verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

教育内容 あらゆる魔との戦い 教育に必要な観点

教育に必要な観点
人間教育には、どのような観点が必要だろうか。「教育改革!教育改革!」と言われる昨今である。
私が、ずっと求めていた事と、教育に必要な観点は、一致するだろう。
まず最優先の疑問点がある。
①教育の方向性
どこに向かって、教育するのか?
というものである。
向かう方向性が違うと、バラバラな見解になりやすい。これは私もかなりてこづっている。
肉体以外の体で言えば、肉体以外の体が、ある一定の境地まで行く事なのだ。が、肉体以外の体があるとは、知らない人もいる。では、肉体で表現しろと言われても、無理なのだ。
これを神道で言えば、神人合一。佛教で言えば、空の境地。キリスト教で言えば、主と繋がる。禅定で言えば、無我の境地である。が、これでは、科学信奉の人には、通じない。そうすると、この目に見えない、ジャッジメントがしづらい世界をどのように表すかが、頭を抱える所である。
科学的な方面で、どのように表せばいいのだろうか。何かが説明できるというのは、ある物事を悟っているからである。
例えば、微分積分とは、「つまり○○と」言えれば、その物事は、悟っているという事である。悟っていない人は、要約ができないのだ。この境地を、あれを説明できるならば、悟っているという一点がまだ見つかっていないのだ。
人間の体が、宗教信仰によって、変わる事はないからだ。同じ動作をすれば、同じ結果になるのだ。例えば、「原因と結果の法則というのは、○○だと」伝えられるかどうかというものだ。平たく言えば、神人合一とは、「○○」と説明できるかなのだ。全くその手の知識を知らずに神人合一になるかというとならないのだ。やはり、「神人合一とは○○」と説明できる人なのだ。それを説明出来る人を増やす事なのだ。が、まだまだ科学的信奉者はわからないのは仕方ない。が、この説明ができるかが鍵なのだ。また、我々は、この神人合一を、「無意識マップの完成」と呼んでいる。この説明は、別の機会に譲ろう。
また、別の観点で言えば、」なのである。究極の実在への教育というものもあるのではないだろうか。
②教育内容
理想的な日常生活を為し得るための教育だ。
つまり、日常生活の微差の研究と、実践なのだ。ただ、これは膨大な量があるので、全ては伝えきれない。なので、抜粋にならざるを得ないのだ。気付きの膨大な量に対して、出来る限り壮大な量の、可視化できる限界まで纏めたのが、別表の「教育総体系シート」だ。これは、数万に及ぶものだ。が、それだけではわかりづらいので、更に要約した一覧表がある。「教育要項シート」だ。
教育要項シート
1・あらゆる魔の詳細
2・感謝と日常生活の動作
3・大自由の心とアイデンティティ4・純粋フラットと視点転移(どう物事を認識するか)、体の三重性5・魂体の無意識マップの完成形6・あるヒトツの宇宙原理の内外反転(究極の実在)の理解と活用
7・

項目
1・インスピレーションの魔に勝つ事。「今朝こんな魔があったーー」というのが、日常会話になる日が来て欲しい。完成形じゃないと出せないという魔もある。

2・日常生活で、感謝状態の人は、どんな動作をしているか
3・どんな大自由な心で、どんなアイデンティティを獲得しているか
4・視点転移を繰り返し、心の中心の中心から無意識イメージを引っ張る事。
人間の体には、肉体の他に、魂体と霊体の三重性があるのだ。霊体とは、これ以上細かくできないもので、オリジナルスピリッツと呼ぼう。無意識の器の使い方。
5・目に見えない魂体の無意識マップの完成とはどのような事か。
6・この世界の全てを貫くあるヒトツの原理(究極の実在)とは何か。また、その活用とは(なぜ感謝状態が必要なのか)
6ー1宇宙のヒトツの原動(内外反転)により、プラスとマイナスの対になるものが発生し続けるのだが、その内外反転に沿って、忠実に動くことで、魂体的無意識マップと霊体的無意識マップにGAPが生じないので、幸せな状態をキープし続けられるのだ。
そうしないと、魂体的無意識マップと霊体的無意識マップのGAPが生まれ、それを解消するために、四苦八苦が生まれるのだ。最新科学の宇宙の構成から考えてみよう。
7・

追記
教育で、たとえ究極の実在を見れても、四苦八苦は続く。確かに、魔に負けなくなるのはあるだろう。これをどう見るかだ。