verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

戦争肯定視点 肯定派

私は、戦争嫌いである。が、色々な思索を重ねてきた。

今回は、普通とは違う視点を見てみよう。

戦争というのは、人間同士の大規模な殺し合いなのだ。戦争は、カルマの解消ということにも、繋がるのだ。エネルギーという視点で見れば、いたって、普通の事が起きているに過ぎない。

人は、感情があるから、生存欲求があるから、自分が死ぬのが嫌だ。これを克服した人は、また違う視点なのだ。人は、罪を犯すより、死んだ方がマシという視点だ。相手を殺すより、自分が死んだ方がマシという視点もある。

また、地球には、人が多すぎるという視点もある。様々な視点があるのだ。このような色々な視点を考えるのは、悟りに繋がるのだ。

「自分がえ?」と思う事ほど、何かに繋がるのだ。私は、ある哲学者が、戦争だけは、悪だと言っていた。その時は、そうだなと思っていた。が、探究を続けると、どうもそうじゃない視点が出てくるのだった。勿論当たり前だが、戦争の悲惨さという視点もわかるのだ。起きるモノは起きるのだ。が、感情的というのも、また課題があるのだ。

私は、「全てのモノを愛す」と決めた。となると、戦争はどうなのかと思索する必要が出てきた。20世紀の戦争により、この21世紀の今まで、戦争がなくなったという視点もある。ごめんなさい。と靖国神社に参拝をした。

が、やはり戦争絶対反対という視点しかなかった自分と、戦争に何かしらの愛を持つ視点の自分というのは、変わっているのだ。マイケルサンデルさんも、哲学をすると、変わる自分がいると表現していた。大人になるのだ。

戦争があるから、国家というまとまりが維持できるのではないかという視点もある。どうしたものかと。戦争が起きれば、私の今の生活は、一変する。それが、みんな嫌なのだ。が、創造的破壊というのもあるのか。

第二次世界大戦で、本気で戦った日本は、破れて、その後、平和な国家になった。何という逆説的だ。という事は、本気の戦争が起これば、より平和な国家ができるのか。それとも、人類というのは、いなくなってしまうのか。どうなのだろうか。まだ、腑に落ちない。未来に起こる戦争を止める事はできるのか。ただ、私は、止めたいと思うだけだったのだった

なぜ、このような事を考えるかというと、一度オールリセットすると、また次に進めるのだ。これを繰り返すことは、無意識マップの完成に近づくのだ。私は、ごめんなさいと謝った。が、まだ腑に落ちない。数多の戦争があったから、今の自分がいるのだ。

やはり、ここでも、「戦争は良いとも悪いとも言える。戦争は良いとも悪いとも言えない。どちらでもあるし、どちらでもない、、、、、。」というものか、、、。何かがまだ解除しきれていない。

 


"日本は正しい戦争をやった" 子どもたちにこう思いこませる教育が許されるか――ここに『歴史教科書』問題の核心がある 不破哲三│歴史教科書、「日の丸」・「君が代」│日本共産党の政策


"日本は正しい戦争をやった" 子どもたちにこう思いこませる教育が許されるか――ここに『歴史教科書』問題の核心がある 不破哲三│歴史教科書、「日の丸」・「君が代」│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会

 

 

□追記

世界平和を祈っている。やはり、戦争は起きない方がいいと思う。石油等の利権を奪うために、戦争してはいけない。自虐史観は、どうなんだろう。確かに、自虐のいきすぎも問題だと思う。戦争の悲惨さを、教育するのは良いだろう。

こういう教育でいいのか。日本は悪い、だから世界平和を祈ろうなのか。戦争は、良くない。でも、起こってしまったものを、どう捉えるかは、後世が決めるものだ。世界平和を祈ってほしいものだ。

この国はこうだという国家観は、なかなかない。