二番煎じ

私は、二番煎じが兎に角嫌いだった。
だが、ほぼすべての事は、二番煎じである事に気付いた。誰かがどこかで、既知なことである。本を多読するとよくわかる。知らないから、人は喜べるのかもしれない。
やはり専門特化しないと、より二番煎じ感が強い。何に専門特化するかは、その人次第である。
二番煎じが嫌なら、二番煎じじゃないものを、探るが、そんなものはほとんどないのだ。どこかの誰かがすでにやっている。オリジナルを追求するより、精神衛生上、何が楽しいかのほうがいい。
先達者が、ほとんど成し遂げている。だから、基本的にはその先達者に教わるしかない。やはり世の中そういうものだ。
越えられない壁を知るということも、大切である。が、その先達者との研究テーマでの勝負では勝てない、自分のアイデンティティを保てない。それが、私は嫌いだったのだ。
同じ経験をすれば、同じ境地に必ず誰でもたてるという、同経験同境地の法則がある。これは、救いである。凄そうに見える人に対して、若い人は、同じ経験をすれば、必ず同じ境地にたてるのだ。ただ、どこまでやるかは、その人次第である。どんどん近づくと、その境地が、はっきりとわかってくる。誰にでも門戸はある。私は、ある宗教組織を真似ようとした。やはり、同じことを探求すれば、同じ結果になることがわかった。だが、やはり自分には、そこまでする気がないことがわかった。ただ、他の人でも、自分達でも、できることを、神が手助けしてくれることを、確認したかったのだ。私は、ありのままで生きていきたい。ありふれた日常に感謝できるだけでいい。