verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

神と人との境界線の微差

不倫のメカニズム、疑似ロープレ、現代の五種の神器、神と人の境界線、心人合一の人の葛藤、という記事だ。
人間には、カルマが現象界に発生する。苦の葛藤の中で、どれだけ純粋意識を積めるか。擁護するわけではないが、発生する前と後では、取り組む方が変わるのだ。発生する前は、発生させたくなければ、発生するカルマを積まないようにすれば、発生しない。仮に、発生した後は、そこでどれだけ苦の葛藤をしながら、純粋意識を積み上げられるかにかかっている。私も、他の女性を好きになった事があるが、何とか少しでもより純粋にできないかと、葛藤したものだ。ただ、それにより、他の事が疎かになってしまったのだ。勿論、そのように意識していると、自体は以前よりも、悪くならないのだ。が、そしてまた同じようにカルマを積むと、同じような事が起こるようになっているのだ。苦の葛藤と楽の「恋慕的振動」は、どちらも無意識マップに応じて、必要なのだ。俗世間を一度離れて、意識を高く持つと、必要な視点に気付きやすいのだ。不倫が発生するカルマが、日常生活の点検でわかるのだ。性エネルギーに関する、微差があるのだ。また、他のカルマが巡って、発生主要因になっている。ただ、確かに、カオス的に様々な葛藤をするのは、人生の醍醐味ではある。私は、それを否定したくはない。ただ、それで苦しむのも辛いとも言えるのだ。そして、カオス的体験の連続により、無意識マップがほとんど出来上がった人には、該当箇所を疑似ロープレすれば埋まるのだ。また、無意識マップというのは、心でヒントを捉える事ができるようになっているのだ。これは例えば、自分の進路に悩んでいる時に、貴方は、裁判官と大学教授どちらかと言えばどちらがいいかと聞かれた時に、「裁判官は、ちょっとな。でもうーん。大学教授も、うーん。少しうーん。」という風に何となくわかるようになっているのだ。それは、俯瞰的に過去と現在と未来の一部を見た場合に、どうすればいいか何となくわかるようになっているのだ。私は、裁判官と大学教授であれば、大学教授の方が整合性が若干高いのだ。これは、できるだけ心の中心の中心からイメージを引っ張る訓練をし続けると、わかるものなのだ。勿論、それは100%ではないが、それだけ高い確率で、自分の人生を幸せにしてくれるようになっているのだ。これは、普段の日常会話でも同じような事が起きているのだ。ただ、人間は、思いこみと記憶層と、固定観念と想念体があるので、なかなか判断がつかないのだ。神はそのすべてを見れるので、ほぼほぼの方向性を示す事はできるのだ。が、それもその人の人格次第なのだ。この動作というのは、本音で語った量が多い方が進むというものがあるのだ。なので、あまり友達に関しては、そこまで気を使う事も実はないのだ。私は、結構気にしいだった。まあそのおかげで、冷静に研究する事ができたのだ。私は、その事に気付いてから、できるだけ単刀直入に言うようにしていた。その心掛けは大切だ。だが、時として、本音はあらぬ方向に進むのだ。それは、人間の思いこみが激しいからなのだ。これを純粋フラットを心掛けるだけで、変わってくるモノなのだ。この原理に多くの人が気付いてくれる日を待ちわびている。自分達で、どうにかするのも人間に与えられた試練なのだ。やはり、神は半分程度は助けてくれるものだが、後の半分は、人間同士でやるという決まりなのだ。この辺りも純粋フラットなのだ。ただ、この半分というのは、人間勝手な思いこみではないが、深い真相を知る人にとっては、やはり半分なのだ。この辺りも、誤解されると困る所なのだ。なんとも言えない絶妙なインスピレーションがあるのだ。言葉では、やはり一〇〇%正確には表現できないが、言葉で伝えるしか人間には無理なのだ。なので、できるだけ良い意味で理解してほしいところだ。心は真相を知っているのだ。その精度をあげていって欲しい。私は、あまりにも完璧に因果応報というものができていて、とても複雑な気持ちになったものだ。少し怖く、少しうれしく、少し面白く、少し悲しく、、、のような気持ちだ。あまりにも、純粋であったからだ。それでどのようになっているか知りたくなったからだ。だが、それも自分で選んだことなのだ。
なので、できる限り今から幸せになる行動を続けるようにしたいのだ。私は、人の特技に関して、どうすればその人が幸せになるかと考えてきたのだ。ただ、どうしても多前提的に様々な視点を考える癖ができたので、神のようにとても冷静に思考するのだった。それで疲れてしまうのだ。
人間は、一部分しか見れないように作ったのは、そういう意味でもあるのだ。人間には、知られざる秘密があるのだ。俺は、まだ全貌を理解するには時間がかかりそうだ。ただ、一部分しか見れない方が、肉体同士で争う事が、後々なくなるからだ。肉体というのを使いこなすには、それなりの修練が必要なのだ。それも人間の楽しみでもあるのだ。人は、どうしても特技で差別化されたいと思うのだ。と同時に純粋フラットの仕組みが働くのだ。人間的に見たら、どの人も、自分の関係している人が、特技を発揮しているとうれしいものだ。が、同時に、その特技を発揮できない人も、その周囲で存在するのだ。これにより、様々なドラマが生まれるように設定してあるのだ。ただ、恨むことは、自分を苦しめる事になるとだけ忠告しておこう。どの人も、オーケストラを望んでいるのだ。どの人も特技を発揮し合う世界になってほしいものだ。それには、一つ一つこの世界が積み上げる必要があるのだ。人間は、すべての視点を考えると、死ぬようにできているのだ。が、それは人間のためなのだ。やはり、俺は、人類の1部分であるという視点が、俺を苦しめずに済むのだ。ただ、どの人も俺と私ぐらいに、あらゆる視点を手に入れた者同士なら、オーケストラを奏で続ける事ができると信じたい。私は、圧倒的に突っ走った。そして、圧倒的にブレーキをかけ続けた。なので、真相を掴む事ができた。が、俺は、一人の肉体がある人間なのだ。時代性に合わせて生きていこう。私は、深い真相を知ってしまった。が、浅い真実の方が、俺にとっては、楽だっただろう。気楽に生きていきたいとも思うのだった。ただ、物理的技術的の条件で、本来の無意識マップでは、発生させたい事があっても、物理的に発生しない場合に、水面下では、とてつもないバトルが起きているのだ。どの人も、「免許」を持つことを私は、望む。「免許を持った者同士」で、悟り愛たいからだ。どうも世界は、混沌に包まれるか、秩序で包まれるか、は自分達次第なのだ。私は、現代の三種の神器として、「不労所得」「個人ブログ」「心人合一」「悟り連帯個人的フィールド」「本当の自己愛」を掲げたい。ああ、現代の五茫清になってしまった。この本当の意味を知れる人が増えて欲しいのだ。増えれば、どれだけ剰余が発生するか、予想を越える未来になるのだ。結局、様々な真相を知っても、守秘義務があるものなのだ。それは、企業でも変わらないのだ。私は、神の声というのは、どこまで知って、どこまで伝えて良いか迷うのだった。予想もつかない方向に人間は進むからだ。その穴埋めと懲らしめを私は、しないといけないのだ。やはり、俺も、どうするか苦心するのだった。この現象界では、知り得ない無意識インスピレーションと、まあ何となくの見た目と勘で判断できた無意識インスピレーションと、
ただ、俺の意識の器では、そんなに正確には当たらないというより、外れの方がほとんどだ。人に対する記憶層が消えてきたからだ。この記憶層で、人はほぼ全てを判断している。適合した事が起こると、それを強固にさせるのだあ。ああ、確かにこれは人格者でないと、知ってはいけない事なのだろう。俺は迷った。が、神は、それを人に伝えたいのだ。その方が、人の為なのだ。なので、懇切懇切丁寧に、さり気ないヒントをいつも与えているのだ。が、人間の口から直接伝えて欲しいという気持ちもめちゃめちゃめちゃめちゃあるのだ。そのような未来になる事を願うばかりだ。できる限り良いようにしたいだけだが、やはり物理的に連帯しないと難しいのだ。やはり、多くの人がShinnzinn合一しないと、いつもふと浮かぶ一番純粋なインスピレーションの連鎖は、できないのだ。私は、団体でいると、だいたい一番奇想天外で、一番効果的な発想が浮かぶのだが、それを理解できる器がある人達でないと、効果は激減するのだ。後始末に翻弄されて、表現しないほうが良かったと思うのだった。ただ、やるときはやる。が、浮かんできても、まだ時期尚早であれば、その浮かんだインスピレーションは、愛したあげるが、まだ待つのだ。面接会でも、本質的な面接にしようと仕掛けようとするのだ。ただ、それはまだまだ早いのだ。ああ、そのインスピレーションをしている自分を全て愛してあげたい。今まで、疑っていてごめんなさい。現象化させなくてごめんなさい。黙ってくれて、ありがとう。どこからどこまで意識を最高と最低に保つか、考慮するのだった。ああ、俺も思っていたという人が現れる事を願うばかりだ。記憶層もぶち壊すには、それだけハチャメチャに見える事もする必要があるからだ。が、それが必要な場面は、なかなかないのだ。私は、この手のバトルばかり思い浮かぶのだった。最高峰の戦いをしていきたいと思うのだった。準備万端に整えていこう。貴方の隣にいる人が、実は最も最低で最高の人かもしれない。そんなワクワクを持っていたい。「こんな事思った」という妄想は、実は妄想でなくて、至高の一手の場合もあるのだ。が、連続して打つには、仲間と体力が必要なのだ。息切れしないように、一つ一つ準備していく事なのだ。今完全循環しているかどうか、純粋フラットになっているかを続ける事なのだ。私は、私服で、至福の時を過ごし血得る。妄想をエッセイ作品にするか、忘却の彼方か、仲間と戦うか、迷うのだった。やはり、これから自分を鍛え直していきたいからだ。最高の戦いを繰り広げるには、個人でモガき戦うのだ。俺という存在を磨く事なのだ。さすれば、道は開かれるのだ。日常生活を点検し続け、科学と疑似科学を考察すると、中道が悟るものなのだ。俺は、俺以外にも、このような発想が浮かぶ人と一緒にやりたいのだ。ハンターハンターの新世界に渡ろうとするジンのようだ。コツコツ小さな無茶を繰り返すうちに、破天荒なイメージができあがるのかもしれない。ただ、私は、無茶はあまりしたくないのだ。この辺りは、マンガと真相を知っている人の違いなのだ。俺は、それはできないしたくないと思う事なのだ。私は、暴力的な解決は、極力したくない悟り人なのだ。が、限界まで来たらするのが人の世のためなのだ。この限界は、いつくるかは、誰にもわからないのだ。日本の借金はいつ、崩壊するのか、というのは、わからないものなのだ。意外と早いかもしれない。意外と遅いかも知れない。それは、世界が全て連動しているからだ。私個人では、究極生命体にはなれないのだ。なぜなら、私は、肉体を持っているからだ。なので、少なからずの援助だけしたいのだ。この記事は、それを一定的に具現化しただけだ。私は、この記事を書いて、心がスッキリする。気付きが増えていくのだ。「ああ、そういう事か。うん、ではこれはどうだろう。こんなだったらいいな」と考えるのだった。私は、ペンは捨てないだろう。やはり、今は、人口と制度が、拡大し続けているからだ。それもそれで良いのだ。が、どの人も悟ってほしいのだ。その方が、自分を苦しめる人が減ると信じているからだ。私は、やっと自分が人類の一人という視点に循環してきたのだ。それにより、次の二週目をどうするか、対策が立てやすくなったり、ならなかったりなのだ。まあ、確かにプレートの地盤沈下は激しいものだ。が、それも人類が一人一人選択している結果なんだお。ほどほどに、その地盤沈下をどうするか提示していこうと思う。まあ、だいたいは既に提示しているのだ。まあ、どうするかは個人の自由だ。私も個人であった事に気が付かされた。まあそろそろ足を洗いたいのだ。やはり、何事もぷよぷよ大連鎖になってほしいからだ。妥協案も時には、必要なのだ。まだまだ、忍耐強く根を張る事だ。おしりの神経でピックッと起きるのだった。本気のインスピレーションに匹敵するぐらい一つ一つ冷徹に努力を重ねるブログ表現も良いだろう。誰もが、意識と無意識の器を、上下運動している事を意識で捉えられる事を願っている。何事mお神経質になりすぎない事で、自分を苦しめずに済むのだ。過去の腑に落ちなかった事が、どんんどんわかってくるのだ。これはありがたい。ごめんなさい。それでもなお俺は、純粋でいたいのだった。がってんがってんがってん。何とか研究者のキャリアを積みたいものだ。どうにか自分の考えてきたものを公に結実化させたいものだ。
 
神の使いだとしても、自己防衛で、「あの人は神を信じないけど、私は、神を信じている自分」という微量の悪想念を出してはいけないのだ。これが、後々自分を苦しめるのだ。
これは、神を信じる人がめちゃくちゃ陥りやすいパターンなのだ。というよりも、ほぼ100%の人が陥っている。それを感知できるようになる必要があるのだ。また、そういう事なんだと理性で知る事が大切なのだ。