verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

アイデンティティと行動パターン 思い込み

人は、同じような行動パターンを繰り返している。それを、自分だと思い込んでいる。アイデンティティの蓄積だ。私は、朝に弱いというアイデンティティから、朝に強いというアイデンティティに変えている。徐々に早くしている。そうすると、あの人は、朝に弱いと思っていたが、実際は朝に強い。「あの人は、朝に強い」と思っていたが、実際は朝に弱いというのは、たいてい過去の記憶や、自分が取り出しやすい記憶に基づいているということがわかる。
ということは、このような○×というのは、あまり意味があるのだろうか。
朝に滅法強いというアイデンティティを獲得したら、ここは押さえるという自分に自然になっている。これは、自然な行為だ。私は、より朝に強くなるだろう。何時に起きているかというラインを、どの人も、何かしらの判断基準にしている。例えば、朝九時に起きるのは遅いとか、昼12時に起きるのは甘えとか、朝3時に起きるのは、早いとか、様々な○×をつけて、自分にも○×を付けて、お互いを、傷付け合っている。いや、励まし合っているとも言える。調整する。何か不味いなと感じたら、それを変えようとする。あり方なのかもしれない。こういう風にあるといいと。私は、あまりそういうのには、関心がないのだろう。反応的な言動をし続けるのには、いささか疲れたような気がする。が、それでは面白くないという葛藤がある。朝7時に起きると決めると、いや決められると、夜中の22時には、外に出る可能性は、ほとんどない。やはり寝る前にやることがあるからだ。寝る前に、、このような行動パターンをしようと決めている。例えば、明日早く起きるために、髪を洗う入浴をしよう。これが、限りなく100%に近づくと、それをしていない自分や、それをしていない他人を認めることは難しくなる。かといって、何のために、折角作った行動パターンを、変えるのだろうか。それは、愛のためなのかもしれない。もしくは、志の達成のためかもしれない。私は、全ての執着を捨てようと思って、一つ一つ捨ててきた。これは、思い込みの解除と同じだ。人は、思い込みを作っては、作っては、作っては、作っては、と繰り返している。思い込みを外すことをいつしかしなくなる。アイデンティティ超流動性は、努力した人にしか、悟った人にしか獲得できないのだろうか。イメージテクノロジーでできるのだろうか。やはり、難しい気がする。これは、わからない。奥義のようなものが、あるのか。信じるものは、救われるというものか。「全てのものを愛しなさい」という主の思いが、ある。この主というのは、たいてい人間の身勝手な思い込みのイメージだが、だんだんとわかってくるものだ。私は、昔よりわかってきたが、まだ全貌は見えない。一度獲得したアイデンティティは、一旦消えても、また、てこ入れすれば、再び起動するのだ。これは、壊れた機械も、テコ入れすれば、直るのと一緒だ。が、勿論、もともと獲得していないものは、難しいのかもしれない。瞬時に形態変化するには、それなりに努力が必要なのだ。一度獲得したアイデンティティは、何かのきっかけで、再び起こすことが、できるようだ。特に、動作と一緒で、料理をしていない場合に、料理をし始めるのと一緒だ。まだまだ愛を瞬く間に貯めると、甘え甘えが愛に変わっていく。