verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

究極の実在は、皆のモノだ。

究極の実在とは、みんなのモノである。
インターネットを、自分のモノだと思う人は少ないだろう。今まで、どの人も、インターネットに沢山助けられてきただろう。私の初めてのネット検索は、ポケモンの攻略情報だった。とても欲しくなったので、調べた記憶がある。

だが、人はどうしても、ある人からその手の話をされると、その人のモノだと思ってしまう脳の一部分を抜き取る癖がある。
だからこそ、自分自身で悟ることが大切なのだ。そもそも、目に見えないものというのは、所有するものではない。
多くの宗教団体や宗教に携わっている人は、自分達が、神を所有している、独占していると思っている。
私も、ご多分に漏れず、神を所有しているような気になっていた。が、それは間違いなのだ。力を与えてくれている存在であって、決して、誰か一人のためや、ある特定の組織のためのものではない。 これが宗教組織が嫌われる要素なのだ。
もちろん、宗教では、私たちは、この神に見守られているというのは、自分が前に進む元気をくれる、周囲もついていく気になるという、ものでもある。
が、行き過ぎると、傲慢になってしまう。私は、傲慢になっていたようだ。
私は、どの神でもありがたい。どの神が強いとか弱いとか、有名だとか無名だとか、そういう勝手な思い込みなのだ。誰だって、アイデンティティの問題で、有名な神と一緒だと嬉しいというのがある。私も、この神の方が良かったとか、思い込んでいた。あとは、周囲が、それに囚われてしまう人の認識が、良くないのだ。だから、神は、姿形を変え続けるのだろう。仏になったり、神になったり。
が、それは方便なのだ。
見えない存在に、
ごめんなさい。と伝えたい。
「すべてのもの、 、ありがとう。ごめんなさい」という立場で居続けたい。
人間は完璧なのだ、ただ気付いていないだけなのだ。全知全能ではない。ただ、完璧なのだ。完璧な存在に、文句を言うのも、おかしいとも言える。ごめんなさい。私に時間をくれた家族に感謝したい。