どうやら、神というのは、神をどのように定義するかによるが、人間のカルマを見ることができる。超広大な無意識世界というものを、見れるのだ。なので、その人の人生の詰まりというものを、見ることができる。私は、神が与えた試練から逃げたので、よくわかる。そして、その事を、人間に指摘されると、「あー、やっぱりあの時、逃げて溜まったカルマが、ここで来たのか」となる。そして、ここをチャンスと見るか、ピンチと見るかである。チャンスと見れば、一気に一網打尽にできる。ピンチと見れば、またマイナスが溜まっていく。私は、よく逃げるので、よくわかる。特に、人からよく逃げる。ごめんなさいと言いたい。ありがとうとも言いたい。
カルマと神と自分を例えよう。
自分を宇宙船だと想像してほしい。火星と金星を往復する際に、毎度、あそこの障害物があって、直線的にいけないと、気分が悪い。毎度トラブルが起こる。その元となる障害物を退治すればいいのだが、逃げると増幅する習性があるとしよう。障害物は、いつも同じ所から、発生してる。神には、その発生する箇所がわかる。自分は、「あれ?なんか?これが原因じゃない?」と思う。が、逃げると増幅する。ただ、避けるだけになっている。これを、退治すれば良いのだ。が、どうも勇気や努力がいる。人は、その宇宙の範囲を少しずつ広げるという課題を与えられている。地球次元、太陽系次元、銀河系次元、小宇宙次元、、、、。となっている。これが、人間の仕組みのひとつだ。
光の「粒子」と「波動」を同時に可視化、世界で初めて成功|WIRED.jp