定まってないから、やらない、動かないという癖が、私にはある。未確定の未来に対して、不要な悪い妄想をして、動かないという魔にやられているのだ。何回かやってダメなら諦めるというものだ。完璧主義も悪いと言われているが、使いようで、偉大な使命を発揮できるのだ。人間は、完璧な存在であり、完璧じゃない存在でもある、それは、両方を行ったり来たりする動きがあるからだ。私は、高層階に住んでいるが、外に出るのが億劫という思い込みと、開放的な世界という思い込みがある。どちらを取るかは自分次第なのだ。私は、開放的な世界という思い込みをとりたい。注意して、人の話を聴くことは、自分の嫌な思い込みを減らせるのだ。どんな人も映画スターで、視られている存在なのだ。これは、真実と信じている。曽野綾子さんの、ほどほどの効用という書籍に、私が伝えたい事が書かれている。私は、彼女のような、シンプルでいたい。そのような自分も認めたい。見栄っ張りでいて、怠け者の自分を。努力家は、自信がないから、心の拠り所を求めるのだ。「社会の結果」というのに、取りつかれている。それが、正しいと思い込みたいのだ。私のような、怠け者には、努力家には、ほどほどが、向いてるのだ。プライドが高いと、顔にパイを投げられるのを、嫌がるのだ。とても、いいハッピーバースデーなのだ。カンニング竹山のような愛される自分でありたい。洗礼というのは、いつになっても、いいものだ。
深い層まで、行けるようになった。その分、起きた時に、反動がある。これは、受け入れるしかない。心の筋トレなのだ。精神の筋トレ。私は、徐々に朝起きる時間を早くしている。元々エネルギーが強いから、結構無理が効くのだ。が、反動が大きい。なので、小刻みに変えるように意識するとうまくいく。朝のイメージの想念をよくするトレーニングだ。よく子供の頃は、朝五分ベランダで、太陽の光を浴びるといいと、テレビでやっていたので、やるようになってから、凄く気分がよくなった。情報というのは、ありがたい。朝の清々しい植物の音、小鳥のさえずり、噴水の音、いいものだ。カーテンを開ける音。物の移動する音。ごめんなさい。ありがとうございます。