「家宝は、親」と貴方は気付けるだろうか?
結構、わりと一般人に多いのだが、何かの分野に関して、竜頭蛇尾を繰り返す悪癖を持っている。恋愛やビジネスが主だろう。
私も、紛れもなくそのタイプだと自覚してる。竜頭蛇尾は、最初から中盤初頭まではうまくいくが、中盤以降形勢が非常に悪くなり、最後の方で没落するのだ。初志貫徹をどれだけ成功できるか、大器晩成にかかってくる。大器晩成論を書きたいが、まあ現状ではほぼほぼ無理だろう。ただ、あと25年したら、書くはずだ。感謝がなぜ大事かというテーマにもなってくるが、大体の人が間違いをしている分野かもしれないが、今回は割愛するが、また書ける時が来れば良いだろう。
ちなみに、分かりやすい竜頭蛇尾を変える方法論だけ書くと、pdcaサイクルのcheckとactionの時間をしっかり取ることを意識して行動選択するだけなのだ。単純だが、それだけなのだ。
遡って、以下は、長ったらしい文章なので、疲れるなら、読み飛ばして離脱していただいて構わないです。
自分の人生のどこから、竜頭蛇尾が始まったかというと、小学生の低学年の厳しめの野球だ。つまらなくなって、二年間で止めた。もう少ししたら、レギュラーになれたのに、嫌になった。そこまで、劣等的な才能があるわけでもなかった、勿論とりたてて才能があるわけでもないが、まあいわゆる普通クラスだ。つまらないスポーツでも、やり続けるかどうかという問いがある。やり続ければ、何か面白い事が起きるものなのだ。レギュラーってのは、単純に楽しいものだ。レギュラーボーナスは厳然たる事実だが、補欠でも、根気がある人は、その後の人生もうまくいく事が多い。
また、ピアノも親から嫌々やらされていて、「ピアノは、女のやるものだ」と、二年間で止めた。中学になって、合唱コンクールで、ピアノの伴奏を知り、価値があることに気付かされたが、後の祭りだ。ちなみに、クラスで三番目か四番目ぐらいのピアノの実力だった。一番にならなければいけないという競争社会の現実を感じたかもしれない。私には、先見の明は全くなかった。できる子は、先見の明があるし、軌道修正が上手い。
自分では、自覚してなかったが、逃げ癖が付き始めたのもこの頃だ。根性や根気がないのだ。先見性で、人気が出て、切り替えたサッカーも、結局アップアップになって止めた。中学受験は第一志望に入り、成功したが、それ以降ダメダメな人生とも言える。この段階で、頭の良い親が適切に介入していたら変わっていたと思われるが、なんとか普通に戻せる親ではなかった。親は、安い塾に入れた事が悪かったと思っていたと後で教えてくれたが、普通の厳しさの塾に付いていくのが目一杯だったので、もっと厳しい高い塾は無謀だっただろう。勿論、厳しくなくて、高い塾なら、断然伸びていたかもしれない。でもそれは、ハイクラス環境で、環境ボーナスに過ぎないので、自分の力ではない。
悪い環境というのは本質的には存在しない。悪い環境と言われようと、頑張ってれば良い環境と言われる場所に辿り着けるように、この世はなっているのだ。置かれた場所で咲きなさいという格言がある。宿題をきちんとやる癖は大切だ。また、子供の教育は、発達段階に合わせて、環境を整えてあげる事が重要なのだ。なので、教育界で言われている格言は全て合ってるのかもしれない。私は、遠回りのような最短距離でその事を真に理解し始めたが、やはり教育ビックデータが欲しいと思うこの頃だ。データサイエンティストとかなら、良いのかもしれない。
厳然たる事実として、周囲に自分を支援してくれる人は誰一人存在しなかった。勿論、公的なサポート機関があることは良いだろうし、私のような「被害者」は作るべきではないとも言える。でも、人生そんなものである。誰かの支援がなくても、独力で突破できなければ、成功を続ける事はできないだろう。私も「不幸は、なぜなんだ?」と考えて、科学的には世界で真相が意味不明の事やらを研究と実行改善して、その分変人的な強固な独立力を身に着ける事ができたとも言えるかもしれない。
ダメ親ならば、自分でどうにかすれば良いし、それが強い証拠とも言える。私のように、ダメ親に時間を使うのは、極めて難しい道だ。「親は変えられない」という格言がある。ダメ親を変えるには、二十年ぐらいかかるのだ。それぐらい教育するのは難しい。その根気が貴方にはあるだろうか?私は、親を再教育する道を選んでしまったが、峠を越えれば、確かに気分は良いものだ。でも、親の方が早く死ぬので、そんなにリターンはないのだ。月並みだが、仕事と家庭、一段下がって趣味で、勝ちきる事が、愉快な人生と言えるだろう。子供の教育を考えた時に、親の教育をしなければと思い続けたが、やはりそれはコストパフォーマンスが悪く、回収するまでに凄く時間がかかるのだ。なので、ダメ親から、子供を取り上げる政策準備をしようと思っている。
私には、アップアップになってしまう何かがあった。抱え込みすぎとか、問題解決能力がなかったと思われる。
厳しい頭の良い親だったら、何か上手い教育があったと思われる。もし、親の自分に教育できなければ、マンツーマンの習い事をさせよう。
人間は、苦労の種類が違うのではないか?苦労の量というのは、実はないのではないか?というテーマがある。苦労の種類に対して、それぞれ良質な対処法があると思われる。
私が苦労の量が足りないもののリスト
・稼ぐ苦労、稼いだ生涯賃金
・人間関係の調整
・
苦労の量が凄く多くて、人を圧倒できるものリスト
・不思議体験、意味不明体験、
□追記
親の介護も、実は物凄く有り難い機会なのだ。私の場合は、リターンは、多いかもしれない。
最後まで、お読みいただき有り難うございます。このご縁に感謝です。