態なのだ。
過去のカルマを、清算するのが、感謝と行いなのだ。ごめんなさい。ただ、気を抜くと、すぐその状態から、離れてしまう
あまり知られていないが、脳には、処理する器が、あるのだ。禅や瞑想の分野では、常識になっている。
どの無意識の器を使えているかは、変わるのだ。できるだけ次元が高い無意識の器を使うように、努めることなのだ。
ついつい、食べ物を食べようとすると、動物的に感謝もせずに、食べようとする人が、ほとんどである。私もそうだ。
が、お腹が空いたから、お昼時だから、と言って、感謝せずに食べると、カルマになって、自分を苦しめるのだ。私も、よく怠るので、食べる前には、一度無意識の器になって、食べていい頃合いか食べない方がいいか確認する作業が必要なのだ。私は、鳥の手羽先を食べなかった。まだ頃合いでないからだ。
固定観念が強いと、必ず食べないといけないと思い込んでいるのだ。
私も、昔はそうだった。旅をして変わった。
食べる時間は、ベストな時があるのだ。日常生活のワンシーンでも、欲と純粋な気持ちを分別する事なのだ。
だからこそ、少欲致足や各種の修行で、自分の欲と向き合いきると、その分別の精度が高まるのである。
それは、体感的なものである。
脳波で言えば、アルファ波とベータ波の割合のようだ。この変性意識状態をいかにキープできるかという事も重要だ。まずは、自分がその状態を分別できるまで、無意識のマップを進めることなのだ。
ボクサーの須藤元気さんも、そのような事をテレビで伝えていたのを今思い出した。
良い状態というのは、昔の記憶でも、瞬時に取り出せる、という事でもある。
更に言えば、必要な記憶を取り出すという事でもある。できるだけ不要な記憶を取り出さないように、感謝の状態をキープすると、自然と取り出して、編集ができるのだ。
例えば、記憶を取り出す時に、「編集というイメージが浮かんだとしよう。そして、編集だったら、○○さん」と。
これは、過去の記憶に基づいている。良い場合もあるが、悪い場合もある。良い場合は、その人に連絡すると、スムーズに進んだりする。が、悪い場合は、それ以外の方法がベストなのに、その人頼りだったり、その方法頼りになってしまっている事である。
これは、感謝の状態がキープできれば、分別が付くのだ。何とも言えない事であるのだ。ケースバイケースなのだ。
このような事を知識と体験で知ると、更に磨きがかかるのだ。私は、まだまだ鍛錬が足りないのであった。これから、徐々に進めていく。この状態になると、集中力が異常に増すのだ。例えば、「お腹が空いた」という妄念が出てきて、「あれこれ、どこで食べようか、腹減ったなーとか、カレーかなー」という更なる妄念に繋がるが、感謝状態であれば、そのようなイメージが脳に浮かんで来ないので、業務に集中でき、食べると良いタイミングで、食べるのである
ある一定まで、歳を取れば、それが良いのである。食べ物に感謝はするが、食べなくてもいいという状態だ。
これは、食べ物の例であるが、他の物事でも、たいてい一緒なのだ。現代人は、あまりに多くの事に執着しすぎているので、スムーズに物事が進まないのだ。と教えてくれた。
神と違って、周囲の人に、何かしてもらうと、何かお返しをしろという圧力を、お互いの感謝の段階によって、対価に対するイメージが変わるのだ。
だから、安易に人に頼ると、対価を要求されてしまいがちなので、できるのであれば、自分で行うのがベストなのだ。
が、なかなか人は、自分でそこまで追い込めないのだ。
が、感謝は、大事なので、自分視点で言えば、何でもやる姿勢が大切なのだ。
要は、そこまで自分の魂というのは、自分にとって、今何が最も大事なのかは、一番知っているのは、魂なのだ。
私は、この手の話を表現することが、今一番必要な事なのだ。そうは言っても、「あの人の我が儘に付き合っている」というのは、あるだろう。
エゴ意識が強い人に対しては、それなりの対応策を覚える必要があるのだ。ただ、それと同時に、エゴ意識が強い人に対しても、愛を持ち続ける事なのだ。
その事は、結局自分を助けてくれるのだ。
さらに、エゴ意識が強い人に対して、○×やレッテルというものを貼るのは、自分を苦しめる事にも、また繋がるのだ。
人は、無常で、変わっているからだ。
どうしても、脳は、昔の記憶を補強しようとしてまう癖がある。
その人の状態を、正確に捉えていないというのは、自分を苦しい事に繋がる
のだ。
それは、貴方は、今を生きているからだ。過去を生きているわけではないのだ。だから、全ての人が、この事に気付くと、より平和な社会に繋がっていくだろう。
魂は、それを望んでいる。
理想論ではあるので、甘えもあるので、ほどほどに頼るなということだ。私は、表現した後に、つい怠ってしまうのであった。が、魂がまだ愛してくれるのであった。まだまだ修行が足りない自分であった。ビスコを一度手に取ってから、気付いたのだった。ああ、なんと哀れなあまちゃんであろうか。魂が助けてくれているというのに、甘えばかり甘えばかり甘えばかりな自分であった。