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究極の実在は、皆のモノだ。

究極の実在とは、みんなのモノである。
インターネットを、自分のモノだと思う人は少ないだろう。今まで、どの人も、インターネットに沢山助けられてきただろう。私の初めてのネット検索は、ポケモンの攻略情報だった。とても欲しくなったので、調べた記憶がある。

だが、人はどうしても、ある人からその手の話をされると、その人のモノだと思ってしまう脳の一部分を抜き取る癖がある。
だからこそ、自分自身で悟ることが大切なのだ。そもそも、目に見えないものというのは、所有するものではない。
多くの宗教団体や宗教に携わっている人は、自分達が、神を所有している、独占していると思っている。
私も、ご多分に漏れず、神を所有しているような気になっていた。が、それは間違いなのだ。力を与えてくれている存在であって、決して、誰か一人のためや、ある特定の組織のためのものではない。 これが宗教組織が嫌われる要素なのだ。
もちろん、宗教では、私たちは、この神に見守られているというのは、自分が前に進む元気をくれる、周囲もついていく気になるという、ものでもある。
が、行き過ぎると、傲慢になってしまう。私は、傲慢になっていたようだ。
私は、どの神でもありがたい。どの神が強いとか弱いとか、有名だとか無名だとか、そういう勝手な思い込みなのだ。誰だって、アイデンティティの問題で、有名な神と一緒だと嬉しいというのがある。私も、この神の方が良かったとか、思い込んでいた。あとは、周囲が、それに囚われてしまう人の認識が、良くないのだ。だから、神は、姿形を変え続けるのだろう。仏になったり、神になったり。
が、それは方便なのだ。
見えない存在に、
ごめんなさい。と伝えたい。
「すべてのもの、 、ありがとう。ごめんなさい」という立場で居続けたい。
人間は完璧なのだ、ただ気付いていないだけなのだ。全知全能ではない。ただ、完璧なのだ。完璧な存在に、文句を言うのも、おかしいとも言える。ごめんなさい。私に時間をくれた家族に感謝したい。