この世界の戦い方を、どうすればいいか。諦めることだ。自分には、到底できないことを、知ることだ。だから、諦めることはとても大切だ。人生も、諦めちゃいけないわけではない。諦めていい。早めに自分という存在を知れるのだ。私は、諦めた。諦めが悪かったのを長所と思っていたが、それは往生際が悪かっただけだ。自分という存在を知るには、できないことを、愛することだ。できなくていいという事を諦めることだ。
この世のごっこに、気付くことだ。そうすれば、無駄な争いをしなくてすむ。私は、ごっこが大好きだ。おままごとごっこのようだ。ある教祖の真似事をするのが、趣味だ。特別な事をしている気分になれる。が、到底その人と同じ努は、できないので、物質的に肉体的に同じ次元にはいけない。ただ、楽しい気分を味わえるだけだ。この壮大なリアルごっこを、楽しめるかどうかだ。どうも、憧れというのが強すぎたようだ。負けん気もあっただろう。私は、私だ。ただの普通の人なのだ。人間は、ごっこでも、リアルに感じられるという脳のごほうびがある。何かの役に、立てるのだ。
私が知りたかったのは、想念体の動きだけなのだ。10代で教わりたかったことである。
それ以外はいらない。強いて言えば、この人生ゲームの全体像だ。
ごめんなさい。ありがとう。望めば叶うレベルがあるのだ。