verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

被害妄想 解消

私は、極度の被害妄想があった。何歳からだろうか。二十歳ぐらいからだろうか、もっと前だろうか。わからない。もともとそういうタイプであったと思う。
だから、あまり人としゃべらなかった。何かやけに怖いのである。なので、初対面の人に対しては、あえてよく喋るようにした。そうすると、相手の警戒心は、解けてくる。が、本来はそんなしゃべりたくない、しゃべってほしくないのである。浮くのが怖いから、敢えて喋る。
敵は、自分の妄想である。ものすごく攻撃してくる。完璧主義なのも理想主義なのも、高じて。昔は、おちゃらけて、怠けと楽天的な性格がバランスを取ってくれてた。それがなくなると、
あー、また攻撃してきた。
どうせ、できっこない。
もう、終わりだ
時期が遅すぎた
人生詰んだ
今さら遅い
あー、俺にはない

被害妄想で、うつ病になる。

まだ、起きてもないことをあれやこれや考える。「うーん、この人わかってくれないんかなー」これは、妄想である。妄想であるなら、「だったら、死んだ後に、この人はわかってくれる」と思った方が、精神衛生上はいい。
現実世界では、何か自分がやったとしても、相手がわかってくれないと、むなしい気持ちになる。
が、その時は、何かタメにはなったなと思うことである。意識をしただけど、相手のためにはなるのである。これには、一定量の精神世界の勉強が必要である。
ここまで、最小限化すると、怒りは収まる。この相手に対する最小限化が、自分を守ってくれる。対価を要求するから、疲れてしまう。やはり、相手は、自分の考え方次第である。
だいたい、自分の怒りで、自滅するパターンが全てである。
私は、自暴自棄の魔と猜疑心の魔にずっと、とりつかれ、なかなか勝てなかった。猜疑心の魔は、ほぼ勝てるようになった。これは、被害妄想と同じ類いの魔である。自暴自棄の魔は、現在解消中である。かなり、自分を苦しめる時がある。自暴自棄行為によって、だいぶ肉体が弱った。後遺症は辛い。だが、まだやり直せる。死んでもやり直せる。
「おっと、このパターンの魔が来たか」と思えれば、楽に勝てる。
被害妄想も、愛のエネルギーを、自分で送ることで解消できた。